今年の「勝田ケ丘志学館」

 大学進学を目指す浪人生を指導していた、鳥取県立倉吉東高校専攻科を前身に持つ予備校「倉吉鴨水館」(くらよしおうすいかん)が、今年の3月末で閉校しました。鳥取県の専攻科は、都市部に比べ大手予備校などがなく学習環境の不利な浪人生のために、1959~61年に倉吉東高、鳥取東高、米子東高に設けられました。ところが、予備校などから「経営を圧迫する」といった強い廃止要望があり、県議会の決議を受け、2008年度に鳥取東高、2012年度に倉吉東高米子東高が廃止になりました。その後、「大学進学に挑戦したい子の学びの場をなくしてはならない」と卒業生やPTA・同窓会の後押しで、倉吉東高の敷地内に「倉吉鴨水館」が開校します。倉吉鴨水館」は、県立倉吉東高校専攻科が廃止された2013年に、同窓会などによって設立されたNPO法人が予備校として運営し、12年間にわたって受験に挑む約500人の受験生を支えてきました。ところが少子化により生徒数が減少し、黒字化が見込めないことや、講師の高齢化などで存続が難しくなり閉館が決まりました。倉吉鴨水館」からは、これまでに347人が東京大学京都大学など、国公立大学へ進学しました。これで鳥取県には私の行く「勝田ケ丘志学館」だけが残りました。

▲米子東高校の同窓会館内にある「勝田ケ丘志学館」

 鳥取県立米子東高等学校には、1960年から「専攻科」という浪人生のクラスがあったのですが、「官から民へ」の流れの中で、2012年度末に廃止されていました。浪人者数は、横ばい状態であるにもかかわらず、同校では、県外の予備校や自宅浪人を選択する生徒が年々増加していたといいます。これらの生徒たちを支援し、保護者の経済的な負担を軽減し、高い学びへの志を持って大学進学へ立ち向かうことができる環境を整備しよう、という目的で準備・計画されたのが、NPO法人「勝田ケ丘志学館」(かんだがおかしがくかん)です。元米子東高校の校長・山根孝正(やまねたかまさ)館長のご尽力、さらには1,700人にものぼる米子東高OBの方々の温かい寄付金・協力を仰ぎながら、2019年に創立されたのでした。山根館長は設立当時、「日本海新聞」の取材に応えて、「高校と同じリズムで通え、地域の仲間と支え合いながら目標に向かって進める環境が整う。質の高い授業も提供できる」と、設立の主旨を話されました。私も設立当初からお手伝いをさせていただいています。設立時に山根館長が考えておられた目的は、次の通りです。

▲勝田ケ丘志学館・山根孝正館長

1.県外予備校に比較して授業料、生活費等が低額で、家計の経済的負担が減少する。

2.高校時代と同じリズムで生活、学習できるため、規則正しい生活を送り安心して学習に打ち込むことができる。

3.現役時代と同様に複数の模擬試験を受験することができる。

4.高校在学中に指導を受けた先生にも気軽に相談できやすい。(米子東校出身者)

5.鳥取県西部地区出身者同士が切磋琢磨することで、連帯感や地域への感謝の気持ちが育まれる。

6.現役時に、部活動や探究的な学習、ボランティア活動その他様々な活動に取り組むとともに、より高い目標に向けてのチャレンジが可能となりうる。

7.現役生が、受験に向けて真摯に取り組む補習科生の姿勢から多くを学ぶことができる。

8.自宅浪人生の模擬試験受験が補習科において可能となる。

9.単位制を活用しての授業の受講が可能であることから、在校生、補習科生ともに刺激し合うことができる。

10.高校教員が補習科で行われる高いレベルの講義を参観することができ、これにより教員の力量の向上が図られる。

11.鳥取県西部地区出身者が、浪人生活という人生の中で苦しい一時期を、仲間とともに支え合いながら苦楽を共にし、また切磋琢磨しながら、地域や同窓生、家族のもとで学ぶことにより、進学後ふるさとを離れても感謝の念を持ち続けてくれることが期待できる。

