10年ぶりの「風に立つライオン」

 10年振りにWOWOW「風に立つライオン」(2015年)を観ました。実在の日本人医師をモデルにした、さだまさしの同名曲および同名小説を、大沢たかおの企画と主演で映画化したもので、アフリカ・ケニアの国境地帯で医療活動に尽力した日本人医師の献身を描いたものです。10年前の公開初日にイオン・松江東宝の映画館で教え子と一緒に観たのを思い出します。

風に立つライオンポスター

 アフリカで献身的な医療活動を行なった日本人医師・故・柴田紘一郎(しばたこういちろう)先生をモチーフにしたさだまさしさんの同名曲と同名小説をもとにした感動作です。当時楽曲に感銘を受けた俳優・大沢たかおさんがさださんに小説化を勧め、企画段階から関わって映画化実現にも奔走したというものでした。その熱意が実り、彼にとっては「解夏」「眉山」に続くさだ原作映画への出演となりました。劇中では少年兵が殺し合う紛争地の現実に衝撃を受け、物資も乏しい中での医療活動に志願する主人公を熱演しています。監督は「テラフォーマーズ」三池崇史。共演は石原さとみ真木よう子などが、味のある演技で脇を固めています。

 ケニアの国境地帯で医療活動に尽力した日本人医師の献身的姿を描きます。1987年、大学病院に勤める医師の航一郎はケニアの医療施設に派遣されることになりました。シュバイツァー博士に憧れた彼にとって願ってもない話でしたが、それは一方で同じく医師の恋人、貴子との別れをも意味していました。ケニアへ赴いて半年、彼は国境近くの赤十字病院から協力を要請され、物見遊山のつもりで依頼を受けた彼でしたが、そこで目にしたものは、少年兵たちが麻薬を打たれて殺し合いをさせられる紛争地の現実でした。

 映画の冒頭は、一人の黒人ケニア人が大震災と津波で瓦礫と化した宮城県・石巻市に立つシーンから始まります。手に持った袋から出された数々の白い球(とうもろこしの種)。エンディングもまたこのシーンに戻り、タネ明かしがなされます。「命のバトン」というこの映画のテーマが、まさに表現されたシーンであったことを最後になって知るわけです。

 1987年、日本人医師・島田航一郎大沢たかおは、長崎大学熱帯医学研究所からケニアの研究施設に派遣されます。小さい頃、母に誕生日プレゼントとして渡されたアフリカ医療に生涯を捧げたシュバイツァー博士の自伝に感銘を受け医師を志した航一郎にとって、それは願ってもないチャンスでした。しかし同時に、それは恋人との別れも意味していたのです。病気の父の診療所を継ぎ、女医として離島医療に従事する恋人・貴子真木よう子を遠く日本に残さなければならなかったのです。理想を胸に研究と臨床の充実した日々を送っていた航一郎は半年後、現地の赤十字病院から1か月の派遣要請を受けます。彼は、銃や地雷で重傷を負って次々と運ばれてくる少年たちが、麻薬を注射され戦場に銃を持って立たされた少年兵である事実に愕然としながらも、この病院への転籍を志願します。過酷な状況の中でも生き生きと働く航一郎は、医療団からの信頼も厚く、子どもたちからも慕われるようになります。一方、同病院に看護師として派遣されてきた和歌子石原さとみは、確かなスキルと手際の良さで、航一郎と時折ぶつかりあいながらも互いに認め合っていきます。そして、心に傷を抱えた少年たちをどんな時も「オッケー、ダイジョブ」と温かく包み込む航一郎は(「Mr.大丈夫」と慕われ)、いつしか少年たちの良き友であり、師となっていきました。そんなある日、病院に少年兵・ンドゥングが担ぎ込まれます。銃傷よりも、両親を目の前で惨殺され、麻薬でかき消された心の傷が甚大な彼に対して、航一郎は、そんな心の闇に真正面からぶつかっていこうとするのですが、なかなか心を開いてはくれません。徐々に心の傷が癒え始めた矢先、サンタクロースに扮した紘一郎に向かって、「俺は9人を殺した!」と自分を責める彼に、「生涯かけて10人の命を救え!」と教える紘一郎。戦士に銃で撃たれ手榴弾の爆発で命を落とした紘一郎(これは映画の演出)。病院内に孤児院を設立してガンに倒れた和歌子。二人の思いは医師ミケランジェロ・コイチロ・ンドゥングにしっかりと受け継がれ、冒頭のシーンへとつながって「命のバトン」のリレーが行われるのです。

 泣きたくなるシーンが満載の映画でしたが、紘一郎が夜中にアフリカの大地に向かって「ガンバレッー!ガンバレーッ!」と大声で何度も何度も叫んでいる姿。そして「ガンバレっていうのは人に言う言葉じゃない。これは自分に言っているんだ」と語る紘一郎の言葉に納得します。新しい結婚生活に踏み出した昔の恋人・貴子に宛てた手紙のたった1行の感動的な文面。心が震えました。と同時に、傷が治癒したとしても、また戦いに戻って行くという少年患者もいるアフリカ・ケニアの厳しい現実に目をそらしてはいけないと思いました。正直言って重たい作品なのですが、そんな中にも、長崎でのじいさん・ばあさんたちの診療所でのやりとりに心が和みます。夜中に山を越えて往診をしてきた先生のほうが自分よりも熱が高かった、というエピソードがおばあさんの口から語られますが、あれはさださんの曲「八ヶ岳の野ウサギ」のモデル・鎌田 實(かまたみのる)先生のお話です。

 そして、エンドロールで流れるさださんの9分37秒の「風に立つライオン」の壮大な歌声。特に最後の「アメージンググレース」の迫力は最高でしたね。映画の公開に合わせて、このさださんの映画フルバージョンの「風に立つライオン」も公開されました。盟友・渡辺俊幸(わたなべとしゆき)さんのアレンジでオーケストラをバックに、より雄大で荘厳なメロディーとなっています。

 柴田先生が若い頃のガン患者の奥さんの話が映画の中にも出てきました。これ、実話です。肝臓ガンが見つかりすぐに処置しなければ危険な若い奥さんが、「大学病院にしか入らない」と言い張ります。当時大学病院のベッドが一杯で、ベッド一つ空けられないくらいのペーペーの頃の柴田先生は、自分の信頼する他の病院を世話しようと、再三再四、自宅に足を運んでまで入院を説得します。でも、その奥さん、頑なに「大学病院のベッドが空くまで待つ」と言い張り、二ヶ月経ち、三ヶ月経ち、半年が経ち、結局、手遅れで亡くなります。柴田先生は、周りの反対を押し切り、よせばいいのに、責任を感じ、その奥さんのお通夜に行くのですが、お焼香もさせてもらえません。悲しみに怒り狂う旦那さんが「お前が家内を殺した!」と罵倒、「力足らずで申し訳ありませんでした」としか言えませんでした。その重荷を生涯、ずーっと心に抱き続ける、そんな素敵なお医者さんです。

