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プロフィール
八幡成人(やわたしげと)
1955年島根県安来市生まれ。英語教師として島根県公立高等学校に38年間にわたり勤務。2015年3月、島根県立松江北高等学校に10年間勤務したのを最後に退職。在任中は、朝は6時半に登校し、図書館で生徒と一緒に勉強に励む。『ライトハウス英和辞典』『ルミナス英和辞典』(研究社)の編集委員を務める。参考書、問題集など著書・論文多数。趣味はカードマジック・クロースアップマジック。自宅の「蔵」には世界中から収集したマジック・グッズ(特にカード)が多数眠っている。小田和正、さだまさし、一青窈、岡村孝子、辛島美登里、西村由紀江、柴田淳、リチャード・クレーダーマンをこよなく愛する。「好きなことをやり、メシが食えて、人から感謝される」(竹内 均氏)職業として教師を選び、「英語は絶対に裏切らない!」を掲げ、英語・読書の面白さを生徒たちに毎日熱く語った。文房具マニア、プロレスファンでもある。2015年6月松江北高に常勤講師として現場復帰。2017年6月より松江北高非常勤講師。2019年4月より米子「勝田ヶ丘志学館」講師。2024年3月松江北高退職。
プロレスの「アングル」
プロレスの試合においては、試合前に勝ち負けはあらかじめ決まっています。マッチメイカーが事前に双方の選手に通知し、最後の決め技だけを確認しておいて、後は両選手がお互いの技を受けながら、決着(フィニッシュホールド)へとつき進んでいくのです。子どもの頃からプロレスに熱狂していた私は(毎週プロレス専門週刊誌を2冊定期購読し、「大阪スポーツ」を毎日読み、アメリカからは専門誌を購読)、こんなことも知らずに真剣勝負だと思って一喜一憂したものです。新日本プロレスでメインレフリーを務めたミスター高橋の暴露本『流血の魔術最強の演技~すべてのプロレスはショーである』(講談社、2001年)で全ての内幕を知り大きなショックを受けました。このようなプロレスの試合における段取りや勝敗のつけ方についての筋書きを「ブック」と言います。さらには「ブック」を際立たせるためのキャラクター設定や、興業を盛り上げるための「仕掛け」のことを「アングル」と言います。古い英語の言い回しでアングル(angle)には「魚を釣る」「魚釣りをする」という意味があり、プロレスファンたちの興味・関心を「釣る」という意味にピッタリですね。あの強豪の故・ブルーザー・ブロディは、マッチメーカーの筋書きに従わず、「自分が、自分が」と我を通すことで有名な扱いづらいレスラーでした(仙台駅でマッチメーカーと喧嘩別れして失踪事件を起こし新日本プロレスを離脱しましたね)。結局、プエルトリコの試合会場でマッチメーカーに刺殺されてしまいました。ここで有名なアングルの例を見ておきましょう。
タイガー・ジェット・シンのコブラクローで猪木さんが喉から出血したことがある。蔵前国技館での試合だった。シンの手を自分の喉元からふりほどくようなふりをして、自分で持っていたカミソリで喉を切った。後でビデオの録画を見たら、まさにシンの指が喉に刺さっているように見えた。リング内で見ているより迫力があった。ああやって、何ていうことのない技を最大限に迫力あるものに見せかけて、タイガー・ジェット・シンという選手の商品価値を高めていったのだ。自分の身を切り裂いてまで、徹底的に相手の凄みを引き出していく猪木さんの執念と上手さは、見ていて身震いするほどのものだった。(pp.156-157)
プロレスファンなら誰でも知っている「新宿伊勢丹事件」。猪木が奥さんの倍賞美津子さんと新宿の伊勢丹百貨店で買い物している所をタイガー・ジェットー・シンが襲い、猪木を血だるまにして警察が出動しました。これも猪木が発案してシナリオを書いた芝居だったことが暴露されています。
さて、日本のプロレス史上で最も成功した「アングル」は、1982年に長州力が一躍スターダムにのし上がるきっかけとなった「かませ犬発言事件」でしょう。リング上で「藤波、俺はお前のかませ犬じゃない!!」と反旗を翻し、以降の名勝負数え歌へと展開したものです。それ以前にも何度も藤波辰實vs長州力の試合は行われていましたし、ファイト内容がさほど変化したわけではありませんでした。しかし、しっかりと「アングル」が浸透した以前と以後では、ファンの熱狂度が全く違います。1974年アマレスの世界的選手として鳴り物入りで入団し、新日本プロレスでも将来のスター候補生として育ててきたところで、米国に武者修行に出かけ、メキシコでUWA世界ヘビー級チャンピオンになった長州が帰国します。しかし素質は十分持っているのにプロレス的なはったりが下手くそで、しかも外国人レスラーと手が合わず、実力を発揮することができないままでいました。イマイチファンにアピールできないでいる長州をスターにするためにどうしたらいいか、幹部は頭を抱えています。そんな時に興業会議で「長州をどうするのか?」という議題が上がりました。外人レスラーが苦手な長州には日本人相手の方がいい、藤波の存在をその時以上に輝かせるためにも長州というライバルの登場は好都合でした。この藤波と対立させるという図式は故・アントニオ猪木のアイデアでした。興業会議で決まったアングルを長州に伝え、そのアドバイスを受けた長州が、さらにそのアングルを発展させました。「このチャンスを生かさなければ、いつ俺はスターになるんだ」という強い思いのあった長州は、藤波に反旗を翻して突っかかっていき大乱闘になりました。これをきっかけにしてスター街道へと歩んでいったのです。