 かつて、代々木ゼミナールの小論文指導のカリスマ・藤井健志(ふじいたけし)先生が、2018年の鳥取大学の後期の小論文入試問題「現代社会では、経済的格差や社会的孤立の広がりの中で、様々な形で社会的に排除された人々が生み出されている。そこで、地域社会において実際に生じている社会的排除の事例をひとつ取り上げるとともに、その問題の克服に向けて求められる社会的包摂のあり方について論じなさい。(800字以内)」に対する「模範解答・解説」を、『代ゼミ新小論文ノート2020』(代々木ゼミナール、2019年7月)に書いておられます。その中でこの「勝田ケ丘志学館」を例として取り上げていただきました。

(中略) このような問題の克服のヒントになるのがこの春から鳥取県に開学した「校内予備校」だ。自分の財を原資にしてでもという情熱を持った元教員を中心に協力者や寄付金を募り、県立米子東高校敷地内の同窓会館を利用して、地域の高卒生ならば誰でも学べる、画期的な学びの場を創り出したという事例だ。隣県島根県の教員OBの方々も協力することになったらしい。一つの高校の同窓会やPTAが主体になりながらもその枠組みに縛られず、都道府県の境さえも越えて連帯するかたちは行政に押し付けられるのとは違う新しい公共の姿である。官・民といった区別を越えて地域の人間が共に主体となって考え、行動するところにこそ、特定の人間を排除することのない重層的で懐の深い社会的包摂が実現するのだと私は考える。

 地元紙でも大きく取り上げていただきました(写真下)。

▲「日本海新聞」2022年11月10日付

▲「山陰中央新報」2023年3月15日付

 今年の「勝田ケ丘志学館」は37人でスタートしています。出身校は、米子東28人、米子西4人、米子北1人、2人、米子松蔭2人です。高校時代と同じ生活リズムで受験生活が送れること、共に切磋琢磨しあう集団の力、学費が安いこと、自宅から通学できること、各教科の丁寧な指導、卒業生たちが続々と訪れ生の大学情報を聞くことができること、卒業生たちが数々の大学レポートを送ってくれ、生徒達を励ましてくれることなどが大きな魅力です。♥♥♥

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フェスティナ・レンテ

 最近、私が勝田ケ丘志学館でよく口にする「Festīnā lentē.」は、「ゆっくり急げ」を意味するラテン語です。「フェスティナ・レンテ」と読みます。festīnā はfestīnō,-āre(急ぐ)の命令法・能動態・現在、2人称単数で、「急ぎなさい」を意味します。不定法の形(-āre)から第1変化動詞とわかります。amō,-āre(愛する)と同じ活用をします。lentē は「ゆっくりと」を意味する副詞です。全体で「ゆっくり急げ」という意味になります。少しニュアンスは異なりますが、「急がば回れ」と意訳することも可能です。ローマの初代皇帝・アウグストゥス座右の銘であった、とローマの歴史家スエートーニウスは伝えています。アウグストゥスは、元のギリシア語σπεύδε βραδέως(スペウデ・ブラデオース)を口にしました。「Festīnā lentē.」はそのラテン語訳です。スエートニウスは、アウグストゥスの座右の銘を三つ紹介していますが、その一つ目がこの言葉のギリシア語版、二つ目もギリシア語で「大胆な指揮官より慎重な指揮官がまし」というもの、三つ目はラテン語で、「立派にできたことは十分早くできたこと」。いずれも向こう見ずを諌め、慎重さを重んじる言葉と受け取ることができるでしょう。二千年も前のひとことが、今もなお語り継がれているのは素晴らしいことだと思いませんか?