 英語を教えていた松江北高二年生(当時)の安樂万智子(あんらくまちこ)さんを、中国ブロックの代表として、2013年8月22日(木)、宮崎市民ホールで開催された「第33回高校生英語弁論大会」(全国国際教育研究協議会主催)に引率しました(全国第4位)。そこで私は「運命的な出会い」をすることになります。この大会のゲスト講演講師に、この映画の医師のモデルとなったあの柴田紘一郎(しばたこういちろう)先生がいらっしゃったのです。さらに運命とは恐ろしいもので、安樂さんのお父さんは、当時「松江日赤」のお医者さんだったんですが、長崎大学の学生時代に、柴田先生に直接ご指導を受けておられたのです。こんな偶然って本当にあるんですね!そんな不思議なご縁で、私も柴田先生とお知り合いになることができました。宮崎から帰ってから、後日先生に講演のお写真をお送りしたところ、丁重なお礼状もいただくことができました。また、このブログも見ていただき、身に余るお言葉をいただくことができました:「先生のホームページも拝見させていただきましたが、英語科の教師としてすばらしい英語教育に、またあまたの一般事象への高いご見識を常に発信されている姿勢に感銘いたしました。」(柴田紘一郎) そんな先生が今年2月に旅立たれました(⇒私の追悼記事はコチラ)。♥♥♥

▲2013年宮崎での講演会にて 故・柴田紘一郎先生

 

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give upできるもの、できないもの

 先日『LEAP Basic改訂版』(数研出版)の書評をした際に私は、この単語集が語の正確なニュアンスの記述に優れているということを述べました。その例の一つとして、次のように書きました:

 基本熟語のgive ~upも「~をあきらめる ▲(今までやってきたこと)を途中であきらめる。「〔注意〕「(将来)~することをあきらめる」はgive up (on) the idea of doingと表現する」という記述で、高校生がよく間違える×My mother was ill, so I gave up going to the movies.(母の具合が悪かったので私は映画に行くのをあきらめた)がなぜまずいのかがよく分かります。これは意外な盲点です。

 これについてもう少し補足しておきましょう。高校生は「give up=あきらめる」と丸暗記していて何でもかんでもgive upと書いてしまうのです。しかし実はこの句は、「(今までやってきたことを)あきらめる」ことを意味しています。つまり、まだやっていないことに対しては使うことはできないのです。これが意外な盲点ですよ、と書いたのです。

give up doingは「すでにしていることをやめる」の意。これから先のことについてはgive up the idea[all hope] of doingあるいはgive up trying to doという。[ジーニアス英和]

 「彼は留学をあきらめた」を英作文にする際に高校生がよく書くのは、“He gave up studying abroad.” です。これは英語としては間違っていませんが、その意味は「既にアメリカかどこかに留学していて、何かしらの事情でその留学を中止した」ということになります。しかし、「まだ日本にいて、留学の計画を練っていたけれどあきらめた」と言いたいのなら、この文章では不適切です。“give up” はまだやっていないことには使えないのですから。正しくは、“He gave up the idea of studying abroad.”といった言い方をしなければなりません。“give up” の本来の意味は、単純に「あきらめる」という日本語訳を覚えているだけでは、つかめません。中心の意味を理解することがいかに肝心かが分かります。かつてこのことを、著者の竹岡広信先生『竹岡広信の英語の頭に変わる勉強法』(中経出版、2009年)で述べておられました。この本は高校生が誤りやすい盲点・姿勢を数多く取り上げておられとても勉強になるので、出版当時に図書館にも入れてもらって、松江北高の生徒たちにも勧めたものでした。

▲この本みなさんにオススメです

 高校生がよく英作文問題に書く次の英文も誤りです。

毋の具合が悪かったので、私は映画に行くのをやめた。
×My mother was ill, so I gave up going to the movies.

give upが使えるのは「自分がすでにやっていること/持っているもの」に対してのみです。つまり、「まだ映画に行っていない」状況でgive upを使うのは誤りとなるのです。give up は、少なくとも「やめる」「あきらめる」の訳としては、英語を学ぶ日本人に非常によく知られている句動詞ですが、実はよく間違った使い方をされているのです。

 まず最初に、以下の2つの文を見てください。
①I gave up going to the movies. [○]
②I gave up going to see the movie. [×]
いつの話をしているのか文脈から明らかであると仮定すれば、①の文は英語として成り立ちますが、②は概念的に不可能です。①は確かに文としては成り立ちますが、その意味するところは、おそらく高校生が即座に考えるような意味ではありませんし、最初に掲げた日本語の英訳としては明らかに不適切です。

 もう一つ、非常に一般的な例を挙げて考えてみましょう。“I have given up smoking.” と言えば、「ある特定の場面で1本のタバコを吸わないことにした」という意味ではありません。「タバコは二度と吸わない(=禁煙する)つもりだ」という意味です。同じように例文①は「映画を二度と観に行かないと決心したことを示しているのです。また、いつ決心したかを言いたいのでなければ、I have given up going to the movies. と、現在完了時制でこの考えを表す方がずっと自然でしょう。

 要するに、give up できるのは、すでにやっていること、あるいはすでに持っているものだけなのです。もし、すでに映画館の中で座っている場合なら、もちろんgive up watching the movie (映画を観るのをやめる)ができます(退屈だから)。Going to the movies (映画に行くこと)や、smoking (喫煙)、teaching (教えること)、jogging(ジョギング)などが、習慣的に、もしくは職業としてやっている行為である場合も、やはりgive up することができます。仕事をすでに持っていると仮定すればgive up your job (仕事を辞める)ができるのと、まったく同じ理由です。それに対して、「今晩映画でも観に行こうかと家の中で考えている」だけでは、give up going することはできません。しかし、the idea of going to the movies (映画に行くという思いつき)は、give up することができます。思いつきは、あなたがすでに持っているものだからです。例えば、誰かとの結婚を考えていたけれども、彼/彼女が実際にはふさわしい相手ではない、と判断した場合は、I have given up marrying him/her.ではなく、I have given up the idea of marrying him/her.と言うべきです。やろうと考えてきた行動を進めないことにすると言いたい場合、the idea of ~ing(~をするという考え・思いつき)は、おそらくgive up と共起して最も広く使われるパターンでしょう。これで「give up=あきらめる」といった一対一対応の丸暗記がいかに危険なものかがお分かりいただけたでしょう。♥♥♥