つい最近も、みえみえの「アングル」が出現しました。新日本プロレス2月11日の大阪大会で行われたIWGP世界ヘビー級王座戦は、挑戦者の後藤洋央紀(45歳)がザック・セイバーJr.(37歳)を撃破し第12代王者に輝いたのです。IWGP世界王座の前身であるIWGPヘビー級王座に8度挑戦し一度も手が届かなかった荒武者が、2016年2月以来、実に9回目の団体最高峰王座挑戦でついに悲願を達成します。序盤からザックの関節技地獄に苦しみながらも、ベテランの意地でギブアップだけは許しません。超満員札止めの会場から巻き起こる特大の「後藤」コールに後押しされて反撃に出ます。強烈なラリアートから「昇天・改」をさく裂させた後藤は、必殺のGTRを狙います。これを回避されるとヨーロピアン・クラッチを仕掛けられますがラリアートで再び攻勢に。GTRをさく裂させると、最後はリストクラッチ式の「GTR改」で栄光の3カウントを見事奪ってみせました。
そして、試合後のリングで後藤は、「今日の勝利を、亡き父に捧げます。知ってる方もたくさんいるでしょうが、俺はバカです。長男でありながら稼業を継がず、プロレスラーを目指した。でもそんなバカな俺でも貫き通せば王者になれるんです。親父!取ったぞ!」と、昨年2月に死去した天国の父に勝利を報告。さらには応援に駆けつけていた長男と次女をリング内に呼び込むと、「一生に一度のことだぞ。子どもたちよ、この光景よく見とけよ。これがパパが目指した光景だ。この光景が見れたのは、家族のおかげ。そして仲間のおかげ。そして、何よりも俺の後押ししてくれた今日のお客様がた。そして最後に22年間、ここまでやってきた自分自身の体にありがとうございましたと伝えたいです」とアピールしました。くさい芝居です。ついに頂点にたどり着いた後藤は、「後藤革命はまだ始まったばかりだ。最後の最後まで後藤革命について来い!」と豪語すると「IWGPのGは後藤のG!!」の大絶叫で大会を締めくくりました。負けても負けても這い上がり夢を掴んだ後藤。臥薪嘗胆の末、新日本プロレスの歴史に新たな1ページを刻んでみせました。会場は興奮のるつぼ大熱狂です。「9回目のIWGP挑戦。これが最後になるかもしれない、という覚悟はできてます。過去8回負け続けてきましたが、9年前とまったく同じ2月11日で大阪府立体育会館。何か運命的なものを感じる。格好つけることもないし、オレの格好悪いところはみなさん散々見てきてるだろうし、今は無理して格好つける必要もない。自分だけでなく応援してくれるファンの方々と一緒に夢を見たいですね。オレらの世代、結構追いやられてるイメージがあると思うんですけど、ここはオレが先頭に立って、若い世代のヤツらに見せつけなければいけない。そういう風に思ってます。新しい技っていうのはないです。ただ出してない技、彼の知らない技っていうのはまだあると思うので」こうして苦労人が夢を叶えるという図式が完成したのでした。その後、棚橋弘至、永田裕志、デビッド・フィンレー、カラム・ニューマン、ザックセイバーJr.相手に防衛を果たしています。果たしてこのようなくさいアングル、今後も長くファンの心を掴むことができるかどうか、私は疑問なところです。♥♥♥
アキトの「ミルクジャム」
◎週末はグルメ情報!!今週はミルクジャム
JR元町駅から歩いて約5分ほど、神戸南京町からもほど近い交差点の角っこに「patisserie AKITO(パティスリーアキト)」という大人気のケーキ店があります。私が大好きで通っている松江駅南口の「Ciistand」のご主人が修行されたお店です。彼女からこのお店の一番人気商品が「ミルクジャム」だということを聞いていました。オーナーパティシエである田中哲人(たなかあきと)さんの代名詞ともいえる「ミルクジャム」をはじめ、精巧かつ絶品スイーツを求めて、遠方から足を運ぶ観光客の方も多いのです。かくいう私も、先日このお店にお邪魔してきました。そんな「patisserie AKITO」の看板商品「ミルクジャム」に、今ハマっています。

「patisserie AKITO」(以下「アキト」)のオーナー田中哲人さんがパティシエになったのは、「神戸ポートピアホテル」での勤務がきっかけです。料理人の世界を目指して入社したホテルで製菓部門に配属され、そこから田中さんのパティシエとしての人生が始まりました。「食べることは好きでしたが、それまでケーキなんて一度も作ったことはありませんでした。けれど、スイーツ作りに携わる中でフランス菓子に興味をもち、各国の文化やスイーツの名前の由来、歴史を調べていくうちに、どっぷりと製菓の世界にハマってしまいました」と語る田中さん。

その後、「ホテル阪急インターナショナル」を経て、「ホテルピエナ神戸 菓子Sパトリー」へ。「ホテルの看板メニューになるものを」と、試行錯誤をしていた時に生まれたのが「ミルクジャム」でした。雑誌『BRUTUS』の「お取り寄せ&手みやげグランプリ」に、商品化前の試作品だった「ミルクジャム」を送ったところ、審査員を務めていた秋元 康さんが絶賛し、テレビや雑誌などのメディアからも注目が集まり、爆発的な人気となりました。

そして2014年に「ミルクジャムを売りにしたパティスリー」として、神戸の元町に「パティスリーアキト」をオープンします。現在は、エキゾ神戸三宮、エキマルシェ大阪にも出店しており、看板商品の「ミルクジャム」をはじめ、ケーキやプリン、シュークリーム、焼き菓子などのスイーツを販売しています。
「パティスリーアキト」の看板商品である「ミルクジャム」(950円/小瓶380円)は、兵庫県淡路島産の牛乳を使用しています。すべて手作業で、2時間ほどかけてじっくりと煮詰め、手間ひまかけて作っているのがこだわりとか。濃厚なミルクの風味が感じられるジャムは、まさに「ここでしか食べられない」唯一無二の味わいです。「いまはコンビニやスーパーに行けば、安価でおいしいスイーツがたくさんありますからね。僕たち菓子職人が差別化を図るには、効率化を追求するのではなく、あえて手間がかかることをやる。その分、一度に大量に作ることは難しいのですが、商品ひとつひとつをじっくり丁寧に作っています」と田中シェフ。芳醇な香り、濃厚なコク、とろけるような食感は、考案当初から,少しずつ改良が重ねられており、その時の最高の逸品をいただくことができます。最高の食べ方を聞くと、田中シェフ曰く「やはりパンにつけて食べるのが一番」。焼いていないふわふわの食パンにも、トーストしたカリカリの食パンにもとてもよく合います。定番の「ミルクジャム」はもちろん、ピスタチオやアールグレイなど味のバリエーションも豊富にあり、スタッフに声をかければ試食することもできるので、ぜひお気に入りのテイストを探してみてください(写真下)。
