CSホームドラマチャンネルで、かつて小田和正さんがゲスト出演した番組「居酒屋の星野仙一」が11月24日(日)に再放送されました。“燃える男”の星野仙一さんとミュージシャン・小田和正さんのトーク番組で、長年親交のある2人が定年間近の同世代へのメッセージを熱く語り合いました。この番組は、2006年にNHKで放送されたトーク番組で、テレビのトーク番組にほとんど出演してこなかった小田さんが、ざっくばらんに本音を語っている非常に珍しい様子を観ることができます。当時の小田さん(59歳)が出演を快諾したのは、相手が大親友の星野仙一さんだったからにほかなりません。二人は1980年代に知り合って以来の大親友で、同じ昭和22年(1947年)生まれの「団塊の世代」です。1983年の星野さん(中日ドラゴンズ)の引退試合で、マウンドまで花束を届けに行ったのは小田さん本人でしたし、1984年、小田さんが「オフコース嫌い」を公言していたタモリさんの「笑っていいとも!」(フジテレビ系)で「テレフォンショッキング」に出演した時、救いを求めるように電話をした相手が星野さんでした。星野さんは2013年に、楽天イーグルスの監督として日本一を果たしますが、その本拠地の開幕戦(仙台)で始球式を務めたのが、星野さんと同じ背番号77をつけた小田さんでした。残念ながら星野さんは2018年1月に逝去なさいましたが、同年4月に楽天の本拠地で行われた「追悼セレモニー」では、小田さんの「たしかなこと」が流されています。
お互いの気心が知れている様子は、番組収録日に行われた小田さんのライブコンサートに、星野さんがゲストでステージに登壇する場面ですぐに分かりました。呼び込む時に小田さんが「こいつは何の芸もなくて」とイジり、星野さんが登場するとすかさずハグ。“闘将”、“鉄拳制裁星野”と恐れられた男を「こいつ」呼ばわりして笑顔で迎えられる人間は、そうそういるものではありません。コンサート終了後、元中日・阪神で活躍した星野さんの愛弟子・大豊泰昭さんが経営する台湾料理店に場所を移してトークが始まると、相手を乗せつつ、本音を引き出す“最強のインタビュアー”と化した星野さんの前で、小田さんが饒舌に語り始めるのです。小田和正のラブソングはどのように作られているのか?歌に自身の経験はどれぐらい反映しているのか?なぜ小田の曲は幅広い客層に受け入れられるのか?東北大学で建築を学んでいた小田がなぜ音楽の道に進もうと決めたのか?建築と決別した瞬間とは?建築と歌づくりに共通点はあるのか?次々と明らかになる小田さんの秘話です。
お互いを「頑固」「一人で何でも決める」と言い合う二人の大きな共通項は、「団塊の世代」のトップランナーであるという自負です。最も人口のボリュームが大きく、日本の成長と発展を支え、ただがむしゃらに働くだけでなく、政治的にも文化的にもさまざまなメッセージを社会に発信してきた世代です。その中でも、二人は野球界と音楽界をリード・変革する存在として走ってきた「熱く燃える男」と「静かに燃える男」です。二人はいわば戦友同士なんです。私はこの番組を久々に見て、特に三つのことが印象に強く残りました。
まず第一の点。実生活の中にはドロドロしたことがたくさんあるから、歌の世界ではドロドロした歌詞はあえて書かない、という小田さんに、「じゃあなぜ、あれだけの客層、ファンの支持を受けるのよ?」と鋭く問いかける星野さん。「だから、それはもうたぶん、みんなが同じ気持ちを持ってるんだ、って。君は空を見てるか風の音を聞いてる人たちなんだな、って思うのよ。で、普段それを日常生活の中で、やな上司がいたり、やってらんねーな、みたいなとこで、俺が歌ってるとこ来て、『君は空を見てるか、風の音を聞いてるか』って言った時に、『あ、そうだ、俺聞いてるよ!』っていう…その場なんだと。その場に来れるっていうような。素直になれるんだと思うんだよね。」「普段そんなこと言ったら、お前何言ってんの?って言われちゃうんだと思うんだよね。会社行って『みんな。今日は、空を、見上げたか?』とか言ったら、気持ちわりい上司だなって思われちゃうんだと思うのよ。それが、もう俺がゆってっから。『そうだよなっ!』って言うんだと思うな。」小田さんは自分の歩みを振り返って、「レールの敷かれていない時代を生きられたのはとても幸せ」と語りました。歌謡曲と演歌が幅をきかせていた音楽の世界の中で、新しい音楽を作り、「ニューミュージック」という新しいジャンルを牽引してきました。そんな小田さんを、多くの団塊の世代の人々が温かく迎え入れているということなんですね。
第二に、小田さんの次の言葉が印象に残りました。「やっぱり、めんどくさいこと背負わなければ、絶対先には進めないよね。ぜったい。なんか、辛いなー、ってことがないと、不安だもん。要するに、簡単に次に進めそうな時は、どうも自分が信用できないんだ。こんな簡単にできちゃったんだけど、これでいいのかな?って思って。なんか苦労を背負わないと、ちゃんとしたもんになってないんじゃないか、っていう。いや、なっかなかできなかったとか、音楽でも新しい曲、要するに同じことやっちゃいけないと思うから。新しい曲を覚えて、辛い思いしてでも、なんとか覚えて、それを発表しないといけないんじゃないか、とか。そういうことがあると、『よし、これをやれば、乗り越えられんじゃないか』と思うんだよね。」小田さんならではの人生哲学でした。私も生徒たちには日頃から「力を尽くして狭き門より入れ」(ルカ伝)とアドバイスしています。