 最近、この言葉が意外な形で注目を浴びました。アメリカに2度目の関税交渉に出かけた赤沢経済再生担当大臣(鳥取県選出)が、「ある自動車メーカーのトップに話を聞くと、1時間に100万ドルずつ損をしていっている状況ですと。今、輸出すればしただけ損が出ますと。ゆっくり急ぐということをやらなきゃいけないと思っています」この報告を受けて、石破茂首相は、トランプ米政権との関税交渉を巡り、「ゆっくり急ぐ」と説明しました。首相は「これは『名言』と言えば『名言』なのだが、『ゆっくり急ぐ』ということなのであって早ければ良いというものではない」などとかわしました。

 私の学生時代の恩師の故・安藤貞雄(あんどうさだお)教授も、授業中によく口にされていた言葉です。急ぐのに、ゆっくりせよ、というのは一見すると矛盾していますね。初めて聞いた時には何のことかよく分かりませんでした。年を重ねた今ならその価値を実感することができます。先人たちの素晴らしい知恵です。開拓社から2021年に復刻された安藤先生の名著『【新装版】基礎と完成 新英文法』の帯には先生からのアドバイスが出ています。

 Fesstina lente!(ゆっくり急げ) 英語力という建造物を構築するには、文法というしっかりした骨組みが不可欠である。ただし、本書を1回読んだくらいで完璧になるものではない。何回も反復して読んで、英文法の知識を確実なものにしていただきたい。(安藤貞雄)

 この言葉は、京都大学の日本初の西洋古典学の教授だった田中秀央博士の座右の銘でもありました。恩師・ケーベル先生から授かった言葉と聞きます。あれもこれも言葉を学ぼうとしてあせっていた田中先生ケーベル先生曰く、「フェスティナ・レンテ」だぞと。かなり意訳すると「あせるな、じっくりやれ」となるかもしれません。尊敬する故・外山滋比古先生『人生を愉しむ知的時間術~“いそがば回れの生き方論』(PHP文庫)の中で、田中博士研究社出版部の担当者とのハガキのやり取りの中で、この「フェスティナ・レンテ」が度々登場していたことを紹介しておられます。日本で西洋古典を学ぶ人は必ずギリシア語、ラテン語をマスターしなければならず、文字通り寝食を忘れて努力しないといけないわけです。その結果、それなりの力がついても、本人としてはまだまだ何も身についていないと思い、絶望にも近い気持ちが押し寄せるものです。田中先生もそうだったのでしょうか。

 「ゆっくり」とは、スピードを落とすこと。「急ぐ」とは、スピードをあげること。速くすることと、遅くすることは正反対の動きですから、一見矛盾しているように聞こえます。でも、実は、両者をうまく組み合わせるところに意味があるのです。ほどよい速さで着実に進むことで、また、途切れなく、毎日続けることでもあります。ものごとは、気持ちがあせると、身体の動きが鈍くなります。意識しすぎると、かえって、バランスがくずれてしまうのですね。長い目で見て、よりよい結果をもたらすためには、いっぺんにたくさんやろうとせずに、少しずつ、コンスタントに、進むこと。何かに到達するには、道の途中で疲れてしまわないように、自分をケアすることが必須条件になります。とは言うものの、「ほどよい速さ」とは何でしょうか?それは、何も考えなくても、いつも同じようにできるスピードのことです。つまり、いつも同じようにできる、続けられるような調子で、ということ。「いつも同じようにできる」ためには、鍛錬が要ります。

 現代の私たちは、「急がなくちゃ」と思うことに慣れすぎています。問題は、急ごうとすることで、かえって、遅くなっていることに、気がつかないままでいる、ということなのです。ものごとは、いったん、slow downすることで、よりよく、習得できます。ゆっくりするには勇気がいります。自信がないと、走り出そうとする自分にブレーキをかけることは難しいのです。