店内で、面白い形のジャムを見つけました。こちらの「2層ジャム」(1,200円)は、2種類のジャムを組みあわせたひと品です。食べる時には、まずは上の層にあるジャムの味を楽しみ、そのあとは真ん中で2種類のジャムを混ぜ合わせ、最後は下の層のジャムを食べれば、一度に3つの味が楽しめます。港町神戸のランドマークである「神戸ポートタワー」をイメージした鼓型のボトル(写真上)も素敵で、神戸土産にもぴったりですね。
「アキト」が作るスイーツのようなミルクジャムには次のような特徴があります。

山と海に囲まれた自然豊かな兵庫県淡路島産の牛乳を使用しています。


大きな銅鍋で2時間かけてじっくり煮詰めて手作業で作ります。


味はキャラメルに近いですが牛乳を煮詰めることでミルクのコクが出ます。濃厚な味となめらかさが特徴的です。
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まずはパンに塗って食べてみてください。相性が抜群ですよ。
このお店で修行された「Ciistand」のご主人は、毎日この「ミルクジャム」の瓶詰め作業をせっせとやっておられたそうですよ。彼女が最近島根県産のレモンを使って「レモンジャム」(1,000円)を作ったというので、早速いただいて帰りました。カリカリにトーストしたレーズン食パンに先ほどの「ミルクジャム」を塗った上に、重ねてこの「レモンジャム」を塗って食べています。実に最高です。♥♥♥
決意する
昭和40年頃、京都の中小企業経営者たちが集まった講演会に招かれた故・松下幸之助(まつしたこうのすけ)さんが、「ダム経営のすすめ」についてお話しをされたことがありました。「ダム経営」というのは、川にダムを作り水を貯めるように、企業も余裕のある経営をしよう、という松下さんの持論でした。
堰き止めたダムの水によって干ばつがしのげるように、会社経営にも資金や設備あるいは在庫といったさまざまな面に「ダム」があれば余裕のある経営ができる、というのが松下幸之助さんの「ダム経営理論」です。講演終了後、質疑応答の時間となりました。400人ほどいた経営者の中の一人が、松下さんに質問します。「松下さんのおっしゃるとおり、余裕があればそれにこしたことはないが、我々はその余裕がないから困っているのだ。どうしたら余裕が出来るんか、それを教えて欲しい」 すると松下さんは少し考えた後で、こう答えました。「そうですなぁ。簡単には答えられませんが、やはりまず大切なのは、ダム経営をやろうと思うことでしょうな」この答えに、会場では聴衆から拍子抜けしたような失笑がもれます。もっと具体的な回答を期待していた経営者たちにとっては、「な~んだ」ということだったのでしょう。
しかしその時、思わず身体に電流が走り、身の震えるような感動と衝撃を受けた人物が会場にたった一人だけいました。故・京セラ名誉会長の稲盛和夫(いなもりかずお)さんです。当時の京セラは、まだ創業から数年しか経っておらず、稲盛さんは今後の経営に大きな悩みを抱えながら、この講演会に参加していたのでした。「そうか、まず思うこと、信じることが何にもまして肝要なのだ。その思いが経営に反映されるのだ。松下さんも今までそうしてきたからこそ、今日の松下電器があるのだ…」「そのとき、私はほんとうにガツンと感じたのです。何か簡単な方法を教えてくれというような生半可な考えでは、経営はできない。実現できるかできないかではなく、まず『そうでありたい、自分は経営をこうしよう』という強い願望を持つことが大切なのだ、そのことを松下さんが言っておられるんだ。と、そう感じたとき、非常に感動したんです」 やはりすごい人は違いますね。
稲盛さんは、松下さんのこの一言によって、経営に対する信念を根本から思い直したと言います。400人の経営者が同じ話を聞いています。しかし、そのように受け取った人はたった一人しかいなかったと言ってもいいでしょう。稲盛さんには、そのように受け止めるだけの力量があったということです。この後の京セラの飛躍的な発展は、改めて説明する必要もないでしょう。
私は、何ごとによらず、それをなし遂げるために最も大切なことは、まずそのことを強く願うというか、心に期することだと思うのです。なんとしてもこれをなし遂げたい、なし遂げなければならないという強い思い、願いがあれば、事はもう半ばなったといってもいい。そういうものがあれば、そのための手段、方法は必ず考え出されてくると思います。 ―松下幸之助『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』(PHP)
松下さんは言います。「なあ、きみ、人間の心は広がればなんぼでも広がっていく。縮まればなんぼでも縮まって、しまいには自殺までしてしまうんや。それはどの間を大きく動くわけやね。だからどんどん知恵が出ておるときには、非常にいい知恵が出る。しかし知恵が閉ざされてくると、どんな知恵も出ない。それで失敗してしまう」そのような特質を、人間の心は持っているのです。心が変われば行動が変わり、成果が変わります。さて今、私たちの心は、風の音を聞いても悟ることができるほど、問題意識を持っているでしょうか?活き活きと動いているでしょうか?
