ブラザー・ジョン・ハーマン

 カード・マジックをやっている人であれば、この「ブラザー・ジョン・ハーマン」(Bro.John Hamman、1927-2000)という名前を知らない人はいないでしょう。そうです。カード・マジックの世界では基本中の基本技法「ハーマン・カウント」「ジェミニ・カウント」「フラシュトレーション・ムーブ」などの考案者です。もちろん技法だけではなく、有名な作品をいくつも発表しておられます。「ミスティック・ナイン」「マイクロ・マクロ」等のハーマンが生み出した優れた作品・市販トリックを82種類も集めて、1989年にリチャード・カウフマン(Richard Kaufman)が一冊の本としてまとめて出版しました。そのタイトルはThe Secrets of Brother John Hamman。プロのマジシャン達を唸らせた、数多くの作品が含まれていました。日本ではマジックランド小野坂トンさんによるその翻訳本が『ブラザー・ジョン・ハーマン カード・マジック』(東京堂出版、2007年)です(写真上)。さすが、トンさんで、日本語版だけの素敵な特典が付いてくるんです。82種類の作品の中にはトリック・カードを必要とする作品が多く含まれており、原著では自作する方針で書かれていましたが、これを作る手間がとても大変でなかなか実演に踏み切れない人も多かったのでないでしょうか?日本語版では25枚ものトリック・カードミニデック・ケースが付いてきますので、少しの手間暇ですぐに実演する事が可能です。全394ページの大冊です。

▲Brother John Hammanのトリックカード

 私は、ずっと昔に、デニス・ショーン(Dennis Shoen)が、ジョン・ハーマンのトリック・カードを独占販売していたことがあって、今はなきアメリカの老舗マジック・ショップのHank Leeから、直接にずいぶんと買い揃えた記憶があります(写真上)。こうしたギャフ・カードは自分で作ろうと思っても手間がかかって結構大変なんです。少し時間があったので、自宅の「蔵」に入ってみたら、昔のハーマンの作品が数多く出てきて懐かしくなりました。この人の作るトリック・カードは、手が込んでいるだけに、半端でないインパクトがあります。そして最後には予期もしない驚きが待っているのです。

▲アッカーマンのビデオ 大盤振る舞いで使用するトリックカードも付いている!

 メリー派(Society of Mary)のカソリック宣教師であった師は、ブラザーを名乗りました。師の登場によって、その後のカード・マジックの歴史に多大な影響を与えたのです。彼によって編み出されたもっとも有名な技法は、「ハーマンカウント」でしょう。とあるコンベンションにおいて名人と謳われたポール・ルポール師に才能を見いだされ、そのルポール師がハーマンの本を著し、世界的に有名になりました。彼の初期の名作としては「ミリオン・トゥー・ワン・チャンス」「テーブルを通り抜けるキング」「ミスティックナイン」などがあります。これらは高木重朗氏が金沢文庫から翻訳本を出しています。ディーラーズ・アイテムとしては「ファイナルエースルーティン」があります。実はこの手順こそが名人・ルポールを驚愕させたものであり、それまでのフォアエースの手順を凌駕するほどクリアなものでした。それを発展させたのがアレックス・エルムズレイであり、「アトミックエーセス」というタイトルで発表しておられます。スプレッドしたカード一組が、一瞬にしてミニカードに変化してしまうという「マイクロマクロ」も有名で、それらの進化形作品がその後、ジョン・ケネディトミー・ワンダージョニー広瀬、などさまざまな著名なマジシャンによって発表されています。またフーディーニ・マジックショップからは、若き日のハーマンのフィルム映像を名手アラン・アッカーマン(Allan Ackerman)師により解説と再現をしているビデオテープがトリック・カード付きで発売されて折渡は買っていました。連休中に自宅の「蔵」に入ったら、その2巻本のビデオと付属するトリック・カードが出てきて(写真上)、ずいぶん懐かしい思いをしました。時間があれば、久しぶりに遊んでいるビデオデッキに入れて見てみようと思っています。♠♣♥♦

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

公立トップ校の定員割れ

 少子化の影響で、全国の公立高校で定員割れが相次いでいます。私の住んでいる島根県でも、全日制では一般選抜の募集定員約3,200人に対し、約2,700人が志願。 競争率は0.83倍となっています。この傾向は毎年深刻化しています。島根県の西部のある公立高校は志願者ゼロでした。昨年は東京の日比谷高校が定員割れを起こして大きなニュースとなりました。今年2025年入試では複数の県で、最難関とされる県トップ校でも定員割れの学校が出ています。例えば、岡山県の岡山朝日高校と和歌山の桐蔭高校です。いずれも多くの著名人を輩出してきた名門伝統校です。また、鹿児島県では県内68校の公立高校のうち9割の61校で定員割れが起きています。大阪でも地域の進学校の定員割れが「寝屋川ショック」と話題になりましたね。これまで人気校とされてきた寝屋川八尾などでも倍率が1倍を切るなど、全日制128校のうち約半数の65校で倍率が1倍を下回りました。大阪府内の公立高校の令和7年度一般入試出願状況のうち、全日制の平均倍率は1.02倍でした。現行制度となった平成28年度以降の過去最低を2年連続で更新した格好です。府教委によると、所得制限を撤廃した令和6年度の志願者数は3万6379人で、倍率は1.05倍でした。令和7年度は生徒数減少に伴って募集人員を約1500人減らしましたが、それでも志願者数がそれを上回って約2400人減少しました。公立高校不人気の原因は、大阪府が独自に進めてきた所得制限のない授業料無償化の拡大に伴い、私立志向が高まっているためとみられています。それにしても、地方の公立高校でいったい何が起きているのでしょうか?