 世界中のことわざを集めた本を見ると、昔から、急ぎ、慌ててはいけないことに先人たちは気が付いていたことがよく分かります(下記参照)。時代と社会を超えて、その概念は世界で見事に一致しているのは驚くべきことですね。

急がばまわれ(日本)
ゆっくり行くことを怖れるな(中国)
ゆっくり行くものが遠くまで行く(イタリア)
急ぐなら、もっとゆっくりせよ(イギリス)
急いで行こうと思ったら古い道を行け(タイ)
ゆっくり行くものは確実に行く(フランス)
おそくても、ぜんぜんしないよりはよい(ドイツ)
急げば急ぐほど、まずくゆく(フランス)

 外山先生の本を読むと、「田舎の学問より京の昼寝」という諺がよく出てきます。あることわざ辞典には「田舎で勉強してもたかが知れているが、都はただそこにいるだけで見聞を広める材料がたくさんあるので知識が身につくということ」などと、とんでもない間違った解釈が載っていたのですが〔笑〕、そんなつまらない意味ではなく、これは、「ゆっくり急げ」(フェスティナ・レンテ)ということと同義で、「一本調子ではなく緩急のリズムをつけることが、生活には大事である」という意味です。つまり、一心不乱に勉強する田舎「モノ」より、勉強の合間に昼寝をするゆとりがある都「ビト」のほうが、成果が出るという教訓なのです。田舎の人は純朴だから、一心不乱に他のことは一切顧みることなく学問に精進します。それに対して、都の学者は生活にリズムを持って学問をします。学問をする合間に、一休み、昼寝をするゆとりがあります。いかにも遊んでいるようですが、そういった学問の方が、学問一筋の田舎の学問よりもすぐれた成果をあげることができる、そのように解釈して初めて、このことわざのユーモアを理解することができるのです。「よく学び、よく遊べ」(←All work and no play makes Jack a dull boy.)と相通ずるところがありますね。やはり勉強一点張りではいけないことを教えています。

 あの文豪・森 鷗外は、子どもに教えたと言われています。どんなに面倒なことでも、一つひとつ片付けていけば、かならず解決する。糸が絡んでなかなかほどけない時も、一挙にほどこうとしてはいけない。端の方から少しずつ少しずつほぐしていけばいい、と。ところが、たいていの人はこんぐらがった糸のかたまりを見ると、興奮してやたらなところを手当たり次第にひっぱってしまい、かえってよけいにほどけにくくしてしまいます。こういったことを、これまで人間はどれくらいしばしば経験してきたか分かりません。「フェスティナ・レンテ」は、そういったことを戒める言葉ともいえるでしょう。♥♥♥

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渡部昇一先生のエピソード(39)~本多静六博士の財産論

 本多静六(ほんだせいろく)先生は慶応2年(1866)、埼玉県久喜市に生まれましたが、9歳の時に父親が急死。多額の借金を抱えて、貧しい生活を余儀なくされます。貧窮の中でも勉学に勤め、14歳の時には家を離れて、岩槻藩の塾長だった嶋村泰が東京に開いた塾に書生として住み込んで勉強を続けました。農繁期には帰省して農業や米つきに励んでいます。明治17年(1884)に東京山林学校(後の東京大学農学部)に入学しますが、入学時の成績は50人中50番目で、第一学期の試験に落第してしまいます。悲観のあまり古井戸に身を投げますが死にきれず、一念発起して勉強に励み、卒業時には首席となって銀時計をもらい、ドイツに留学し林学博士となりました。帰国後は、東京帝国大学農学部教授として教鞭を執るかたわら、国立公園事業に尽力しました。 