松下さんは、「何としても二階に上がりたい、どうしても二階へ上がろう、この熱意がハシゴを思いつかせ、階段を作り上げる」と、「熱意」の大切さを語っていました。今できないものを何としてでも成し遂げようとすることでしか、高い目標を達成することはできないのです。
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生徒:「八幡先生、僕、「共通テスト」で100点を取るにはどうしたらよいでしょうか?」―――八幡:「そうですなあ。簡単には答えられませんが、やはり、まず100点を取ろうと思うことでしょうな」〔笑〕
最近ある公立高校で、難関大学合格に向けた指導のヒントを教えていただきたい、という講演を先生方にしたんですが、これに対しても「そうですなあ。簡単には答えられませんが、やはり難関大学に合格させたいと思うことでしょうな」と答えます。♥♥♥
「ジェットストリームシングル」
昨年3月、ジェットストリーム(三菱鉛筆)に、よりかろやかな書き心地の新型「ジェットストリームシングル(ライトタッチインク搭載)」が出た、との噂を聞きつけて、文具好きの八幡は早速入手してきました。王者・ジェットストリームは「低粘度油性ボールペン」の先駆けで、「クセになる、なめらかな書き味。」のキャッチコピーで、世界中で大好評のシリーズです。従来のジェットストリームのサラサラ感、しっかりとした濃さなど、良い点を引き継ぎながらも、より軽く、よりサラサラ書け、ストレスが減るように新開発されたインクが、この「ライトタッチインク」です。この新インクは試行錯誤を繰り返しながら数年かけて開発したといいます。初代のジェットストリーム発売が2006年ですから、18年を経た新シリーズとなります。以下は「文房具の八ちゃん」の詳細レポートです。
「シングルボールペン」は、事務的な印象を受ける今までと違い、プレーンなデザインと爽やかな印象を受ける、流行のパステルカラーを合わせて、女性にも受けやすいおしゃれなデザインになったと思います。特に、グリップ部分もボディ同色にすることで、野暮ったさをなくしており、疲れにくさにも考慮されており、秀逸です。しかも、よくよく見ると、グリップ部が少し太く設計されており、その辺の持ちやすさもよく考えられています。それだけではありません。クリップ部分も改良され、よりしっかりホールドしてくれるだけでなく、根元の取り付け位置が変わったため、胸ポケットなどに差した時に出っ張る部分が少なくなり、よりスマートに見えるようにもなっています。細かな点にまで気配りがなされています。仕事にもプライベートにも馴染みやすい、丸みのあるボディデザインで、カラーラインナップも周りの風景や雑貨に溶け込む優しくナチュラルな色合いが揃っています。クリップにまで同色のシームレスな洗練されたデザインは◎です。
今までの無骨さはまるっきりなく、非常に可愛らしく、シンプルなフォルムになっています。それでいて本体自体も軽く、実用性におしゃれさ・使いやすさを加えた、非常にコスパに優れた一本になったと思います。それだけでなく、本体自体も従来版よりも短くなっていて、携帯性にも優れています。このように、女性がオフィスで使ってもおしゃれだと思えるボディに、軽い身のこなし(書きやすさ)で、選んで・使い倒して間違いない、本命の一本だと感じました。ノック棒には筆記時の振動や異音を抑える機能を搭載しており、より心地よく使える工夫を施しています。クリップは手帳や胸のポケットにすっきり収まるように、飛び出し部分がすくなくなるような形状を追求しており、細かな改良が施され、みんなに愛される存在になっています。
書き出してみて、思うのは「本当に軽い」です。ボディが軽いとかそういうことだけではなく、油性ボールペンを思わせないくらいスラスラ書けます。この感覚、元々通常のジェットストリームでも感じるものでしたが、今回の新モデルは「ライトタッチ」の言葉通り、今まで以上に軽く書ける感じがあります。水性ボールペンのようなスラスラ感ともまた違い、なんというか、本当に「軽い」です。書き味のいい上質な紙に、上質な鉛筆で書いているような感覚でしょうか。それでいてジェットストリームらしく色も濃く、低粘度油性ボールペンの一つの完成形のように感じます。
「よりかろやかな」というキャッチフレーズには、もう一つ重要な改善点がありました。「紙すべり」の軽減です。ジェットストリームはなめらかすぎて、紙によっては滑ってしまい、かえって書きづらいという現象が起きて、苦手だというユーザーが一定の割合でいました。よりかろやかな書き味にするために、この「ライトタッチ」が発売されたのです。未来の定番を目指し、「クセになる、なめらかな書き味。」を実現する、世界初の画期的なインクシリーズから、よりかろやかな書き味の『JETSTREAM Lite touch ink』を新開発。従来のインクよりさらに筆記抵抗を減らし、よりかろやかな書きごこちを実現しました。またインクのボテや紙すべりをさらに改良し、よりストレスの無い安定した筆記を提供します。時代や環境により「書く・描く」シーンが多様化する中で生まれた、ジェットストリームの新しい選択肢です。
筆記時に振動や異音を抑えたノック棒、ポケットに挿した時に収まりのよいクリップ形状など、使い心地にもこだわりました。このインクでしかできない表現があるので、それを知ってもらう企画を色々と考えています。気軽に試して、既存のジェットストリームと書き比べてみてください。(商品開発部)
ここまで書くと、いいことばかりなのかと思いますが、個人的に気になる部分もあります。それは、「従来比で色が薄い気がする」「軽すぎる故、力を入れて書けない」という点です。色に関しては、従来のものと黒色で比べると、今回のほうが少し黒さは薄いように感じました。世の中の評価を見ていると、むしろ濃くなったという話もありますので、ペンの太さや紙など、状況にもよるのかもしれません。次に、力の問題ですが、特にマルチだと顕著なのですが、ボディも含めて軽い分、剛性感が薄く、とても力を入れて書けません。「日本語を美しく書く」ために強弱をつけて、止め・はね・払いを意識して書こうとすると力が入りますが、そうするとなんとなく折れそうになります。