 岡山朝日は創立150周年を迎えた県内屈指の進学校です。藩校の流れを汲んで旧制中学を前身とし、卒業生では映画監督の故・高畑勲、小説家の小川洋子さんら各界に多才な人物を輩出しています。今年の入試では最終志願倍率で0.98倍と、現行制度で初の定員割れとなり、受験生は全員合格となりました。トップ校の倍率1倍割れという現実に、県内の教育関係者には衝撃が走りました。

 岡山朝日の定員割れについては、平成14年から登場した県立の中高一貫校が定着し中学受験へのシフト傾向があるのでしょう。また、今年の場合、前年度の志願倍率の反動が表れる「隔年現象」「問題の自校作成」の影響もあるのでしょう。岡山朝日は前年度の倍率が比較的高く、地元の教育関係者のなかでは、今回は下がるのではないかという予想があったといいます。岡山県内の公立高校は基本的に同じ問題で試験を行いますが、県内で唯一、岡山朝日高校だけは独自の入試問題で入学試験を行っています。1月の進路希望調査の時点では、岡山朝日の倍率が低くなることが想定できたといいますが、試験対策などの観点から、受験生がその時点から岡山朝日に志願変更はしにくかったのでしょう。ただ、あの岡山朝日が定員割れの状態になるとは誰も予想していませんでした。私は昨年、岡山朝日の校長先生が小学校を回っておられるという噂を聞いていましたので、あー、やはり危機感があったんだなと納得しました。

 また、和歌山県でもトップ校とされる桐蔭高校でも0.95倍と1倍割れ。県内の公立学校全体の出願倍率も0.86倍となっており、9年連続で1倍割れとなったといいます。さらに、鹿児島県では公立高校のうち、およそ9割が定員割れとなっています。県教育庁によると、今年の入試では公立高68校のうち、一部の進学校などを除く61校で定員割れが生じました。担当者は定員割れについて「少子化の影響が大きい。地域ごとに進学の選択肢を確保する必要があり、定員を大きく設定するので倍率は小さくなる」と説明しています。関係者の間でもこのままで良いのかという問題意識があるといい、今後、有識者検討委員会を立ち上げ、学校づくりの方向性などを議論する方針だそうです。

 島根県内の公立高校でも、難度が高いとされる「理数科離れ」が顕著になっています。県教育委員会が発表した2025年度一般入試の最終出願状況では、全ての5校(松江北、出雲、大田、浜田、益田)の理数科で定員割れし、うち4校は倍率が過去5年間で最低でした。これは新たに導入された総合入学者選抜(自己推薦型)の出願要件が高く設定されて「難しい」との印象が先行したのに加え、少子化のために大学入学のハードルが下がっており、そこまで勉強しなくていいのではとの意識が広がっている」と指摘する関係者もいます。伝統ある松江北高の普通科も学区制が撤廃されて以来、大きく定員割れする現象が続いています。「そんなにガツガツ勉強なんかせずに、のんびり過ごしたい。そして楽をして大学に入りたい」という近年の生徒の心情を反映した現象と私は見ています。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

「ei」か「ie」か?

 2月に英作文の添削をしていた女子生徒が、作文中にachieveという単語をacheiveと書いてきました。綴り字がie eiかは受験生がよく間違えるところです。みなさんは単語の綴りで、ieei(どちらも発音は/i:/「イー」です)か迷ったことはありませんか?ie/ eiの主だった単語を挙げてみましょう。全部意味が言えますか?どれも受験の必須語です。
believe, achieve, receive, deceive, perceive, shriek, niece, relief, conceit, grieve, priest, receipt, conceive, thief, belief, yield…  あー、もう一体どっちなんでしょうか?ここでそれを簡単に見極める方法(必殺技)をお教えしましょう。まずアルファベットを全部書いてみましょう。

    a b c d e f g h i j kl n o p q r s t u v w x y z

 次に、上の該当単語中のieei直前の文字に注目して下さい。believelですから、ieは左方向にあります。lから左の方に(←) i eの順で並んでいますからieです。receivecですから、eiの順で右側 に(→)並んでいますから、eiです。achieveの場合はhですね。すぐ右側に(→)i、そしてずっと離れて左側に(←)eですから、近い方から拾っていきieです。どうです。簡単でしょう。ぜひ他の単語にも応用してみてください。まずこのやり方で99%正しい綴りが分かるはずですよ。「ie/eiは直前の綴り字に注目ダ!」ということです。もちろん(例外)seize/si:z/はありますが。この話をしてあげた女子生徒は、今までこんなことは聞いたことがありませんでした、と感謝されました。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