 若い頃、故・渡部昇一先生(上智大学名誉教授)に教えていただいて、本多静六『私の財産告白』を読んで大きな影響を受けました。本多先生は86歳でお亡くなりになりましたが、亡くなられる約一年前に「これまでもたくさん本を書いてきたが、それらとはまったく異なった本を書く」として書かれたのがこの本でした(著書は370冊にも上ります)。本多先生がこの本に込めた意図は、序文に明らかです。「今ここに長い過去を省みて、世の中には余りにも多くの虚偽と欺瞞とご体裁が満ち満ちているのに驚かされる。私とてもまた、その世界に生きてきた一偽善生活者の一人で、今さらながら慙愧の感が深い。しかし、人間は八十五の甲羅を経たとなると、そうそう嘘偽りの世の中に同調ばかりもしておられない。偽善乃至偽悪の目をかなぐり捨てて真実を語り、本当の話をしなければならない。これが世のため人のためにもなり、それが我々老人相応の役目であると考える」そして本多先生は、こうも語っています。「特に財産や金儲けの話になると、今までの社会通念においては、いかにも金儲けの話は心事陋劣のように思われ易いので、本人の口から正直なことは言えないものであるけれども、金の世の中に生きて金に一生苦労し続けるものが多い世の中に、金について真実を語るのが少ないのも、皆にそう思われるからである。しかし、やはり財産や金についての本当のところは、世渡りの真実を語るには必要欠くべがらざるものであるから、もっとも大切な点をぼんやりさせておいて所謂処世の要訣を説こうなどというのは、およそ矛盾である」そこで、お金について自分の全てを語り尽くす、ということで書かれたのが、この『私の財産告白』でした。実際、この本の中で本多先生は、お金についてざっくばらんに語っておられます。そこには一点の偽りもないように思われます。だからこそ、この本は格好の人生の手引書にもなっているのでしょう。渡部先生は、この本を読むことによって、初めてお金というものの本当の姿が分かった、と述懐されます。この本に書かれているお金についての考え方に共感し、大きな影響を受けた、と述べておられます。深遠な哲学書を読むよりも、実生活にはるかに役立つ名著と言うべきである、と(写真下)。

 私がとても参考になったのは、収入の「4分の1」は有無を言わずに貯蓄に回す。いくらでもいい、収入があった時、容赦なくまずその4分の1を天引きして貯金してしまう。そうして、その残りの4分の3で生活を押し通す。あらゆる通常収入は、それが入った時に、自動的に天引き4分の1を貯金してしまう。さらに臨時収入は全部貯金して、通常収入増加の基に繰り込む。これを方程式にすると次のようになりますね。

  貯金 = 通常収入×(4分の1)+ 臨時収入×(10分の10)

収入の4分の1は有無を言わさず貯蓄し、残り4分の3で生活するのは、もちろんたやすいことではありませんし、最初は大変です。しかし本多先生は断固やり抜きます。通常収入に4分の1という「手かせと足かせ」をはめて、残りの4分の3で暮らすのは「はじめから4分の3のお金で暮らすのだと思えば、苦しくも何ともない」という腹決めをすることです。頭から使えるお金はこれだけだと考えて、腹を決めて生活をする。頑張って倹約に努めて、残ったお金を貯めようとしても、お金というのはなかなか残らないものなんです。若い時にこのやり方を教えてもらったことは、私の人生で非常に大きかったと思います。