三番目。番組の中では、小田さんが「団塊の世代」を意識して書いた曲がいくつか紹介されていました。CMなどでも知られる「たしかなこと」で、小田さんは〈同じ風に吹かれて 同じ時を生きてるんだ〉と歌っています。新しいレールを作ってきたのが団塊の世代。二人の言葉からは、たとえ面倒くさくても、カッコ悪くても、プライドを捨てて社会の中で先陣を切らなければいけないのが自分たちの世代であり、自分なのだという強い矜持を感じました。〈やがていつの日か この国のすべてを 僕らがこの手で変えてゆくんだったよね〉と歌う「the flag」は、もう一度、同世代の奮起を促す歌なんです。この曲をコンサート会場で聴いた星野さんは涙ぐんでいましたね。「今日聴いてて…、3曲目に『the flag』。涙出てきたんだよ。若い時にこう思って、…なんでお前それ貫かないんだと。頑固なまでに、この歳になっても、若い時の夢を貫こうよ!っていう風な、メッセージに聞こえたわけよ。定年、リストラ、早期退職、次の就職、もうひとつは孫の話。おいちょっと待てよお前ら、と。若い時のあの考え、『the flag』じゃないけども、あの考えを。もう少し、考え直してみろと。だから…ある意味、団塊の世代を代表して、俺は指揮とってたと。という風な監督時代だったよ。そういう意識はあったよ。今、そういう意識ない?歌ってて。」歌詞をじっくり読むと、もう一度戦おうよ、とメッセージを発していることがよく分かります。
the flag
作詩・作曲 小田和正
たゞ 若かったから それだけのことかな
あの頃 僕らは 傷つけ合っていた
汚れなき想いと 譲れない誇りと
迷いのない心は どこへ行ったんだろう
あの時掲げた 僕らの旗だけが
今も揺れている 時の風の中で
それからの 僕らに 何があったんだろう
変わってしまったのは 僕らの方なんだ
自由な翼を 僕らは たたんで
二度と そこから 飛び立つことはなかった
やがていつの日か この国のすべてを
僕らが この手で 変えてゆくんだったよね
僕らが この手で すべてを
こゝから 行くべき その道は どこかと
できるなら もう一度 捜さないか
戦える 僕らの武器は 今 何かと
それを見つけて こゝへ 並ばないか
僕は諦めない 誰か 聞いて いるか
僕は こゝにいる 誰か そばに いるか
やがていつの日か この国のすべてを
僕らが この手で 変えてゆくんだったよね
あの時掲げた 僕らの旗だけが
一人揺れている 時の風の中で
小田さんの「the flag」。この曲は私にとっても思い入れの強い曲です。2000年に、小田さんはアルバム『個人主義』をリリースします。アルバムのタイトルが示

▲ジャケットの旗に注意!
すとおり、これまで彼の歌の中で、そこはかとなく内包されてきた世の中への問題意識や想いが、強く打ち出された形となった「主張するアルバム」です。その中の代表的な楽曲が「the flag」でした。自分の同世代へ向けたメッセージ・ソングという点で、特に際立った存在の曲です。自分の気持ちに素直になって歌う、小田さん自身が『個人主義』の中で打ち出したメッセージでした。アルバム・ジャケットが、小田さんの自画像が意匠された「旗」(flag)であったところを見ると(写真下)、この「the flag」こそが、小田さんの思い入れの最も強い楽曲だったように感じます。この『個人主義』は、オリコン週間チャートでは最高4位。必ずしも「売れた」アルバムではなかったのですが、小田さんの長い歴史の中では特筆すべき作品でした。
60年代から70年代を共に生きてきた、学生時代の友人や同世代の仲間たちに、30年経って、みんなで「この国を変えよう」と議論していたあの頃はどこへ行ったのか、と問いかけます。“若かった頃の、汚れなき想いや譲れない誇りはどこへ行ったんだろう、僕らは変わってしまった、この国のすべてをこの手で変えてゆくと言っていたのに。今また戦う武器を見つけて、その道を探さないか”と、硬派の歌です。若さ一途に、理想や夢に向かって突っ走って妥協を許さなかったあの頃の頑なさや強さは、一体どこへ行ってしまったのか?と。この曲の中で「僕はあきらめない」。「戦える僕らの武器」を持って「もう一度並ばないか」と呼びかけるのです。発売当時は「もうこういうことを唄っても良いのかもしれない」と語っておられましたね。心を解放して自分に素直に歌った歌でした。
今回はとっても本来の部分の、理屈っぽい自分がけっこう頭をもたげたね。the flagはどう考えても男の歌だし、女にはわからないだろうと思う。けどべつにいいやって、今回は歩み寄らなかった。(小田談)
優しいラブバラードがほとんどの小田さんの作品群(ほとんどの曲に「風」という言葉が登場しますね⇒私の詳しい解説はコチラ)の中にあって、チョット異色な楽曲で、私は大好きなんです。体育会系の小田さんの男気を垣間見れる作品です。そもそも、かつてのオフコースというバンド名自体も、“コースをはずれる”という意味の、つるむことや群れることを好まない硬派のものだったように思います。
小田さんは77歳の今でも、同世代の先頭を切って歌い続けています。いつも励まし合い、共に戦ってきた二人のトップランナーが、それぞれの歩みの中間地点で大いに語り合った番組が「居酒屋の星野仙一」でした。残念ながら、星野さんはお亡くなりになりましたが、小田さんはまだお元気でご活躍で、今でも自己ベストを更新しながら、喜寿を祝おうとしておられます。♥♥♥