「ばけばけ」

 2025年の秋から放送されるNHK連続テレビ小説は、明治時代の作家、小泉八雲の妻、小泉セツをモデルにした、「ばけばけ」です。113作目となる連続テレビ小説「ばけばけ」は、「怪談」などの著作で知られ、日本の伝統や文化を海外に紹介した明治時代の作家、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻の小泉セツをモデルにしたドラマです。武士の時代が終わった明治初期、松江藩の没落士族の娘が、世界を転々とした末に日本にたどり着いた外国人の英語教師と出会います。急速に西洋化が進み、人々の暮らしや価値観が変わっていく明治の日本で、夫婦は、埋もれてきた名もなき人々の心の物語に光を当てて語り継いでいきます。ドラマの舞台は、ヒロインが生まれ育つ島根県松江市から、熊本など各地に移り変わっていきます。今、松江市はロケ地になるということで、この話題でもちきりです(写真上)。

▲松江北高でのロケ風景

 前回、松江がロケ地になったNHKの朝ドラは「だんだん」(2008年~2009年)でした。(「だんだん」というのは出雲弁で「ありがとう」の意味です)。三倉茉奈・三倉佳奈さん姉妹が出演して大ヒットしたドラマでした。島根京都で別々に育った双子。それぞれ相手の存在を知らずに育った双子のめぐみのぞみがある日出会い、そして2人は、それぞれ医療と祇園の女将への道を進んでいくという筋書きでした。当時2人はまだ可愛らしいお嬢さんで、人気抜群でしたね。実は、松江市でテレビ・ロケが行われた時に、NHKから、松江北高にも協力要請が来て、撮影現場となったんです。当時総務部長を務めていた私は、教頭先生・生徒部長と一緒に、このドラマの撮影に協力をさせていただきました。30人ほどの松江北高生がエキストラとして出演しています。北高校舎へ登る坂道での自転車登校場面の撮影、生徒たちがグランドで戯れる場面の撮影、等々いろいろと思い出はありますが、一番思い出に残っているのは、北高4階の社会科教室(当時)で、担任の先生が通信簿を返却する場面・昼休みの昼食場面の撮影でした(写真上)。この教室の窓からは、真正面に国宝・松江城を見渡すことができ、絶好の撮影現場でした。北高生エキストラの諸君は、朝早くから登校し、見事に大役をこなし、NHKの関係者からはずいぶんお褒めの言葉をいただいたのを思い出します。

▲カラコロ広場の壁にあしらわれた後ろ姿の小泉八雲

 松江市末次本町「カラコロ広場」の奥にある石壁にヘルン(小泉八雲)の旅行カバンを持った後ろ姿のレリーフ上のレリーフ像を見て、県外からやってきた女子高校生たちが「あっ、寅さんだ!!」と叫んでいたのには思わず吹き出してしまいました。「カラコロ広場」の一角の石壁に刻まれた、松江ゆかりの作家・小泉八雲の後ろ姿のレリーフは、米国の画家ウェルドンが描いた挿絵をもとに作製されたものです。松江の島根県尋常中学校への赴任を命ずる辞令に、パトリック・ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn)Hearn(ハーン)「ヘルン」と表記したのが広まり、来日当初、ファミリーネームは「ヘルン」と呼ばれていました。ちなみに「カラコロ」とは、小泉八雲が、明治23年、当時木橋だった松江大橋を、人々が下駄を履いて渡る際に響く音に、深く心ひかれたことを語った文章から名付けられたものです。松江市内には、「小泉八雲旧居」(国史跡)や「小泉八雲記念館」もあります。さらには、八雲が好んで訪れた名所(例えば、月照寺普門院)も数多く残っています。ぜひ一度訪れてみてください。♥♥♥

 

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

三ノ宮駅

 神戸に新しくできた「劇場型アクアリウム アトア」にお邪魔するするために、新幹線の新型車両N700S系を新大阪駅で途中下車して、JR神戸線「三ノ宮」駅を目指しました。2013年4月に、阪神電気鉄道「三宮」の駅名が「神戸三宮」に変わりました。「神戸の中心だと明確にするため」という理由です。神戸市中心部の駅名は阪急電鉄「神戸三宮」神戸市営地下鉄「三宮」神戸新交通ポートライナー「三宮」です。しかし、JR西日本だけは「三ノ宮」。JRだけカタカナの「ノ」が入るんです。いったいどうしてなんでしょうか?

▲三ノ宮駅前

 神戸は江戸時代まで小村で、明治初期に整備された外国人居留地を中心に発展した町です。幕末、米英など5カ国と修好通商条約を結んだ江戸幕府は兵庫、長崎など国内5港の開港を迫られました。兵庫港(現神戸市兵庫区)は平清盛が築いた「大輪田泊」で知られ、日宋・日明貿易や国内航路の主要港として栄えていたのです。しかし、開港したのは東に約4キロメートル離れた神戸港(現中央区)。その近くに居留地が造られました。企業などでつくる旧居留地連絡協議会によると、初代駐日英国大使は兵庫港近辺が「居留地の最適地」と伝えたとされるが、実際にできたのは神戸港に近い「砂地と畑」ばかりの神戸村でした。