今回のライトタッチインクは、ジェットストリームの良さを活かしながら、現代のニーズにピッタリ合ったものにうまくアップデートされているな、と思いました。シンプルで使う人・シーンを選ばないデザイン、サッと書くのに適した軽い書き心地など、コンセプト通りの製品になっています。さすがですね。発売後の反響は予想を上回るものでした。ただし、先述の通り、少し軽すぎる印象はあるので、ゲルインクや水性インクのようなサラサラ感より、油性ボールペンならではのねっとりとした感じを好む方は従来型の方が好みになると思いますので、その点はご考慮ください。このように、なかなか面白い一本となっていますので、ぜひ一度体感してみてください!なお、ライトタッチインクの芯(リフィル)はそれぞれ(0.7mm、0.5mm共)一本132円で買うことができます。私のお気に入りの色は限定色の「ブルーブラック」のインクです(写真下右)。
ちなみにこのボールペンは「2024年Bun2大賞」で第3位を受賞しています。『文具屋さん大賞2025』(扶桑社ムック、2025年2月)では「機能賞」を受賞しました。また、文具王・高畑正幸さんがスポンサーとなって開催している、お気に入りのボールペンを選ぶ「第14回OKB48総選挙」(投票期間:2024年10月1日~12月31日)では、絶対王者「ジェットストリーム スタンダード」(三菱鉛筆)が第1位で14連覇を達成し、今回ご紹介した「ジェットストリーム シングル(Lite touch ink搭載)が第2位に輝きました。当面「ジェットストリーム」の栄華は続いていくのでしょう。恐るべし!「ジェットストリーム」!!♥♥♥
小倉総合車両センター移転
JR九州は2024年7月24日に、同社の車両工場「小倉総合車両センター」(北九州市小倉北区)を移転する、と発表しました。開設からすでに130年以上が過ぎていることから別の場所に新しい車両工場を建設し、施設や設備の老朽化に対応するとのことです。移転先は同じ小倉北区内の東小倉駅。小倉駅から約1.8kmほど門司寄りにあるJR貨物の貨物駅ですが、2002年に営業を休止しています。JR九州はJR貨物から東小倉駅の用地を取得し、「小倉総合車両センター」の機能を移転する考えです。私は昨年の3月にJRのツアーでこの地を訪問してきました。

▲私が訪れたJR小倉総合車両センター
JR九州は新しい車両工場の基本コンセプトとして、「新技術の導入及び効率的な検査ラインの構築によるコンパクトな車両基地」や「検査日数の短縮及び省人化による効率的な車両検査の実現」などを挙げています。敷地面積は現在の「小倉総合車両センター」が約15万8,000平方メートルに対して(「みずほPayPayドーム福岡」3個分)、移転候補先の東小倉駅はおよそ半分ほどの約7万8,000平方メートル。2031年度末ごろの完成を予定しています。投資額の想定は約480億円。今のところ、現在の「小倉総合車両センター」跡地の用途については検討中です。
「小倉総合車両センター」は、JR九州が保有する全ての在来線車両を対象に、車両の検査や製造、改造などを行っています。1891年(明治24年)、門司まで開通した九州鉄道の車両整備工場として開設されました。創設当時はたった60人程度の小さな工場でしたが、1907年の九州鉄道の国有化で国鉄の小倉工場になり、1987年の分割民営化でJR九州の車両工場になっています。この地に工場が立地されたのは、敷設を予定していた日豊本線の起点であること、車両の陸揚げを行う港が近いこと、蒸気機関車の燃料である石炭の産地が近くにあったことなどが理由でした。最初は、海外から輸入した車両部品の組み立てを主な業務としていましたが、やがて業務を拡大していき、D51、「ゆふいんの森」「SL人吉」「指宿のたまて箱」「ななつ星in九州」など、JR九州特有の個性的な車両も数多く手がけています。2011年の組織改正で現在の名称に変わりました。昨年2024年で開設から133年になり、全国有数の規模を誇る車両工場に成長しましたが、施設や設備の老朽化が課題となっていました。現在はJR九州の社員約140人、グループ会社を含めると1,000人以上の従業員を抱え、おおよそ1,700両の車両の検査や修繕を引き受けています。技術力の高さは海外にも知れ渡っており、インドネシア国鉄へ技術者を派遣するなどもしています。
このJR九州の「小倉総合車両センター」には、普通一般人は立ち入ることはできませんが、JRの限定ツアーで入場することができます。日本における鉄道開業150年を迎えたことを記念し、この地には「小倉工場鉄道ランド」が2022年4月23日にオープンしているんです。私も早速訪れてきました(⇒私の詳しい訪問記はコチラです)。ここでは、2022年に開所50年を迎えた「ドーンデザイン研究所」の主宰者・水戸岡鋭治(みとおかえいじ)先生の作品を一堂に集めたミュージアムやショップ、小倉工場の歴史の展示、「小倉総合車両センター」の社員が今も利用する現役の「つばめ食堂」での昼食などを楽しむことができます。また200点以上のデザインパネルや試作した家具、ボールプール、ブランコ、新幹線用の実物シートが配置され、小さな子ども向けのミニトレインと三輪車も用意されています。オリジナル・グッズの販売もショップで行われていました。ここは現時点では、JRの限定ツアーでのみ公開されており、全国の鉄道ファンが憧れる聖地でもあります。♥♥♥
柴田紘一郎先生ご逝去
尊敬する医師の柴田紘一郎(しばた・こういちろう)先生が、2月19日にお亡くなりになりました。84歳でした。宮崎大宮高校から長崎大学医学部に進学し、長崎大医学部を卒業後、30歳代の頃(1971年~1973年)、同大熱帯医学研究所員としてケニアに渡り、過酷な環境下で医療活動に従事しました。そのケニアでの経験や思い出を聞いて、親交のあるシンガーソングライターのさだまさしさんが作詩・作曲したのが楽曲「風に立つライオン」です。この曲のモデルになった先生です。柴田先生は、さださんが設立した慈善活動を支援する「風に立つライオン基金」の永久名誉顧問にも就任しておられます。さださんは「半世紀以上のお付き合いでした。大好きな、素晴らしい兄貴でした」と追悼のコメントを寄せました。
生前、柴田先生は、ケニアでの経験は、医師として自分がどうあるべきか、また患者とどう向き合えばいいのかにつながっていると話しておられました。