 お金を蓄えようとすると、ともすればケチと言われます。しかし、お金が貯まり実力がつけば、ケチと言われた人でも気前のいい人に変じます。逆に気前がいいと言われ、一生ピーピーで過ごす人もいます。本多先生は前者の生き方を取ったのであり、これこそが本当の生き方ではないだろうか、というわけです。 そして、本多先生はさらに言います。「貧乏などは一時のものである。蓄財を心がければあれこれ言われるが、そんなことには耳を貸すな」目をつむり腰をかがめて一目散に走り抜ければ、目先の煙に巻かれてまごつくようなことにはならず、そこを突破して弾みがつく生活になる」「金を馬鹿にする者は金に馬鹿にされる。財産を無視する者は財産権を認める社会に無視される」これほど実際的で含蓄に富む処世訓はないでしょう。本多先生の処世の見事さは、蓄えた富の使い方を見れば、さらにはっきりとします。本多先生は蓄えた富のほとんどを、国立公園運動(日比谷公園、明治神宮、大沼公園、羊山公園、大濠公園等)などの公共のために使いました。その一つに本多奨学金の創設があります。本多先生の見事なところは、そのための基金を投資だけで運用せず、専門の知識を生かし、森林を持つことにしたところにも表われています。育った木を切って売り、それを奨学金に充てたのです。だから、戦後の猛烈なインフレ時にも、本多奨学金は何の支障もなく給付され続けました。それが苦学する有為な青年たちをどれだけ助けたことか知れません。この一事を取ってみても、本多先生の金銭哲学の正しさが分かろうというものですね。一般的にお金というと、誰もがこそこそした後ろめたい気配を帯びるものです。その中で、堂々とお金を自分の生き方の基礎に据えた本多先生の生き方そのものが、何よりも優れた処世訓になっています。本多先生『私の財産告白』の最後に、簡潔に人生の要諦を記しておられます。本多先生の生き方を背景に置く時、実に味わい深い言葉です。曰く、「人生即努力。努力即幸福」 お金があってこそ、凡人も知的生活を楽しめるのです。

 定年退職時には、夫婦二人で老後を暮らせるだけの財産以外の、蓄えた富の多くを国立公園運動など公共のために寄付したのです。山林の大部分もその収益を育英基金に充てるべく埼玉県に寄付しています。老後のための蓄えとして手元に置いておいた絶対に潰れるはずのなかった正金銀行南満州鉄道の株は、本多先生が80歳の時、大東亜戦争の敗戦でただの紙切れになってしまいました。普通の人なら絶望して悶死しかねないところですが、そこで「一国民として国家が潰れることなど予見しようもない。ジタバタしても仕方がない」ときっぱり悟り、くじけることなく、再び原稿料や講演料などの収入を貯蓄に回しつつ、慎ましやかな生活を送って、最晩年にまた再び寄付ができるほどの財をなしたのでした。見習いたいものですね。

    もう一つ、本多先生が心がけたのが「一日一ページ分(三十二字詰十四行)以上の文章、それも著述原稿として印刷価値のあるものを毎日必ず書き続ける」ということでした。勤労生活者が金を作るには、単なる節約といった消極策ばかりではなく、本職の足しになり勉強になる事柄を選んでアルバイトすることが重要だと考えたのです。しかも40歳半ばからは「一日三ページ」とペースが上がりました。370冊以上の著書を生み出し得たのは、この日々の積み重ねがあったからでした。 本多先生は、この貯金とアルバイトの集積を「雪達磨の芯」(ゆきだるまのしん)と呼ばれたのです。♥♥♥

 とにかく、金というものは雪達磨のようなもので、初めはホンの小さな玉でも、その中心になる玉ができると、あとは面白いように大きくなってくる。少なくとも、四分の一天引き貯金で始めた私の場合はそうであった。これはおそらくだれがやっても同じことであろう。(『私の財産告白』〈新装版〉)

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「縁雫アンブレラスカイ2025」

 梅雨の時期も明るく楽しく過ごしたいですね。2024年10月にリニューアルオープンした松江市殿町「カラコロ工房」フードホールに、この時期恒例の(2018年より8回目)カラフルな傘が並ぶ「縁雫アンブレラスカイ2025in カラコロ工房」松江市)が開催されています(2025年5月31日(土)~7月30日(水)入場無料)。さらに、昨年大人気だった「縁雫」と「&ご縁の聖地」のコラボ企画「ご縁傘モニュメント」も登場しました。青や赤や黄色など6種類のカラフルな204本の傘が天井からつるされた「縁雫アンブレラスカイ」。華やかなアンブレラボールや、カラコロフードホール天井部を飾るアンブレラアートが、ご縁の聖地・松江の雨を特別なひとときに変えてくれます。高さ約4mのテラスの天井に。赤や黄色青や緑などの色鮮やかな傘が吊るされ、うきうき心弾むような光景が広がります。縁結びの地として知られる出雲地方は雨粒も素敵な縁をもたらす、ということで、雨や曇りがちな天気を美しく見せるカラフルな傘が置かれているのです。晴れた日には、色とりどりの傘の影が地面に映り、写真映えも抜群。思い出づくりにぴったりなスポットとして、人気を集めています。