 大阪―神戸に鉄道が開通したのが旧居留地建設から6年後の74年。現在の神戸駅に加えて、旧居留地の近くにも駅を造ることになりました。バス停風に言えば「居留地前」。本来はここが『神戸』になるべきだったのですが、すでに神戸駅は西側に決定済みです。当時、居留地付近の目印になっていたのが「三宮神社」だったため、神社が駅名の由来になったものです。では、なぜ「三ノ宮」と「ノ」が入ったのか?よその地から来る人には読み方が『さんみや』か『みつみや』か、よく分かりません。『さんのみや』と読んでもらうため『ノ』を入れたのでは、と推測されています。旧居留地は新しく造成されたため、当時まだ「三宮」という地名はありませんでした。現在の中央区三宮町は駅よりも後に付けられたものです。なじみのない駅名を正しく読めるように配慮したのでしょう。今日私が神戸で乗車した市内循環バス「ポートループ」の放送案内でも、全国に数多くある駅の中で、国鉄時代から「さんみや」ではなく、「さんのみや」と正しく読んでもらうためにあえて「ノ」を入れたという説明がアナウンスされていました。

 その後、太平洋戦争中の神戸大空襲で、兵庫駅周辺に広がる旧市街地は甚大な被害を受けました。市庁舎が1957年、現在の旧居留地東側に完成。三宮の発展に拍車がかかり、街の中心が西から東へ移ります。県名の兵庫駅でも、市名の神戸駅でもなく、三宮が中心市街地になっていきます。駅名を変えた阪神電鉄によると、県外から訪れた一部の乗客から「神戸中心部の最寄り駅が分かりにくい」との声が寄せられたといいます。駅と中心市街地が重なる東京駅名古屋駅などに比べ、どこで降りればいいかはっきりしない、とみられているようです。

 JR西日本は2007年、兵庫県西宮市の駅名を「西ノ宮」から「西宮」に変えました。地元から「市と同じ表記にしてほしい」と要望があったため、といいます。神戸市はこの「ノ」を駅名から除くようにJRに要望しています。2015年秋に策定された三宮周辺地区の再整備における基本構想のひとつに、各線の乗り換えについて利便性を向上させる、という点があります。その中で、JRの駅にだけついている「ノ」を削除して「三宮」としたいのです。JRは国鉄時代から「ノ」が入っています。ただ、三ノ宮については、現段階では「ノ」の字を取る計画はないとのことです。駅の標識・路線図を変えるだけでも膨大な費用がかかりますからね。

 三ノ宮駅の1日平均の乗客数は約12万人。兵庫県内では利用者数の最も多い、一番知られている駅になったともいえます。JR、阪急電鉄、阪神電鉄、神戸市営地下鉄、ポートアイランド線の5つの鉄道会社の路線が集まり、さまざまな場所にアクセスすることができる神戸のハブ駅でもあります。ただし、駅構内は実に複雑で、慣れない私はオロオロと迷ってしまいました。♥♥♥

▲JR三ノ宮駅改札口

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

「魚一」

◎週末はグルメ情報!!今週は天丼

 松江市殿町にあった「魚一 蓬莱吉日庵」が閉店して、松江市天神町に新店舗『魚一』として2024年5月1日に移転オープンしました。創業から数え124年の老舗店です。現在の店主は四代目。以前より「魚一 蓬莱吉日庵」で腕を振るってこられた料理人で、店名を創業以来の『魚一』に戻し、移転オープンすることを決心したそうです。新しいお店は、内外に松江らしさ・島根らしさを演出する建材や建具を使用し、和風で落ち着いた佇まいになっています。店内の中央に設えたカウンター席には、4間超えの立派な胡桃の一枚板を使用。カウンターの中、お客さんの目の前で店主が天ぷらを揚げる姿はライブ感満載です。

 商店街の中にひっそりと佇み、歩道を中へと入っていきます。店に向かって右側に提携パーキングがあります。お昼過ぎにお邪魔しましたが、商店街そのものは閑散としているのに、お店の中は予約のお客さんでいっぱいで、満席でした。松江市では昔からの老舗名店です。特にてんぷらが美味しく、かつて私は訪れる度に「上天丼」をよくいただいていました。地元民の中では「魚一と言えば天ぷら」と答える方も多いはずです。大サイズのエビ天がのった天丼は、衣の香りも良く、厚さも程よく、食べ応え充分です!今日はメニューを見ると、普通の「天丼」の具にも穴子が含まれていたので、普通の「天丼」にしました。穴子は2センチ幅ほどの短冊状。ふわふわと美味しくて・・・これ一本揚げで食べたい!

 新しくなったお店では、大将が目の前で天ぷらを揚げておられる姿がガラス越しに生で見ることができます。運ばれてきた「天丼」(1,320円)はアツアツのホカホカです。特にエビが美味しかった。添えられた「しじみの味噌汁」の味のそれは上品なこと。大ぶりのしじみがとてもいいお味でした。満足でした。松江の隠れ家的な名店となることでしょう。♥♥♥