「医者が患者から奪ってはいけないもの。それは命ではない。心なんだ『希望』なんだと。命が心につながってきますから、その心を大切にするような医療を続けていきたいし、そういう今からの医療であってほしいなと」
かつて英語を教えていた松江北高二年生(当時)の安樂万智子(あんらくまちこ)さん(現在は薬剤師として活躍中)を、中国ブロック代表として、2013年8月22日(木)、宮崎市民ホールで開催された「第33回高校生英語弁論大会」(全国国際教育研究協議会主催)に引率しました(全国第4位⇒コチラに詳しく)。そこで私はこの柴田先生と「運命的な出会い」をすることになります。この大会のゲスト講演講師に、あの柴田紘一郎先生がいらっしゃったのです。さらに運命とは恐ろしいもので、安樂さんのお父さんは、当時「松江日赤」のお医者さんだったんですが、長崎大学の学生時代に、柴田先生に直接ご指導を受けておられたのです。こんな偶然って本当にあるんですね!そんな不思議なご縁で、私も柴田先生とお知り合いになることができました。宮崎から帰ってから、後日先生に講演のお写真をお送りしたところ、丁重なお礼状もいただきました。また、このブログも見ていただき、身に余るお言葉をいただくことができました:「先生のホームページも拝見させていただきましたが、英語科の教師としてすばらしい英語教育に、またあまたの一般事象への高いご見識を常に発信されている姿勢に感銘いたしました。」(柴田紘一郎)
さだまさしさんのコンサートでは、いつもアンコールに歌われることの多いこの曲の壮大なスケールとエネルギーに圧倒されるばかりでしたが、柴田先生は「僕もいつか風に立つライオンのようになりたい」と謙虚です。「まさしさんはこれは僕の歌だと言うけど、これは『風に立つライオン』という歌であって、自分はこの歌のヒントになったに過ぎない。だけど僕はあなたの描いたライオンに一歩でも近づくために、これからもがんばっていきます」と、実にカッコいいのです。映画化の際のさださんのコメントです。
ケニアにある長崎大学熱帯医学研究所から帰ってきたばかりの柴田紘一郎先生に出会ったのは僕が二十歳の頃です。40年以上も昔のことです。
彼の語るケニアを聞き、その言葉のひとつひとつに憧れ、いつか歌にしたいとプロの歌い手になってからずっと思っていました。そして、ようやく15年かけて自分なりのケニアが身体の中に育ち、「風に立つライオン」という歌ができあがりました。
歌い続けるうちに、その歌は驚くほど多くの人達の心に強く働きかけるようになっていきました。この歌を聴いて医療従事者を志したり、青年海外協力隊に参加する若者がたくさん現れました。日本を離れ、海外で頑張っている医師も少なくありません。また、ある女性 はケニアでマサイ族の勇士の夫人となりました。少しずつ、沢山の人々の人生を変えていきました。そんな歌を僕は他に知りません。
大沢たかおさんもこの歌を愛してくれる一人で、彼の熱い思いによって、ついに映画になりました。
自分で作った歌というより、神様にいただいた歌なのだと感じていますが、これほど多くの方に愛され、影響を与えた歌を書いたという責任も感じていますし、少しでも海外で頑張っている人達の応援をしたいという思いで、今回、28年振りに歌い直したシネマ・ヴァージョンを配信でリリースして、売上の一部をチャリティとして寄付することにしました。
再録にあたり、新たに渡辺俊幸くんにリアレンジしてもらいました。元々8分半もある長い曲なので、映画の主題歌としてエンドロールで使っていただくには長すぎると思い、短くするつもりでしたが、オーケストラを使ったより雄大なアレンジになり、逆に40秒も長くなってしまいました。にもかかわらず、三池監督はフルコーラス、エンディングの一番いいところで使ってくださり本当に感激しています。ただ、映画に感動して泣きたいのに、自分の歌を聴いて泣いているように思われるのは嫌なので、できれば映画は、誰もいないところで、一人きりで見たいなとつくづく思います。(さだまさし)
医師を目指した理由を聞かれると、「非常に月並みですよ。何も変わったことは思っていないんですよ。小学校一年生の頃、親同士が国鉄ということで仲がいい女の子がおったんですよ。その女の子のお父さんが五右衛門風呂に入とってですね、板から出ていた釘が足に刺さって、七日後に死んだんですよ。今でいう破傷風ですね。まあ、元気で身近な人がいきなり亡くなると、悲しいですよね。皆さんと一緒で、非常に月並みな理由なんですよ。子供心に、非常に悲しかったんですよ。」と。さらに医者の良い点、悪い点を聞かれると、こう答えられました。
医者の良い点というのは、我々はどこにいても、例えば無医村にいても都会にいても、相手となる患者さんというのは尊厳価値においては同一じゃないですか。どういう所にあっても全力で仕事ができるというところでしょうか。悪い点は、医者の中には“自分が治している”と勘違いしている人がいる、ということでしょうね。患者さん自身が治ろうと、治そうとしているのに、医者はそれを神様と共にちょっと手助けするだけなのに、“自分が治している”と思い上がった心を持ってしまう…。まあこれは僕だけの意見ですけどね。
「理想の医者」を聞かれると、「僕の独断と偏見ですけど、臨床医は芸者ですよ。患者さんは心身ともに悩んでいるのですから…。医者は常に向学心を持ち、芸の心をもって、患者さんに尽くすこと。これが理想ですね。」と。
柴田先生が若い頃の、ガン患者の奥さんの話が映画の中にも出てきました。これは実話です。肝臓ガンが見つかりすぐに処置しなければ危険な若い奥さんが、「大学病院にしか入らない」と言い張ります。当時病院のベッドが一杯で、ベッド一つ空けられないくらいのペーペーの頃の柴田先生は、自分の信頼する他の病院を世話しようと、再三再四、自宅に足を運んでまで入院を説得。でも、その奥さん、頑なに「ベッドが空くまで待つ」と言い張り、二ヶ月経ち、三ヶ月経ち、半年が経ち、結局、手遅れで亡くなりました。柴田先生は、周りの反対を押し切り、よせばいいのに、責任を感じ、その奥さんの通夜に行くのですが、お焼香もさせてもらえません。悲しみに怒り狂う旦那さんが「お前が家内を殺した!」と罵倒、「力足らずで申し訳ありませんでした」としか言えませんでした。その重荷を生涯、ずーっと心に抱き続ける、そんな素敵な先生です。
毎年、教え子の多くが医学の道を志します。彼らに柴田先生の大好きな一言を贈ります。自戒したいですね。