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菓子「はな」

◎週末はグルメ情報!!今週は和菓子

 以前に、和菓子「菓子はな」(米子市目久美町)「どらやき」を知人からいただいたことがあって、あまりにもふわふわで美味しかったので、今日は中華「新宝楽」に行った帰りに立ち寄ってみました。お店はお隣にあります。しかしまだ12時過ぎだというのに(開店は午前10時)、全部売り切れで買うことができませんでした。やはり人気店ですね。こしあん(私はこしあん派です)の「わらび餅」だけが2個ほどあったので、購入しました。これが実に美味しかったですね。京都の問屋さんから取り寄せた本わらび粉を100%使用して作った「わらび餅」です。一般に売られているものとは食感が全く違い、お客さんからは「一度食べたら病みつきになる!」と大変好評だそうです。そこでもう一度何とか手に入れようと、リベンジに水曜日の10時に強風の中を自転車をこいで行きましたが、なんとシャッターが閉まっていて定休日。ガーン!それならと、再び金曜日にお昼頃訪問してきました。後日ご主人に伺ったところでは火曜・水曜が定休日だそうです。数をあまり作っていないそうで、大量に買って帰るお客さんがおられると、すぐになくなってしまう、とご主人。今日は詳しくご主人にお話を伺うことができました。

 切り盛りする若手菓子職人の花田さんは、鳥取県日野郡伯耆町出身です。大学卒業後、和菓子好きが高じて岡山県にある和菓子の製造工場(老舗の源吉兆庵」です)へ就職されました。そこで5年ほど和菓子に関する製造技術や基礎などを学び、和菓子職人としての技術を身につけます。香川や東京などで10年以上もの間、和菓子の修行に打ち込んだ花田さん。そして地元へ戻り、今の場所(米子市目久美町38-8、日本交通バス営業所隣)に5年前に(2020年3月)自身の店「菓子はな」をオープンされました。和菓子に使う材料は花田さんが厳選して、それぞれ豆や寒天など素材の特徴を理解し、作りたいお菓子によって使い分けているそうです。香りの違いだったり、崩れにくさ(豆の形が残りやすいもの)の違いだったり。また、これらの材料以外にも、お菓子のベースとなる卵や小麦粉、わらび粉、くず粉、お水、さらには道具選びにも凝っています。「添加物を使わないから日持ちはしないし、限られた数しか作れないけど、手作りの味にこだわりたい。」花田さん。工場製造や和菓子屋での修行時代に培った知識を活かしつつ、「菓子はな」では、手作りならではの味わい、風味を大事にしておられます。店内で花田さんの和菓子を見ていると、どれもお菓子に込める愛情、やさしさみたいなものを感じました。店主がお一人で製造と販売をされています。店内の大きなガラス窓からは奥の工房の様子を直接見ることができます。小豆を炊く赤銅の釜や、整列した幾つもの道具類はピカピカに磨き上げられているのがよく判ります。あくまでも主役はお菓子なのでしょう。どのお菓子も美しくて目移りしそうです。

 自慢の和菓子が並ぶ中、「どれがイチオシ?」との質問に「(数秒悩んだ後に)う~ん、どら焼きですかね~」花田さんが「どら焼き」をオススメするのにはちゃんとワケがありました。製造工場での修行時代、その時によく作っていたのが「どら焼き」でした。なので「どら焼き」には特別な思い入れがあるのだそうです。また、何軒もの「どら焼き」を食べ歩いて研究もしたそうで、その時見つけた自分好みの「どら焼き」に近づけたいと思って作られたのが、「菓子はな」「どら焼き」だそうです。手に持つと、ずっしりとあんこの重さを感じます。柔らかくもあり、もっちり、しっとりとした生地の中にゴロッと粒感たっぷりのあんこがたっぷり入っています! あんこはそんなに甘くなく豆の風味が豊かなひと品です。 食べ応えもあるので1個で満足感もあり、もちふわの食感が堪りません。これはみんなが好きになる「どら焼き」です。小豆の一粒一粒が崩れないように、丁寧にふっくらと炊かれた粒餡をしっとりときめ細やかな、それでいて柔らかい皮でやさしく包んでいます。

▲このどらやきがフカフカで美味しい!

 特に「素材の味を生かすことを意識」しているこだわりで、あんこに関しては製餡設備を持ち、全ての餡はお店で豆から製造しています。県外で17年和菓子の製造に関わってきましたが、鳥取県の食材は品質が高く、美味しい和菓子を作ることができます。現在、大豆やもち米・卵は鳥取県産のものを使用しています。「私どものような個人店では大量に安定的な原材料の供給は必要ありませんので、地元産の品質の良いものを使ってその日にお出しできる商品を作っていきたいと考えています。その他にもできるだけ添加物は使わないようにしており、日持ちがしない難点はありますが、素材本来の味を安心安全に召し上がっていただきたいです。」とのこと。無添加なので、安心して食べることができるし、甘さ控えめで上品な味です。

▲「菓子はな」のご主人

 就職したメーカーでは、独立して個人店を経営している職人の方を招いて技術講習を行なっており、その講習での技術に衝撃を受けました。その時配属されていた部署では普段機械を使っていたので、手で作り出されるお菓子の様子は、まるでマジックを見ているようでした。和菓子は間口が広く、自然の美しさを表現する「芸術的なもの」であり、日常で小腹を満たす「日々の身近なもの」であり、節句のお菓子や建前での餅投げ等行事で使う「人生の節目を飾るもの」、また「大切な誰かに贈るもの」でもあります。和菓子は“人それぞれの人生が見える”、そんな所に惚れ込みました。来てくださったお客様と和菓子の好みやこだわりを語ったり、食べる場所や一緒に食べる人・贈る人のことを語ったり、時にはお客様とお祝い事を喜んだり、和菓子を通じてお客様と繋がれることに日々喜びを感じておられます。

▲上品で美味しそうな和菓子が

 どんなお店にしたいですか?」という質問には、「地元の人々に気兼ねなく立ち寄っていただける、地域に根差したお店にしたいと思っています。和菓子屋と聞くと、少し男性は入りづらいイメージかもしれません。現在も大半は女性のお客様ですが、男性でも仕事帰りにふらっと立ち寄り、どら焼き1つ買って小腹を満たしていただきたいです。これまでの経験を活かして、当店でしか食べられない商品をお客様に提供し続けたいと思っています。」 私は今この和菓子店にはまっています。♥♥♥

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セロ、復帰宣言!