カテゴリー: グルメ | コメントする

磯崎 新

▲私の大好きな「ゆふいん驛」

 世界的な建築家としてその名が知られる磯崎 新(いそざきあらた)さんが、2022年12月28日、老衰のためにお亡くなりになりました。91歳でした。私の大好きな建築家でした。磯崎さんは1931年大分県生まれ。1954年に東京大学工学部建築学科を卒業し、丹下健三(たんげけんぞう)さんの指導の下で建築家としてのキャリアをスタートさせました。1963年には建築事務所「Arata Isozaki & Associates」を設立し、約60年にわたってアジアやヨーロッパ、北アメリカ、中東、オーストラリアなど、世界各地で100以上の作品を手がけました。福岡や故郷の大分において、街のランドマークとなる建築を次々と生み出しました。大分の学園理事長、当時の北九州市長、福岡相互銀行(現・西日本シテイ銀行)の社長などの理解者が、自由で独特な発想を持つ若き磯崎さんに活躍の場を与えたことが、後の大きな飛躍につながりました。重要作品としては、北九州市立美術館(1972〜74、福岡)、水戸芸術館(1986〜90、茨城)、アリアンツタワー(2003〜14、ミラノ)、カタール国立コンベンションセンター(2004〜11、ドーハ)、上海シンフォニーホール(2008〜14、上海)などが挙げられ、このほか、ロサンゼルス現代美術館バルセロナオリンピック屋内競技場など世界各地で作品を手がけて、国際的にもとても高い評価を得ました。1996年に参加した「第6回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展」では、阪神大震災の廃墟を再現した展示を発表し、「金獅子賞」を受賞しました。2019年には、建築界で最も権威ある賞で「建築界のノーベル賞」とも呼ばれるアメリカの「プリツカー賞」に選ばれ、「東洋が西洋文明の影響を強く受けていた時代に海外に出て、みずからの建築術を確立した真に国際的な建築家だ」と評価されました。丹下健三槇文彦安藤忠雄妹島和世+西沢立衛伊東豊雄坂茂に続き、8人目の日本人受賞者となりました。私のとても大大好きなJR由布院駅を設計したのも磯崎さんでした(写真上)。雑誌『芸術新潮』10月号(2023年)が追悼特集「いまこそ知りたい!建築家磯崎新入門」を組んでおり、磯崎建築の真髄の解説を面白く読みました。

 1945年広島に原爆が落ちた当時、磯崎さんはまだ14歳でした。大分の実家から対岸にある広島の惨状を目の当たりにした磯崎さん、その後、長崎にも落とされた原爆と戦争の記憶は、彼の作品の根幹を成す原体験となりました。

 私はグランドゼロで育ちました。建築もビルもなく、街さえもなかった。だから、私の建築の最初の経験は建築の空白であり、私は人々がどのように家や都市を再建するかを考えるようになりました。

 磯崎さんは、師匠の丹下健三さん同様に、「大文字の建築家」でした。時代や社会を象徴する記念碑的な建築、例えば官庁や駅、美術館などの公共建築が含まれます(対して「小文字の建築」は住宅)。戦後日本の建築家の多くが、民衆を意識して住宅から公共建築まで幅広く手掛けていた中にあって、二人は特異な存在といってよいでしょう。磯崎さんは、建築とは人の目を奪い、心震わせるようなものでなくてはならないと考えていました。その一方で、天皇や国家や資本には回収されたくないとも語っておられましたね。

 最近、私が訪れた「別府国際コンベンションセンター ビーコンプラザ」(1995年)も磯崎さんの作品です。巨大な横長の体育館のように見える長方形の建物の中に、「フィルハーモニーホール」「大分県立別府コンベンションホール」が同居している、バブル時代の豪華な施設です。そのお隣には高さ125メートルの「グローバルタワー」がそびえ立っています。エレベータで上がった高さ100メートルの地点にあるガラス張りの「展望台」から見た、ところどころで湯煙が上がっている別府の街並みは最高です。♥♥♥

▲別府国際コンベンションセンター「ビーコンプラザ」

▲グローバルタワー

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

「BE KOBE」

 キャッチフレーズ「BE KOBE」とは、直訳すると「神戸であれ」という意味なのですが、実はこの言葉は阪神・淡路大震災から20年が経過したのを機に生まれたもので、「市民が神戸市民であることを誇りに思う気持ち」を表しているそうです。2017年4月「メリケンパーク」に、新しくモニュメント「BE KOBE」が登場しました。ここには広々とした芝生が広がる展望広場と、西日本最大級の新しい「スターバックスコーヒー」の店舗があり、カップルのデートスポットや、ファミリー層のふれあいの場、友達とのおしゃべりの場としてなど、普段からたくさんの方がリラックスできる憩いの場となっています。そこにあったプレートには次のような説明書きがありました。素敵な思いです。

BE KOBE
 BE KOBEは、阪神・淡路大震災から20年目の2015年、「人のために力を尽くす」という市民の熱い想いを集めて生まれたメッセージです。「市民が神戸市民であることを誇りに思う気持ち」を表しています。
 先進的で開放的、さらには豊かな創造性と国際性に富んだ、みなとまち。
 “神戸らしさ”を育みながら大きな苦難を乗り越えてきた「これまでの150年」から、若者が挑戦し活き活きと活躍する「これからの150年」に向けて、神戸は出航します。
神戸開港150年記念
2017年4月 神戸市