 松江観光協会が、雨の日でも、楽しく快適に町の散策を楽しんでもらおうと始まったこのイベントです。会場には、スマートフォン片手に訪れる人の姿も多く、今話題のインスタ映えスポットとしても注目を集めています。色鮮やかなアンブレラの光に包まれる空間は写真映えするスポットとしてもおすすめです。旅の思い出にぜひ足を運んでみてください。

 ビックな透明傘「ご縁傘モニュメント」が今年も登場しました。傘をかたどったモニュメントに願い事を書いた短冊をかける催しです。ご縁の聖地・松江で、日頃の感謝や願い事をカラフルな短冊に書いてみませんか?短冊は期間終了後、松江神社にて祈祷します(参加無料・自由参加)。雨の日にご自身が書いた短冊を写真に撮り、対象店舗に提示すると飲み物の無料サービスや商品の割引などの嬉しいサービスがあります。松江観光協会「雨の日にぴったりのイベントなので、ぜひ楽しんで欲しい」と話しています。

 

 「アンブレラスカイ」が生まれたのは、ポルトガルのアゲダという街です。2012年、芸術祭の一環として、夏の強い日差しをやわらげるために、通りの上にカラフルな傘を吊るしたのが始まりでした。そのユニークな景観はたちまち話題となり、現在では世界中から多くの観光客が訪れる人気のスポットとなっています。本場では“夏のイベント”として親しまれていますが、日本では梅雨の時期に合わせた風物詩として定着。雨が続くこの季節だからこそ楽しめる、日本ならではのスタイルで各地で広がっています。私が一番気に入っているのは長崎「ハウステンボス」「アンブレラストリート」です。松江とはスケールがケタ違いです。夜になるとライトアップされ最高の景色となります。♥♥♥

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「ア クールベール」

◎週末はグルメ情報!!今週はフレンチ

 長崎ハウステンボスで今回泊まったオフィシャルホテル「ホテルアムステルダム」のレストラン「ア クールベール」は、和や洋風にアレンジした本格的なフランス料理ブッフェです。ホテルのロビーを出て通路の右側にあります。広々とした店内で、大きく切り取られた窓からは、ハウステンボスパークを見渡すことができます。地元長崎をはじめ九州一円から集めた厳選素材を、長年のキャリアを持つシェフが、フランス料理をベースに、和や洋風にアレンジしたお料理で提供するブッフェレストランです。前菜からメイン、デザートまで、毎日約30~40種類の鮮やかなお料理の中から好きなものを好きなだけ選ぶことができます。パークライフので遊んだ余韻そのままに、上質な食のおもてなしを楽しむことのできるフレンチレストランでした。

本格的なフランス料理ブッフェ こだわりの新鮮な食材

 ここでは本格的なフランス料理ブッフェを堪能することができます。 こだわりの新鮮な食材フランス料理をベースに和風や洋風に中華風にもアレンジしたお料理で提供するブッフェレストランです。食材は地元長崎をはじめ九州一円から厳選したものを使用しています。ご当地コーナーには「五島うどん」もあり美味しかったです。料理を目の前で仕上げてくれるコーナーもあり、調理人のパーフォーマンスも楽しめます!看板メニューは「レモンステーキ」で、シェフが目の前で焼きたてのステーキにソースをかけて完成です!レア加減もちょうどよく、お肉も柔らかく食が進みました。座席数は148席あり広々としていて開放感があり、森の中のピクニックをイメージした内装です。デザートも豊富な種類から選ぶことができます。カステラまであったのは長崎感満悦でしたよ。朝食(6時30分~)も明太子でおなかいっぱいになりました。やはり泊まるのは高級ホテルですね。♥♥♥