突然の事故。救急車で運ばれ、病院到着。
ドクター、ナースの顔を見てホッとする私に
「最悪だよな」
「先生と当直すると最悪の患者ばかりですね」と一言ずつ。
そんな中、「もう大丈夫ですから頑張ってくださいね」
看護学生のその一言に、
思わず涙が一粒こぼれた。 (児島美恵子)
柴田先生はこうおっしゃいます。「医療に携わって何年か経つと、どうしてもこのドクターやナースのように思う日が出てくるんですよ。僕だってそうですよ。でも、それじゃあいかんと…。初心を忘れるなとは、このことなんですよ。あなた方は今、ここに出て来る看護学生と同じ立場なんです。その気持ちをずっと忘れないでほしい。僕が言いたいのは、ただそれだけなんですよ」――「初心忘るべからず」ということですね。
そして2015年、大沢たかおさんの主演で「風に立つライオン」が映画化された際には、宮崎市清武町の介護老人保健施設で、施設長を務めておられた柴田先生から「映画館に5人連れて行くように」との指示が届きました〔笑〕。多くの人を「松江東宝」(現在閉館)に案内して、約束を果たしました。実に感動的な映画でした。人生にはこうした不思議な運命・偶然の出会いというものがあるのです。映画を見終わって館内が明るくなって帰ろうと立ち上がった時に、私の席の後からいつもお世話になっている高梨泰至先生(高梨眼科)ご夫婦に声をかけられてビックリしたのもいい思い出です。♥♥♥
「着たきり雀」
最近はあまり聞かなくなったことばですが、 「着たきり雀」 ということばは、私が子どもの頃の昭和30年代には、よく聞くことばでした。いつも同じ一着の服ばかり着ている人、まあ、要するにその一着しか着るものがないわけですが、そういう人をからかう言い方として 「着たきり雀」 ということばが使われていました。使い方としては、「旅行中の荷物を減らすと、『着たきり雀』になってしまう」「父親が『着たきり雀』のため、新しい服をプレゼントした」です。
それ以来何とも思っていませんでしたが、今になってこのことばを突然思い出してしまい、そういえばなんで 「雀」 だったんだろう?と不思議に思ってしまいました。雀の体色や模様がいつも同じだから、って言うのなら、雀に限らず、ほとんどの動物はみなそうです。「着たきりツバメ」 「着たきりハト」 「着たきり牛」 「着たきり猫」 「着たきり犬」だってよかったのです。調べてみると、なんのことはありません、これは童話の 「舌きりすずめ」 の語呂合わせで作った言葉だったのです。「したきり」 を 「きたきり」 ともじっただけのことなのです。子どもの頃は、ある意味ではみんな 「着たきり雀」 だったと思います。中学や高校は、だいたいは男子は黒の詰め襟の学生服 (今でいう学ラン)、 女子はセーラー服でした。学校以外でも、ちょっと改まったところへ行く時は、学校の制服が正装とみなされていました。それ以外に何を着たことがあるのか、思い出せません。夏の暑い時期は、白いワイシャツだったと思います。そこへいくと,今の中学・高校生は、学校では制服があったとしても、それ以外では、いろいろとバラエティに富んだ服装ができて羨ましいかぎりです。
私の尊敬する故・渡部昇一先生の通われた上智大学は共学ではなかったので、女性の目を意識せずに済み、服装を気にする必要もなく、大学時代は、学生服一着の「着たきり雀」で、履き物は破れた軍靴一足だけで、紐でしばってはき続けるような徹底した貧乏生活をしておられました。学生というのはどんなオンボロを着ていても構わないんだという考えに甘えて、非常にだらしない格好をした時期があった、と反省しておられます。当時は「明治以来、書生は弊衣破帽が美徳だ」と思っておられたのです。服装というのはだらしなくした方が手がかからないし、お金もかかりません。そんな学生時代に、アメリカ留学の話が持ち上がりました。昭和25年頃のアメリカ留学といえば、今では想像もできないぐらい難しく、かつ光栄なことでした。成績・品行・健康などの点では最も有利な候補者であった先生は、当然成績トップの自分が選ばれるものと思っておられました。ところが「渡部は社交性がない」という理由で、別の学生が選ばれたのです。貧乏学生で服装はいつも「着たきり雀」、喫茶店などに入る余裕もなく、勉強勉強の生活です。遊んでいる暇などありませんからね。服装を構うことはありませんでした。そんな様子を、アメリカ人教授は「非社交的」と判断したのでした。アメリカ人の感覚では、こんな服装のだらしない者を留学させるわけにはいかない、ということだったのです。それでも先生は腐ることなく、ひたすら全科目百点を目指して勉強を続けられ、ドイツ留学の栄誉を得られたのでした。♥♥♥
前刀禎明「自分らしくあれ」
前刀禎明(さきとうよしあき)さんは、ソニー、ベイン・アンド・カンパニー、ウォルト・ディズニー、AOLなどを経て、ライブドアを創業。スティーブ・ジョブズ氏に日本市場を託され、アップル米国本社副社長 兼 日本法人代表取締役に就任。独自のマーケティング手法で「iPod mini」を大ヒットに導き、危機的であったアップルを復活させました。現在はリアルディア代表取締役社長で、ラーニングプラットフォームの開発、コンサルティングなどを手がけておられます。私の尊敬する企業人です。
話は今からちょうど12年前にさかのぼります。2013年1月末のことです。松江北高の図書館に放課後、山陰合同銀行から電話がかかってきました。ちょうどベネッセの担当者が二人ほど職員室にお見えになっており、お話をしている最中のことでした。山陰合同銀行で前刀禎明(さきとうよ
しあき、(株)リアルディア社長)さんを講演にお招きした際に、私への色紙をことずけてくれと預かっている、というお電話でした。当時、前刀さんは、「めざましテレビ」(フジテレビ系)に「さきつぶ」というコーナーをお持ちで、毎朝楽しみに見てから学校へ登校していたのです。そのコメントは他の評論家とはひと味もふた味も違う明確かつ深いもので、いっぺんに好きになりました。前年には『僕は、だれの真似もしない』(アスコム、2012年)という著書を出版され、私もこのブログで取り上げさせていただいたばかりでした。前刀さんはその記事を読んでいてくださって、松江にいらした際に、私に色紙をことずけてくださっていたんです。憧れの方から私に色紙が、と考えただけで、電話口で奇声を上げて喜んだのを、今でも覚えています。当時部屋にいらしたベネッセの営業の人たちもびっくりしたことでしょう。その講演会の企画担当をなさった方のお嬢さんが、松江北高に通っているということで、ことずけてくださったのです。それが写真下の私のお宝の色紙です。「自分らしくあれ」とありますね。その時は喜びのあまり、「八幡は八幡らしくありなさい」という意味のことかな、程度にしか考えていなかったんです。