 「神戸メリケンパークオリエンタルホテル」を背景に新たなモニュメント「BE KOBE」が整備され、観光客の撮影スポットとして注目されています。「神戸ポートタワー」を降りて、モニュメントの所へやって来ました。初代「BE KOBE」モニュメントは、2017年に神戸開港150年を記念して設置されました。園内の海沿いに設置されていて、モニュメントの白色と海や空の青色とのコントラストが抜群にきれいです。周辺には、神戸海洋博物館モザイク大観覧車など、たくさんの神戸を代表するランドマークが揃い、神戸らしいウォーターフロントの景色が広がります。隣接するハーバーランドでのショッピングやクルージングなど、港町・神戸の観光ついでに、「BE KOBE」モニュメントにも訪れてみてください。夜にはライトアップされ、神戸港の夜景と合わせて違った雰囲気を楽しめますよ。行ってみると、神戸に来た分かりやすい「証(あかし)」として、写真を撮る人が多い印象です。新たな観光スポットになっているのでしょう。神戸に来ましたよ!っていう写真は、今までは「ポートタワー」が背景になることが多かったと思いますが、今はこのモニュメントがそういう存在になっていますね。モニュメントの白のコントラストが、背景の青い海と空によって引き立ち、とてもおしゃれなフォトスポットとなっています。なんとも神戸らしい場所ですよね。ところが、かつては観光客がこのモニュメントによじ登ってSNS映えを狙った記念写真を撮るというけしからん輩がたくさん出現して、大々的に報じられたこともありました。建立の経緯を知ると実にけしからん行為です。 

     近くには神戸のランドマークである「ポートタワー」や、有名な観光スポットである「カワサキワールド・神戸海洋博物館」「umie」「モザイク」などのショッピング施設などもあるので、ハーバーランドエリアを回ってみるのも楽しいものです。私はぐるっと回って買い物を楽しみました。

 現在ではこの種のモニュメントは、神戸市内に6つもあるそうです。私は今日リニューアルされた「神戸ポートタワー」に行ってきたんですが、その展望3階のグッズショップを回っていたら素敵な青色の「BE KOBE」トートバッグ(2,200円)を見つけて買ってきました。ここでしか手に入らないオリジナル限定グッズです。気に入って毎日使っています。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

「D&S列車」

 JR九州では、観光列車「D&S列車」(デザイン&ストーリー列車)と呼んでいます。「D」は特別な「デザイン(Design)」を、「S」は沿線地域に伝わる歴史や伝説などの「ストーリー(Story)」を指し、「デザインと物語のある列車」という意味を込めています。JR九州の人気観光列車に共通するのが、この「物語」です。それぞれの列車にそれぞれの物語が備わっています。テーマパークのように地域に個性があり、旅することが楽しくなる九州。沿線の風土や車窓の風景を思いきり楽しんでもらうために、JR九州の列車は、個性溢れる洗練されたルックスやインテリアはもちろんのこと、地元とコラボしたユニークな仕掛けが満載です。移動手段として便利なだけではなく、乗ることそのものが、忘れられないイベントになる「D&S列車」の旅。たくさんのワクワク感と物語を乗せて九州各地を駆け抜けています。JR九州では2013年(平成25年)から、観光列車のことをこの名称で呼んでいます。観光客を呼び込むため、地域活性化のために、「D&S列車」は移動手段としてだけでなく、乗ること自体が楽しみや目的となっており、列車そのものが観光資源となっています。沿線地域の観光資源として活躍を始めているのです。

▲私の一番好きな「ゆふいんの森一世」

 そんな「D&S列車」の第一号、特急「ゆふいんの森」は、国鉄が分割民営化されて間もない1989年(平成元年)3月に運行が開始されました。現在は博多駅〜由布院駅間を2往復(日によって異なる)が運行されています。JR九州が生まれ、専用車両を用意して走らせた最初の観光特急でもあり、「D&S列車」の元祖と言ってもいいでしょう。この「ゆふいんの森」の大成功が、その後、九州各地を走る多くの「D&S列車」を生み出すきっかけとなりました。私も初めてこの観光列車に乗って由布院へ行った時のことは強烈な思い出として残っています。これらの個性豊かな列車はすべてドーンデザイン研究所水戸岡鋭治(みとおかえいじ)先生がデザイン・設計しておられます(最新の「かんぱち・いちろく」のデザインだけは鹿児島に本社を置く株式会社 ・IFOOが担当しています)。「D&S列車」はそのほとんどが、従来から使用されていた車両をリニューアルした車両で運行されており、中には普通列車用の車両を改造し、観光特急と称して運行している列車もあります。下がその「D&S列車」の一覧です。

観光列車名 運転開始時期
ゆふいんの森 1989年3月11日  ★私の一番好きな観光列車
九州横断特急 2004年3月13日
海幸山幸 2009年10月10日
指宿のたまて箱 2011年3月13日)
あそーぼーい 2011年6月4日
A列車で行こう 2011年10月8日
或る列車 2015年8月8日
かわせみやませみ 2017年3月4日
36プラス3 2020年10月16日
ふたつ星 2022年9月23日
かんぱち・いちろく 2024年4月26日

 水戸岡先生のデザインには、彼ならではの独特の「哲学」が存在しています。当時の唐池恒二(からいけこうじ)社長がこんなことを言っておられます。♥♥♥

 水戸岡さんのデザインは、はじめて見たときとても感動する。しかし、はじめて見たとき感動するのは、どのデザインにも共通することだ。デザイナーが手がけたものであれば、彼らはプロだから、それは当然といえる。水戸岡さんのデザインが他と違うのは、何度見てもそのたびに新鮮な感動を覚えることだ、斬新だと思えたデザインでも、何度か見ていると次第に感動が小さくなっていき、やがては飽きてしまう。しかし、水戸岡さんのつくった通勤電車の車両は、毎日同じ駅の同じホームから眺めてもまったく飽きることがない。