 2000年代にテレビで大活躍していたあのマジシャン・セロ(51歳)が、山陰放送テレビで12月3日に放送された「鶴瓶孝太郎2時間SP スターの今を大調査」に出演し、約10年ぶりの地上波復帰を果たしました。2003年にすい星のごとく登場したマジシャンのセロさん。出演する番組で軒並み高視聴率をたたき出し、一躍時代の寵児となりましたが、2014年を最後にテレビ界から忽然と姿を消してしまいました。私はその理由について「セロはなぜ消えた?」として詳しく取り上げたことがあります(⇒コチラです)。

テレビ業界のプレッシャー: 2000年代のマジックブームの中、セロは次々と新しいトリックをテレビ局側から求められ、高視聴率を維持するための重圧にさらされました。この過度な要求が、彼のクリエイティビティと情熱を摩耗させ、燃え尽き症候群に近い状態にしていきました。
コロナ禍での活動停滞:2020年代初頭、コロナ禍によりライブ公演の機会が激減し、セロは活動の場を失い、自身の存在意義を真剣に再考する時期を過ごしました。
●再起への決意: 2022年頃から日本での活動を再開し、「希望のない時代に、マジックで感動を届けたい」と新たな目標を掲げました。この2025年の地上波放送での復活は、彼の再起の象徴とも言えるでしょう。

 セロ「日本のみなさん久しぶり!セロです!」と、あの当時と全く変わらない元気な姿で登場しました。空白の10年間について尋ねられると「ぶっちゃけ話すると、疲れました」と笑顔で答えました。続けて、大ブレーク当時を振り返り「半年おきに2時間のテレビ特番をやっていて、1個の特番で30個の新しいマジックを生み出さないといけなくて。前回よりももっと大きな驚きのマジックを期待される中で、生みの苦しみがたくさんあって、一回休憩したかった」と語りました。現在は「ライブが僕の一番輝ける場所」として、世界中の子どもたちにマジックを披露しています。さらに、MCの笑福亭鶴瓶さん、小泉孝太郎さん、見届け人のウェンツ瑛士さんの前で、テレビ初披露となる和・洋折衷の最新カードマジックを披露しました。相変わらず度肝を抜かされる演技でしたね。

 スーパーマジシャンのセロは、多文化な背景と逆境を乗り越えた経験、そして観客を笑顔にする情熱で、唯一無二の存在です。10年ぶりの地上波での復活は、彼の新たなる挑戦の始まりであり、私たちに希望と驚きを届ける瞬間となることでしょう。放送では、セロがテレビから消えた理由を語りつつ、最新の超絶マジックで再び日本中を魅了しました。番組の最後には「日本のみなさん、これから僕のマジックをたくさん見れることを期待してください!」と完全復活を宣言しました。再び彼のストーリーとマジックに触れ、日常生活に魔法のような感動を見つけることのできる日が近いかもしれません。実に楽しみです。♥♥♥

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コーヒー価格の暴騰

  私はコーヒーにはちょっとうるさく、1日に数杯は飲むコーヒー通です。少しでも美味しいコーヒーをと、コーヒー豆はUCCコーヒー本社」銀座カフェパウリスタ」から毎月届けてもらっています。コーヒーの美味しい喫茶店があると聞くと、すぐに飛んで行くくらいです。そのコーヒー豆に、今静かに危機が迫ってきています。すでに新聞各紙でも報道されている通り、コーヒー生豆の国際相場は、2024年2月には、アラビカ種が300セント/ポンド(約454 g)、ロブスタ種が5,000ドル/トンを超えました。そして、2025年2月にはアラビカ種が過去最高の431セント/ポンドとなり、ロブスタ種も5,826ドル/トンにまで高騰しています。コーヒーの国際相場は過去47年間で最高水準に達しました。この価格高騰の主な要因は、世界的コーヒー需要の増加(特にアジア圈)と、主要生産国のブラジル、ベトナムの天候不順による生産量の減少です。

 2024年、ブラジルでは降雨量が少なく、雨期入りの遅れや、高温と乾燥した気候が続いたことによるコーヒーの木へのダメージが大きかったことから、2025年の生産量が大幅に減産になると予想されています。コーヒーを巡る状況は、世界的な需要増や生産国での異常気象による供給量の減少により、直近のコーヒー生豆国際相場(アラビカ種)は、今年2月にはおよそ半世紀ぶりに過去最高を記録し、ここ1年間で2倍以上にまで高騰しています。また、為替相場は円安傾向に続き、世界情勢が不安定なことからも、輸入に頼るコーヒー生豆の価格は上昇し、調達価格にも多大な影響をもたらしています。

 「最近、コーヒー豆ってちょっと高くなった?!」そんな声を耳にすることが増えてきました。実際、卸価格や小売価格を見ても、数年前と比べて1.2〜1.5倍にはね上がっている豆は珍しくありません。では、なぜこれほどの値上がりが起きているのでしょうか?今日はコーヒー価格高騰の背景を掘り下げてみたいと思います。

 コーヒーの栽培には、昼夜の寒暖差や適度な雨量、肥沃な土壌など、非常に繊細な条件が求められます。特定の気候条件が揃った地域でしか育たず、主に赤道を中心に北緯25度~南緯25度の間に広がる「コーヒーベルト」で生産されています。ところが、近年このバランスが少しずつ崩れつつあります。特に大きな影響を受けているのが、世界最大の生産国であるブラジルです。2021年には歴史的な霜害(そうがい)と干ばつが重なり、アラビカ種の生産量が激減しました。その影響は今もなお尾を引いています。また、エチオピアやケニアといった東アフリカ諸国でも、雨季の遅れや高温によって収穫量や品質が安定しない状況が続いています。これらは一時的な異常気象ではなく、気候変動がもたらす長期的な変化と見られています。つまり、従来コーヒー栽培に適していた土地が、今後は生産に向かなくなる可能性があるのです。国際的な研究によれば、アラビカ種が現在栽培されている土地のうち、約半分が2050年までに気候的に不適格になるとも言われています。これは価格だけでなく、コーヒーそのものの将来を左右する深刻な問題です。

 さらに深刻なのが、コーヒー栽培を脅かす病害虫の拡大です。中でも代表的なのが、コーヒーベリーボーラー(Coffee Berry Borer)という害虫で、豆の中に卵を産みつけ、コーヒーの品質を著しく落とします。加えて、さび病(リーフラスト)も多くの農園を悩ませており、生産者は年々増大するリスクに対応せざるを得ません。これらに立ち向かうには、農薬の導入や品種改良、栽培管理技術の高度化が求められますが、それらには当然大きなコストがかかります。多くの人手も必要です。ところが、多くの生産国では農家の高齢化が進み、若者が都市部へと流出しているため、コーヒー農園を支える人手が慢性的に不足しているのです。労働賃金の上昇も価格に跳ね返ってきています。「高くなっている」のではなく、「この価格で維持できなくなっている」と言ったほうが実情に近いのかもしれません。