2016年に、前刀さんが『5年先のことなど考えるな』(PHPビジネス新書)という新刊書を出されました。私は前刀さんの熱狂的なファンですから、ご著書は全部読んでいます。その本を読んでいて、以前にいただいた色紙の「自分らしくあれ」という言葉の真意がようやく分かりました。
僕の中で、「せねばならぬ」や「世間の常識」に囚われない人の究極の姿がいくつかありあります。
『浮浪雲(はぐれぐも)』というジョージ秋山さんの漫画をご存知でしょうか。この漫画の主人公の生き方は、文字通り大空にぽっかり浮かんで悠然と漂う雲のように自由で、将軍様からも認められた”公式の自由人”という設定です。彼は何にも束縛されず、他人に何を言われようと気にしません。あれこそ、僕が理想とする姿です。
また、アップルを率いたスティーブは「Think different.(人と違ったことを考えろ)」というコピーを残しました。でも、スティーブ自身が自分のことを変だと思っていたかというとそんなことはなくて、本人は自然に振舞っていたんです。ただそれが大多数の普通の人の目に、変に見えていたというだけ。スティーブが本当にいいたかったのは「人と違うことを気にするな」ということなのだと思います。
「前刀さんなら、Think different.をどう訳しますか?」と尋ねられたとき、だから僕は「自分らしくあれ」と訳しました。我ながらいい意訳だと思っています。自分らしくある、ということは、人の意見を気にしない、ということでもあります。言葉を選ばずにいえば、少なくとも僕は、人の意見なんてどうでもいい。だから世の中のいろんなものに興味がない。人がいいといっているからよく思える、というのが僕という人間にはありません。 (pp.126-127)
「自分らしくあれ」―そういう意味だったんですね。前刀さんはご講演に使われるプレゼンのスライド1枚1枚にも、ものすごいこだわりを持っておられることも書いてありました。0.1秒単位でテロップをコントーロールすることも苦にならないそうです。まさに職人技ですね。どの
くらいのスピードで文字を表示していくと臨場感が出るのか徹底的に研究して、音楽をどこで流せば効果的か、ベストの表示方法とスピードを探っておられるとか。講演用のスライドづくりには、講演時間の優に10倍の時間を割いておられるのも分かりますね。これらすべてが「自分らしくある」ための真摯な追求であることがよく分かります。そういえば、3年前にお電話をくださった山陰合同銀行の講演の企画担当の女性が、「今までに見たことのない講演だった。あのプレゼン資料のすごさには感動した」とおっしゃっておられたのを思い出します。普通の人は利用できるデータを分析して、そこまでで止まってしまいます。前刀さんは、そこから“So what?”(それでどうした、それが何なんだ)と自問します。そこからが勝負だというのです。「これは自分にしか言えないことか?」「自分らしい視点が入っているか?」と自分に問いかけながらカメラの前に立つとおっしゃいます。「見る」「視る」「観る」「俯瞰してみる」を使い分けることが大切だと力説されます。これが前刀流のプレゼンの極意なんでしょう。一度ぜひ私も、前刀さんの講演を聞いてみたいと思っています。最近のインタビュー記事でこんなことを語っておられました。なるほど。
“模索”っていうと、探している答えが必ずどこかあるというニュアンスですが、僕はこういうとき、正解は“創るもの”だと思っているんです。だからビジネスにおいても、“未来予測”ではなくて“未来創造”だと思っています。平成から令和に変わるときに、街頭インタビューでメディアがこぞってしていたのは『あなたは令和がどんな時代になってほしいと思いますか?』という質問でした。あたかも令和という時代が天から降ってくるかのように、時代は与えられるものであるかのように。そうじゃなくて、本当は『あなたは令和をどう生きたいと思いますか?』とか『令和をどんな時代にしたいですか?』と聞かなきゃいけない。一人一人が主人公で、当事者意識を持って動いていく結果が、時代の未来。未来は創っていくものだという感覚が僕にはあるんです。未来は自分次第。自分の人生を自分でコントロールできないなんてつまらないじゃないですか。
私が早朝楽しみにしていた「めざましテレビ」のコーナー「さきつぶ」の最終回ににおいて、前刀さんはクリエイティブに生きるため、そしてセルフイノベーションを起こすために、3つのシンプルな原則をお話しになりました。(1)「~もんだ」をやめる。(2)子供になる。(3)自分を信じる。「○○はこういうもんだ」という常識や前例にとらわれることなく、理屈も損得勘定もない純粋な子供のように好奇心の赴くままにチャレンジする、そして自分を信じ、自分の考えに自信を持つことの大切さを喚起されたのです。アップルの日本社長時代に「アイポッドミニ」を日本で爆発的ヒットを成し遂げた途端、スパっと辞職され、自分のやりたい夢の追求に邁進された方です。このように、前刀さんの生き方には勉強させられるところがいっぱいあります。詳しくは次のご著書を読んでみてください。きっとハッとさせられると思いますよ。改めてお宝の色紙をいただいたことを、前刀さんにお礼申し上げます。❤❤❤
前刀禎明『僕は、だれの真似もしない』(アスコム、2012年) 前刀禎明『人を感動させる仕事 僕がソニー、ディズニー、アップルで学んだこと』 (大和書房、2013年) 前刀禎明『心が動く伝え方』(KADOKAWA、2015年) 前刀禎明『5年先のことなど考えるな』(PHPビジネス新書、2016年) 前刀禎明『とらわれない発想法 あなたの中に眠っているアイデアが目を覚ます』 (日本実業出版社、2017年) 前刀禎明『アップルは終わったのか?』(ゴマブックス、2017年) 前刀禎明『学び続ける知性 ワンダーラーニングでいこう』(日経BP、2021年)