 水戸岡さんは、デザインの構想を練るときコンセプトを最も大切にする。そのコンセプトは、どこからくるのか。列車のネーミングだ。水戸岡さんは、列車名をコンセプトにして内外装のイメージを固める。ネーミングは、私の専権事項だ。水戸岡さんは、私が列車名を考えつくまでデザインに着手しない。列車名が固まると、水戸岡さんはあっという間にデザインの“あらすじ”をまとめる。その“あらすじ”が、列車一本一本がこれから身に付けていく物語の始まりとなる。(『鉄客商売 JR九州大躍進の極意』(PHP出版、2016年))

カテゴリー: 日々の日記 | コメントする

「キレーナ」

 蛍光マーカーをうまく使えない、という人は本当に多いんです。(株)パイロットが企画段階で行ったアンケート調査によれば、まっすぐに線を引けない、線を引いているうちに太さが変わってしまう、インクが乾く前にこすって紙面と手が汚れる、書いた文字の上から線を引くと筆跡がにじんでしまう、などなどの利用者の悩みが浮かび上がってきました。とにかく、蛍光マーカーには失敗する要素が多過ぎるのです。そう考えると、そもそも蛍光マーカーできちんと線が引ける方が珍しいんじゃないでしょうか?そこへ、パイロットから「太さが変わらない線をまっすぐ引きやすく、手も紙面も汚れない新しい蛍光マーカー」「KIRE-NA」(キレーナ)が新登場しました(2024年10月)。話半分にしても興味はあるし、もし事実だとしたら、それは間違いなく蛍光マーカーの歴史を変える革新的な新製品ですね。製品のキャッチコピーは「キチントトトノウ(きちんと整う)」です。蛍光マーカーは私の毎日の仕事には必需品です。今日、米子市天満屋4階の「LOFT」で手に入れてきました(松江市ではそれまでどこにも売っていませんでしたが、今日今井書店学園店をのぞいてみたらようやく入荷していました)。以下は「文房具の八ちゃん」によるこのマーカーの解説です。

▲米子LOFT売り場にて

 パイロットから2024年10月に発売されたKIRE-NA」(キレーナ)が、そのウワサの“もしかしたら歴史を変えるかもしれない蛍光マーカー”です。学生のニーズに応えて、速乾性に優れたインクとまっすぐきれいな線が引けるガイドを採用したのが大きな特徴で、発売以来多くのユーザーに注目されています。軸のデザインも男女を問わず学生に合うものを目指したといいます。ただ残念ながら、松江市内のお店にはどこにも置いてありませんでした。カラーラインナップに関しては、学生にアンケートを行って決め、目に優しい定番の蛍光ベーシックカラー5色と、女性が好む淡いペールトーンカラー5色の全10色展開です。同じ系統の色味を揃えているので、例えば教科書とノートで使い分けることもできます。外見は、最近のパイロット製品に多い、単色軸にカラーパーツをあしらったシンプルな作りで、軸のデザインは、第一印象も「ザ・普通」という感じ。見た限り、そこまで凄いギミックが仕込まれているようには思えません。しかし開発期間はなんと6年にも及んでいます。「完全に新しいインク」「今までにない構造のペン先」を同時に開発する必要があったからです。

 ラインを引く“太”、文字書きもできる“細”のツインチップ仕様ということで、まずは太い側のキャップを開けると、なにやら見慣れない雰囲気です。その原因は、チップを挟むように両脇から生えている半透明のパーツ。これが、線の太さを変えずまっすぐ引きやすくするための秘密兵器「キチントガイド」です。

▲使う際には、カラーパーツに親指を乗せるとガイドの水平が取れて、線が引きやすい

 ペン先を紙に当てると、まずよくしなる特殊なナイロン素材でできたソフトなチップがフニャッとしなるように紙に触れ、その直後に新開発の「キチントガイド」が突き当たります。ガイドが両側とも紙に当たっている状態でマーカーを水平に動かすと、なるほど、確かに太さが一定の線がスーッと引けています。このガイドによって過剰な筆圧がかからなくなるため、何度繰り返しても、常に一定の太さでスーッと引けて、まったく失敗しません。……えーっ、これ凄いんじゃないですか!? 