 さらに、コーヒー豆の多くは、ニューヨークやロンドンの先物市場で取引される「コモディティ(商品作物)」です。つまり、コーヒーの価格は天候だけでなく、為替相場や国際情勢、投機筋の動きにも大きく左右されるのです。例えば、生産国通貨が下落すると輸出量が増えますが、それが市場価格を押し下げることもあります。逆に、生産国でのインフレや燃料費の上昇が続けば、生豆の価格は高騰します。さらに、近年は物流の不安定化が大きな影響を与えています。パナマ運河では水位の低下によって船の通行が制限され、紅海では紛争の影響で船舶の航路が変更される事態も起こっています。これにより、コーヒーの主な輸送手段である船便が大幅に遅延し、運賃も高騰しています。「豆はあるけれど港まで届かない」「届いても想定以上にコストがかかる」──そんな状況が、価格全体を押し上げているのです。

 こうした中で、価格や供給の安定性から注目されているのがロブスタ種です。アラビカ種と比べて病害虫や高温への耐性が強く、より低地で栽培できるため、生産コストが抑えられるという特徴があります。これまでロブスタ種「苦い」「重たい」「雑味がある」とされ、主にインスタントコーヒーやエスプレッソブレンド用とされてきました。しかし、近年は発酵技術の進化により、フルーティでクリーンなロブスタのロットも登場しています。エスプレッソにおいては、ロブスタが生むクレマの厚みやボディ感を好む文化も根強く、イタリアではブレンドに必ずと言っていいほどロブスタが含まれています。価格高騰の時代、ロブスタ「仕方なく使う豆」ではなく、「風味の選択肢」として再評価されつつあるのです。

▲最高級のブルーマウンテンコーヒー

 私たちはこれまで、当たり前のようにコーヒーを安い値段で楽しんできました。しかし、その価格の背後には、今日ご紹介した多くの「見えないコスト」が隠れていたのかもしれません。気候変動、病害虫、人手不足、物流危機──それらが一つ一つ、今価格に反映されてきているのです。けれど、それは同時に「これからのコーヒーの選び方」を考えるための絶好のチャンスでもあります。産地の実情を知り、ロットごとの個性を味わい、納得できる価格で豆を選ぶ。それは価格以上の価値を感じさせてくれる体験になるはずです。そんなことを思いながら、毎日コーヒ-を飲んでいる八幡です。♥♥♥

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「Urara」

▲JR227系「Urara」

 先日、講演で倉敷から笠岡に向かう際に初めてJR西日本の新型車両227系「Urara(うらら)」(2両)に乗りました(新型車両導入は「マリンライナー」以来)。帰りの笠岡駅から岡山駅に向かう時にもこの「Urara」(3両)でした。JRで地方都市路線向けに投入されている車両です。2015年には広島エリアで、2019年には和歌山エリアで、それぞれデビューしています。岡山・備後エリア向けは、これらに続く3種類目の227系です。2023年7月22日から運行を開始し、2両編成と3両編成をあわせて101両導入して、既存車両を順次置き換えています。

 車両の愛称の「Urara(うらら)」は、2022年5月にJR岡山支社がTwitterで募集して、約1,200件の応募の中から、デザインコンセプトにふさわしく、親しみをもって呼びやすいこの名称を選定しました。

 2両編成で、両車ともモーター搭載車です。編成番号は、2両編成が「R編成」、 3両編成は「L編成」。ちなみに、この編成番号は、所属組織で被らない英字から、現場が好きなものを選んで決めているとのことです。なかなか静かなモーター音の車両で、とても快適な乗り心地でした。山陰地方を走る通勤列車キハ40,47とは雲泥の差です。

 JR西日本が最新のテクノロジーを駆使した、安全で明るく広く静かで快適な車両です。「人、まち、社会のつながりを進化させ、心を動かす。未来を動かす。」の実現に貢献します。これまでのJR西日本の車両コンセプトを継承し、バリアフリー化やIT化をさらに進め、世の中の新しいニーズに応えた「人にやさしい車両」を追求しています。加えて、岡山・備後エリアで活躍する近郊型電車として地域で愛される独自性、特別感、先進性を取り入れることを目指しました。

 岡山・備後エリア向けの227系「Urara」のデザインコンセプトは、「豊饒」「穏和」からの造語となる「豊穏(ほうおん)の彩(いろどり)」岡山の桃、福山のバラ、尾道の桜など、沿線を象徴するピンク色をシンボルカラーに据えて、太陽の恵みや穏やかさを暖色のグラデーションで表現するデザインです。赤が基調の広島エリア向け車両とは同じ暖色系ですが、それとは異なる岡山独自のピンクのカラーリングとなっています。車両のデザインは、沿線利用者に愛されることや、岡山らしさの表現を目指し、これまでの本社やメーカー主導ではなく、岡山支社が加わったワークショップを開催して検討が進められました。その中では、岡山エリアを走る車両の伝統を引き継ぐことも案に上がり、その結果、側面のグラデーションには、かつての117系「サンライナー」塗装をイメージさせる意味合いも込められたといいます。

 細かいデザインの部分では、愛称の「Urara」のほか、岡山の10路線を描いたエリアシンボルマークを配置。暮らしや街を繋ぐスムーズな移動の実現や、晴れの国の太陽のイメージを表現しています。愛称のロゴや岡山・備後エリアのシンボルマークは、車体各所に描かれていました。車内にもずいぶん配慮が加えられています。広島エリア向けの車両と同様に、転換クロスシートを中心に設置。ただし、扉付近の混雑を解消して乗降をスムーズにするため、ドア付近のスペースをより広く取っています。これによって、扉間の座席は広島エリア向けより1列少ない4列配置となっていました。1編成(2両・3両)当たり2カ所に、車いすスペースも設置されています。

    拡大された出入口スペース。一部には折りたたみ座席を設置しています。ドア上部には、LED式の情報表示装置を設置。2か国語での案内に対応しました。また、この装置の横には車内犯罪防止対策として、近年社会的に需要の高まっている車内防犯カメラを千鳥配置して、車内セキュリティ向上も図っています。バリアフリー対応設備の充実した多機能トイレは車いすスペース、ドア開閉ランプを設置した新幹線モデルのものです。足元もゆったりと座れる広さを十分に確保しており、立ったお客さんがつかまる吊手・手すりは握りやすい形状とし、色調は目立ちやすいオレンジ色です。吊手の高さは設置箇所に応じて3段階(1800mm・1700mm・1624mm)としています。実に細かな配慮が行き届いています。

 運転台は広島エリア向けの227系に類似。駅での集札による、いわゆる「都市型ワンマン運転」に対応しており、運転台にはドア操作スイッチが設けられています。複数編成を連結する際には運転台側のみを施錠することができ、向かって右側(車掌台側)は立ち入り可能なスペースとなります。安全面にも配慮した新しい機能も見られます(列車自動停止装置)。私が乗った日は、二回とも車掌さんが車内案内・ドア操作をしておられました。 

     今後、山陽本線を中心とした岡山・備後エリア各線で、新たな岡山の顔となっていく車両「Urara」です。ところが先日、なんと米子駅にこの車両が止まっていてビックリしました。後藤総合車両工場へ修理・検査に運ばれてきたのかなと思っていました。すると2度ほどこんなことがありました。以来毎日のように米子駅に止まっています。今日は松江駅のホームで、出雲駅方面に「試運転」として出発していきました。さらに米子帰りに荒島駅でやはり「試運転」で止まっていました。もしかしたら、山陰本線で走ろうとしてしているのかもしれませんね。楽しみです。運行区間をどんどん拡大している新型車両です。♥♥♥

◎なんと山陰線に「Urara」が運行!!

〔追記〕 今日もまた米子駅に回送列車として止まっていたので、運転手さんにお尋ねしてみました。それによれば、来年のダイヤ改正に併せて、走る予定で試運転を繰り返しているんだそうです。期待して下さい、ということでした。来年が楽しみです。♦♦♦

〔追追記〕 今日(12月16日)のテレビニュースで発表になりました。来年のダイヤ改正(3月14日~)から、現在の115系が(黄色の列車)全て「Urara」に代わるとのことです。車両は、衝撃を吸収する構造になっているほか、急病など運転士の異常を検知すると自動でブレーキがかかる緊急列車停止装置を搭載するなど安全性が向上、バリアフリーにも対応しています。「Urara」の導入で安全性、快適性、利便性の向上が期待されます。新たに運行開始となる区間は、以下の区間です。

・伯備線:新郷〜伯耆大山     ・山陰本線:伯耆大山〜西出雲

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『思考の整理学』大学キャンペーン

 2025年10月に、尊敬する「知の巨人」故・外山滋比古(とやましげひこ、1923~2020)先生の学術エッセイ『思考の整理学』が、累計発行部数300万部を突破しました。これはとんでもない数字です。2025年10月15日の文庫版累計133刷となる重版によって300万部を突破したのです(累計発行部数=305万6,100部)。この快挙を祝して、版元の筑摩書房では47都道府県ごとのオリジナル帯版が販売されていることが、各新聞の広告欄で、大きな話題を呼んでいます。

 東大・京大で最も読まれたというベストセラー、刊行以来40年以上読み継がれる「知のバイブル」です。私はこの本を読んで以来、外山先生の大ファンになって、全ての著作を読むようになりました。歴代の東大生・京大生に根強く支持されてきた『思考の整理学』。年間文庫ランキング1位を初めて獲得した2008年から2024年までの17年間で東大生協本郷書籍部では7度、京大生協では9度第1位となっています。私もこの本の冒頭に出てくるグライダー人間」「飛行機人間」の比喩は 、講演のネタにもよく使わせて頂いています。学校教育が得意とするのは、先生や教科書という牽引機に引っ張ってもらって飛ぶ「グライダー人間」の育成です。しかし、一度社会に出ると求められるのは、自力でエンジンを動かし、風を読んで自由に空を飛ぶ「飛行機人間」の能力です。「知識を詰め込むだけでは考える力は養われない」という洞察は、受験競争全盛時代の知識偏重教育への警鐘を鳴らしておられたのです。優等生だったはずなのに社会に出てから伸び悩む人と、独自の発想で活躍する人の違いはどこにあるのか?コンピュータもまた優秀なグライダーであると説く著者の指摘は、AI時代において人間がどうあるべきかを鋭く問いかけてきます。この比喩は、多くの読者に「自分は自力で飛べているだろうか?」と内省を促し、自律的な思考への第一歩を踏み出させてくれます。先生は、他にも「忘れる勇気」を奨励しておられます。インターネットのおかげで、私たちは膨大な情報に瞬時にアクセスできるようになりました。しかし、爆速で膨大な情報が飛び交う現在、外山先生「入ってくる情報をすべて頭に詰め込んでいては、創造的な思考はできない」と警鐘を鳴らします。工場に例えるなら、倉庫が満杯では作業スペースがなくなってしまうのと同じですね。重要なのは、覚えることよりも「忘れること」。頭の中の代謝を良くし、不要な情報を整理してじっくりと一呼吸しながら自分を見つめ直してこそ、新しい思考が生まれるスペースが確保できます。情報をいかに選別し、いかに大胆に捨てるかという「忘却の美学」は、日々情報洪水の中にいる私たちにとって、思考のパンクを防ぐ大きな救いとなることでしょう。

 何よりも文章に味があって、こんな文章が書きたいものだ、と常日頃感じています。日本で一番エッセイが上手い人は、外山先生だ、と私は思っているくらいです。私が外山先生の名前を初めて聞いたのは、かつて「日本エッセイスト大賞」を受賞された愛読書、木村治美(きむらはるみ)先生の『黄昏のロンドンから』という本が、ロンドンから恩師の外山先生に宛てた書簡であったと聞いた時です。若い頃、木村先生の美しい文章を書き写しては、一生懸命真似る練習をしていたことがあります。以前、研究社から出ていた英語専門雑誌『英語青年』(廃刊)の編集を一人でなさっていたのも外山先生でした。