 蛍光マーカーの線の太さが変わってしまうのは、ほとんどのマーカーで採用されている斧型チップ(先端が斜めにカットされた、硬いペン先)で書き始める際に、斧の刃にあたる部分が紙に傾いて触れているのが原因です。だから、書き始めは線が細く、書いているうちに刃先の全域が紙に当たるようになって線が太くなってしまうのです。最初からチップをまっすぐ紙に当てれば問題ないのですが、とはいえ常にベストな角度で書き始めるのは、なかなか難度が高い技術なのです。従来にも、チップの傾きを解消するために弾力のあるソフトチップを採用した製品は、いくつか発売されていました。この場合、紙にむぎゅっと押し当てることでチップ全域が紙に当たるため、傾きは発生しなくなります。しかし、引く際の筆圧を一定化させないと、結局のところ線は太くなったり細くなったりで安定しないのです。そこで、その筆圧を安定させるのがこの「キチントガイド」の仕事なんです。どれだけソフトチップへ筆圧をかけても、ガイドの高さまでしか紙に押しつけることはできず、逆に、ガイドが当たるところまで押し付ければ、チップの筆圧は常に同じということになります。その結果、どれだけ線を引いても常に同じ太さになる、というすぐれた仕組みなのです。 

 さらに、ソフトチップは曲面に強いという性質も持っています。例えば分厚い教科書を開いた時のふくらんだページの曲面にもピッタリとフィットします。紙面がカモメの羽のように曲がって広がりますが、柔らかく弾力のあるチップなら、その曲がりに沿って動くため、チップが紙面から外れずに安定して線が引き続けられるのです。今日私が購入した「KIRE-NA」(5色セット)には、初回限定のおまけで、曲面にフィットする塩ビ製の「やわらか定規」が付いてきました。これも使えそうです。線を引く時にちょうど親指が引っ掛かるサイドのくぼみもこだわりの一つです。こういった小さな工夫も筆記の安定感を高めるのに一役買っています。

▲ガイドのおかげでチップが定規に触れないので、フチのインク汚れを拭き取る手間もないのが嬉しい

 従来の蛍光マーカーは、チップを紙に押し当てるとダクダクとインクが出て紙に染みをつくってしまうため、どうしても焦って線を引きがちです。ところが「KIRE-NA」は、不要な筆圧がかからないため、インクの流量もほどよくセーブされます。だから多少ゆっくりと引いても、インクの染みができにくいのです。つまり、チップの傾き筆圧インク染みという3つのトラブル要素を気にしなくて良くなったことで、線を落ち着いてまっすぐ引けるだけの余裕が生まれるのです。

 「KIRE-NA」のもう一つのポイントが、新しいインクです。新開発の「速乾顔料インク」は、書いて数秒もしないうちにサラッと乾いてしまい、以降は指でこすってもインク汚れが広がらない。乾くまでの所要時間は紙にもよりますが、普通のノートやコピー用紙なら1〜2秒、教科書のようなツルツルしたコート紙でも6〜7秒あれば大丈夫でしょう。「速乾性を上げることには限界がありますし、浸透性を上げすぎると紙に対して裏抜けが大きくなってしまいます。そのバランスを調整しながらインクを開発することが一番難しかったです」(企画担当者)。パイロットの速乾インクといえば、超速乾筆ペン「瞬筆」を思い出す方もおられるかもしれませんが、これは紙への吸収速度を高めて乾燥スピードを上げたタイプです。対して「KIRE-NA」のインクは裏抜けを防ぐため、そこまで激しく紙に吸い込まれるようにはできていません。メーカー曰く、紙に吸わせつつ紙表面での乾燥効率もアップさせた、いわばバランス型の速乾インクなのだそうです。そのため正直、乾燥スピードは「瞬筆」よりもやや遅い感じです。それでも従来の蛍光マーカーと比較するとかなり速いのです。乾燥スピードが速いということは、ボールペンの筆跡の上からマーキングした際に、元の筆跡のインクがにじみにくいという効果も得られます。ゲルインクなどは、いったん乾いたとしても、上からさらに水分(この場合は蛍光インク)が乗ると、じわっと浮き出してしまいます。ところが浮き出す前にすかさず蛍光インクが乾いてしまえば、にじんでくるヒマもないというわけです。加えて、にじんできたボールペンのインクでチップ先端が汚れる心配も少ないのも、ありがたいところですね。

 太チップがあまりにも革新的すぎてつい存在を忘れそうになりますが、細チップも速乾インクを共有しているため、擦れ汚れの心配なく書けるのはメリットです。実際、蛍光マーカー「マーキング+コメント書き込み」という使い方でツインタイプを愛用している人も結構多いので、やはり細チップはついていると嬉しいのです。

 私は資料のチェックなどで蛍光マーカーを多用しています。ひとまず3日ほど使ってみて、今まで使っていた蛍光マーカーから「KIRE-NA」へ完全に乗り換えることを決めました。とにかく優秀なのは「ソフトチップ」+「キチントガイド」のコンビで、私のように不器用な人間でもフリーハンドでまっすぐな線が引けたのは、最高です。特に、インク染みが広がる心配もなくゆっくりとマーキングできるのが、ここまで使いやすいとは思いませんでした。個人的にはすでに蛍光マーカーの歴史は変わったということで、以降のマーキングには「KIRE-NA」を使い倒していくつもりです。

 発売後の売れ行きは想定以上で、主なユーザーは、学生と40~50代の方々で、狙った通りの層の方に届いているようです。機能面に対する評価はもちろんのこと、価格面でも「これだけの新機能を詰め込みながらこの価格(132円)はすごい!」と評判です。「サヨナラ蛍光ペンストレス」というキャッチコピーで訴求しています。最近発刊されたばかりの『文房具屋さん大賞2025』(扶桑社ムック、2025年2月)では(写真下)、この「キレーナ」が見事「大賞」を受賞しました。それだけインパクトのあった商品だったということです。♥♥♥

カテゴリー: 文房具 | コメントする