 そもそもこの本が発売されたのは、1983年のことでした。当初は「ちくまセミナー」シリーズの一冊として、ビジネスマンの教養書として刊行されましたが、1986年に文庫化されると読者層が一気に拡大したのです。知識を詰め込むのではなく、自分の頭で考え、自力で飛翔するための思考術を語った「知のバイブル」として、じわじわと売れていきました。ヒットの起爆剤となったのは、2006年当時、岩手県盛岡市さわや書店に勤務しておられた松本大介さんの1枚の手書きのポップでした。「“もっと若い時に読んでいれば…”そう思わずにはいられませんでした。何かを産み出すことに、近道はありませんが、最短距離を行く指針となり得る本です。」このポップを付けたところ、3ヵ月で約100冊も売れることになったのです。版元の筑摩書房では、大々的なフェアを開催したわけでもないのに、これほど売れ行きが伸びたことに驚きました。そこで松本さんにお願いし、都内の書店でもこのPOPを使わせていただいたところ、面白いように数字が伸びる結果になりました。さらに帯にもこの文言を入れたところ販売部数が一気に跳ね上がりました(松本大介『本屋という「物語」を終わらせるわけにはいかない』)。東大・京大生協の2008年書籍販売ランキングで『思考の整理学』が第1位を獲得したと知り、軽い気持ちで『東大・京大で1番読まれた本』という帯をつけたところ、予想を超える反響があり、2009年には累計発行部数100万部に到達しました。以降は、春になると新入生や新社会人が手に取る定番の一冊になっていきました。鳥取県立米子東高等学校でも、新入生の春休みの課題図書と指定されていました。2016年には200万部に達し、現在に至るまで年間平均約10万部の重版が続いており、まさに時代を超えた不朽の名著となっています。2024年には外山先生「東大特別講義」を新たに収録し文字を大きく読みやすくした新版も登場し、さらに部数を伸ばしていきました。

 今回実施中の47都道府県オリジナル帯キャンペーンも、全国各地の書店を巻き込んだ企画です。東大・京大以外の大学での売れ行きも調査するため、大学生協事業連合に、2022年8月から2025年7月までの大学生協における文庫累計販売冊数を集計したところ、『思考の整理学』が1位であること、しかも全国44の大学で第1位を獲得していることが分かりました(写真上)。そこで、47都道府県それぞれの地元大学名・集計結果を書いたオリジナル帯をつけて販売する取り組みが始まったのです。

 「この本が春に売れるのは、新生活を迎えて新しいことに取り組みたい、思考のモードを変えたいというニーズがあるから。そして、本書からヒントを得た人が、次の世代に勧めてくれたからこそ、これだけのロングセラーになっているのだと思います。これからも『思考の整理学』ならではの手法で、長く売りつないでいきたいですね」(筑摩書房)

 『思考の整理学』は、仕事や勉強で何かに行き詰まった時や、情報過多で混乱した自分の頭の中をすっきり整理したい時に、ふと立ち返れる原点のような一冊です。まだ読んでいない方は、ぜひこの機会に本書を手に取り、自由に空を飛ぶための「思考の翼」を手に入れてみてください。♥♥♥

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自分に厳しく

 あの坪内逍遙(つぼうちしょうよう)早稲田中学の校長であった時の話です。中学といっても旧制中学のことですから、最上級の五年生が今の高二にあたります。生徒の中にタバコを吸うものがいたので、呼びつけて説諭すると「やめます」と誓うのですが、なかなかそれを実行することができないでいます。再三お説教をすると、「先生たちだって、やめることができないじゃないか!」これを聞いた校長の逍遥、自らその生徒を呼び、「ぼくもやめるから、きみもやめろ」 長年の愛煙家が急にやめたものですから、いわゆる禁断症状が生じて、食欲は減る、頭はボンヤリする、夜は寝つきが悪くなり、執筆の仕事もはかどらなくなりました。先生たちの中には、「健康を害してまで、無理をなさる必要はないでしょう」と心配する者もいましたが、「生徒にだけ厳格で、自分に寛大では、生きた教育はできない」と語り、とうとう禁煙を全うしたそうです。その生徒がこれにならったことは、言うまでもありません。まさに「自分に厳しく」を実践した人物でした。

 教育者であり、宗教家(キリスト教)でもあった新島 襄(にいじまじょう)が、京都同志社英学校を設立したのは明治7年のことで、これが今の同志社大学の前身です。この新島が、一友人と一緒に船に乗ったことがありました。友人がしきりに酒を勧めるのを、「幾百人の生徒に禁酒を説きながら、自らこれを破ることは、私にはできません」――「そうカタイこと言わないで。ここは船の中、誰も知るものはいません」――「人は知らなくとも、私の良心が知っています」と、ついに一滴も口にしなかったといいます。これも「自分に厳しく」あった人です。

 服部金太郎(はっとりきんたろう)服部時計店」を開いたのは、明治14年のことでした。これが今日の「SEIKO」ブランドの出発点です。その服部時計店に、仕事は非常によくできるのですが、お酒にだらしのない店員がいました。「惜しいなあ!」金太郎は思いました。そういう彼自身は、若い時からタバコが非常に好きで、キセルを手から放している時の方が、少ないぐらいでした。もちろん、ニコチン中毒の状態になっていたに違いありません。ある日、金太郎、そのアル中の若い店員を呼び、「君どうだ?酒はどうしてもやめられないかネ」――「は、どうも」と、恐縮はするのですが、禁酒の意志がありそうには見えません。「どうだろう?今日限り、私はタバコをやめるから、君は酒をやめてくれないか?」――「は……?」青年はびっくりして立ちすくみましたが、結局禁酒にふみきり、これをやり遂げました。服部金太郎もそれ以来、生涯タバコとの縁を切ったそうでです。

 「自分に厳しく」を実践した偉人のエピソードを3つほどご紹介しました。ここで私のつたない経験談です。松江北高に帰ってきた時に、「1時間を大切に!」という学校方針に感銘を受けました。1時間1時間の授業を大切にして、少しずつ前に進んでいこうという教えでした。生徒たちにもそのことをうるさく訴えたものですが、それは自分自身に対しても課したことでした。体調不良などで授業に穴をあけていては、私の言葉も説得力がありません。体調管理をしっかりとして、絶対に休まないことを実行しました。赴任2年目に入院して心臓の手術で休んだことを除いては、1日たりとも休みませんでした。長い教員生活でいつも休む先生も数多く見てきましたが、長年これだけは自分に厳しく課して、今「勝田ケ丘志学館」でも実践しています。総じて休まない生徒たちは目標を達成して巣立っていくように感じています。

 模擬試験を受検した後に「やりっ放し」にしている多くの北高生たちを間近に見て、これではいけないと痛感しました。「やっておけよ!」「見ておけよ!」「忙しい」と称してそういう先生が多いのも事実です。ひどい場合には自分で解くこともありません)では生徒は絶対にやらないのです。そこで、自分でも模擬試験(記述・マーク)を生徒たちと一緒に解いて、そのフィードバックを「見直しプリント」(2枚~4枚)という形で翌日に配付してもう一度「見直し」てもらうことにしました。これは効果があったように感じています。今でもこの「見直しプリント」は続けていますが、作成・入力に結構時間がかかりそれをわずか1日でやるのは決して楽ではありません。それでもやり続けているのは、これを実践してくれた生徒たちの力がかなり伸びていくことを肌で実感しているからです。

▲11月全統プレテスト「見直しプリント」

 大田高校で新米進路部長をしていた頃、生徒たちが大学・短大・専門学校のことをあまりにも知らないもので、情報提供のために進路指導部通信「あむ-る」毎週発行しました。担任時代から毎週続けていたことなんですが、これにより進学成績が飛躍的に伸びました。津和野高校松江北高校でもこれは続けました。今ではさすがに月に一回程度となりましたが、毎月大学情報を先輩卒業生たちにお願いして編集しています(最新12月号は大阪大学・人間科学部特集)。「自分に厳しく!」♥♥♥

▲「あむーる」12月最新号

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Archer

 翻訳家必携の英和辞典『リーダーズ・プラス』(研究社、1994年)の見出し語archer”に、「《英俗語》2000ポンド《Jeffrey Archerが売春婦Monica Coughlanを国外に出すために支払った金額から》」とありますが、これに関してはもう少し詳しく説明が必要かもしれません。イギリスのスラングで“an archer”と言ったら「2000ポンド」のことです。これを理解するには、イギリスの作家・一大貴族(男爵)ジェフリー・ハワード・アーチャー(Jeffrey Howard Archer、1940~)の波瀾万丈の人生を知らなくてはなりません。

 ジェフリー・アーチャーは、29歳の時に英国史上最年少で、下院議員に当選しました。ところが、北海油田の幽霊会社をめぐる国際的な株式投資の詐欺事件に巻き込まれて全財産を失い、破産宣告を受けて議員を辞職することになります。1976年、彼はこの悲惨な体験をバネにして36歳の時に、自分の体験を基にして、処女作Not a Penny More, Not a Penny Less(『百万ドルをとり返せ!』(永井淳訳・新潮文庫)を発表して、大ベストセラーとなり借金を完済することができました。私も教員に成り立ての頃に、この小説を読んで滅茶苦茶に面白かったので、この作家にどっぷりとはまっていったのでした。まさにpage-turnerでしたね。その後も作家活動を続けながら、1985年に上院議員となり政界に復帰し、43歳で保守党の副幹事長という要職につきます。しかし翌年、今度はコールガール(Monica Coughlan)と性交渉を持ったという大スキャンダルが持ち上がり、政治家として大きなダメージを受けます。彼はこの醜聞を報じたタブロイド紙を名誉毀損で訴え、裁判に勝利して高額な損害賠償金を得ました。しかし、その代償としてまたしても政治の表舞台から姿を消さなければなりませんでした。そして、60歳を目前にして保守党のロンドン市長候補に決まり、三たび政界復帰を視野に活動していた、まさにその時、旧友が売春スキャンダル裁判で勝訴の決め手となったアリバイ証言は真っ赤な嘘で、Archerから偽証するよう頼まれたと暴露したのです。今度の裁判では、司法妨害や偽証罪などで、2001年7月に裁判で懲役4年の実刑が確定し、いくつかの刑務所を転々とします。しかし、彼は獄中で手記を執筆して新聞に連載、服役出所後には2003年7月に保護観察となり、服役者から聞いた犯罪や身の上話を多くの小説にまとめたのでした(例えば、A Prison Diary)。

 さて、ここでなぜarcher”「2000ポンド」を意味するのかというタネ明かしです。これは売春スキャンダルが起こった時に、Archerがコールガールに支払った口止め料の額なのでした。取材陣が殺到して彼女が真相を話さないように海外へ逃がすための「逃亡資金」でもありました。それにしても、なんと波瀾万丈、浮き沈みの多い人生でしょうか。しかし、身から出た錆とはいえ、もしあのような度重なる逆境に陥らなければ、Jeffrey Archerは世界的に名の知れたベストセラー作家にはならなかったことでしょう(英語でまさにこれを表す表現がa blessing in disguise”だと思います)。この表現の注意点としては次のようなことが言えるでしょう。♥♥♥

  • このスラングは、標準英語ではなく俗語/スラングに過ぎない。日常どこでも通じる言葉ではなく、むしろ非公式・インフォーマルな使われ方をする。

  • また、全ての英語話者が “archer = £2,000” の意味を知っているわけではない。特に若い世代やスラングに疎い人には通じない可能性がある。

  • スラングの性質上、いつの時代・どの地域で使われていたかで認知度が変わる。

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「レトルトカレーミュージアム」

◎週末はグルメ情報!!今週はカレー

 今から約2年前の2023年、全国各地の有名店などのレトルトカレーを集めたビッグなイベントが、米子市のデパート「天満屋」の1階で開かれていました。「レトルトカレーミュージアム」です。その前の訪問時にもちらっと見て気付いてはいたのですが、時間をかけてゆっくりと見たいと思い、連休中に再度お邪魔してきました。ご当地、全国の有名店のカレーを気軽に楽しむことができます。会場にずらりと並んだのは、北海道から九州まで全国各地の有名店や自慢のご当地カレーでした。カレー大好きの鳥取県民の期待に応え(鳥取市カレールーの消費量日本一)、2022年に続き、2回目の開催で、約130種類のレトルトカレーが一堂に集まっていました。カレー好きの私は美味しいカレーには目がありません。

 会場には家族連れなどが数多く訪れ、普段なかなか手に入らないカレーを品定めしていました。「鳥取県の方は、非常にカレーがお好きだと思うが、まだ知らない味というのがこのイベントを通じて楽しんでいただけたら」と主催者。「レトルトカレーミュージアム」は米子「天満屋」で、~5月7日まで開催されました。私はお気に入りの博多「ナイル」のカレーと、帯広のビーフカレーを買って楽しみました。♥♥♥

▲私が博多で通いつめる阪急デパート地階の「ナイル」のカレーも

 さて、今日は同じく天満屋で開催されている「カレースクランブル」(~11月30日)をのぞいてきました。2年ぶりに帰ってきました。家族の「今日のお昼どうする?」にも、 一人のご褒美にも贈り物にもぴったりのラインナップが並んでいました。ごほうびランチにもぴったりです。 全国から集めた絶品のレトルトカレー・レアカレー・ご当地カレーが期間限定で勢ぞろいしています。私はいつものように、博多「ナイル」のカレーを求めて帰りました。創業昭和36年で、1日1,000人が行列を作り、博多っ子に愛されたカレーです。「毎日食べても飽きないカレー」です。そして今日一番の収穫は、「芸能人御用達」のお店として知られている「オーベルジーヌ」のカレーが置いてあったことです。初めて食べました。♥♥♥

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