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田中琴葉のマンホール

 ゲーム会社の「バンダイナムコエンターテインメント」は4月27日、人気アイドル育成ゲーム「アイドルマスター」(アイマス)のキャラクターや国宝・松江城が描かれたマンホール蓋松江市に寄贈しました。4月28日からカラコロ工房」(松江市殿町)の入り口の所に設置されています。バンダイナムコは、この7月にアイマスが誕生20周年を迎えるのに合わせて、その土地と親和性の高いアイドルをデザインしたマンホール蓋を、全国の自治体に寄贈するプロジェクトを開始しており、松江市熊本市など全国6都市に贈りました。

 マンホール蓋は、直径約60センチで、しじみのみそ汁が大好きというアイドル・田中琴葉(たなかことは)さんと松江城市花・ツバキが描かれています。松江に来てくださったのは、「田中 琴葉」さんを、デザインしたマンホール蓋です。琴葉さんは「アイドルマスター ミリオンライブ!」に出演するアイドルで、私は全く知りませんでしたが、バンダイナムコエンターテインメントのゲーム『アイドルマスターミリオンライブ』シリーズの人気登場人物だそうです。マンホールの蓋には、琴葉さんとともに、松江のシンボル「松江城」松江市の花「ツバキ」、そして松江の味覚の代表である宍道湖の「しじみの味噌汁!」がデザインされています。琴葉さんは、しじみの味噌汁が大好きだそうですよ。カラコロ工房の入り口のところに設置されていました。

▲新しく「カラコロ工房」に設置されたマンホール

 上定昭仁市長「ぜひ写真を撮りに来てほしい」と話し、バンダイナムコ波多野公士ゼネラルマネジャー「多くのアイマスファンが松江を訪れると思うので、温かく迎えてほしい」と呼びかけました。市の担当者は「設置した日には多くの方々がマンホールの写真を撮っていた。観光への波及効果を期待しています」と述べました。

 わが松江市には、他にも見てもらいたい素敵なマンホールがあります。2023年9月には、松江市公共下水道供用開始40周年を記念した素敵なマンホールの蓋が、JR松江駅そばの複合施設「松江テルサ」北側広場(朝日町)にお目見えしました。松江市の公共下水道は1981年4月に供用開始され、2021年4月で40周年を迎えています。また人気アニメの「機動戦士ガンダム」松江市の観光名所がコラボしたマンホールの蓋も、松江市内に設置されました。蓋(直径63.4センチ)にはそれぞれ、桜が満開の国宝・松江城を背に堂々と立つモビルスーツのガンダムと、夕日が沈む宍道湖にたたずむアッガイがカラーで描かれています。ガンダムシリーズのアニメを制作する「バンダイナムコグループ」が、ガンダムのキャラクターを生かして全国各地を盛り上げる「ガンダムプロジェクト」の一環です。(⇒詳しくはコチラをご覧ください)。♥♥♥

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「Happy Birthday」

 さだまさしさんには有名なヒット曲が実にたくさんあります。「精霊流し」、「無縁坂」、 「雨やどり」、「案山子」、「関白宣言」、「風に立つライオン」など、強い思い入れのある曲はいろいろとあるのですが、今日私が取り上げたいのは「HAPPY BIRTHDAY」という曲です。

 「HAPPY BIRTHDAY」は、シングル「道化師のソネット」(1980年)のカップリング曲として両A面扱いでリリースされました。TBS系で1980年2月13日から7月16日まで放送されたテレビドラマ『なぜか初恋・南風』の主題歌でもあります。これは水曜夜9時(水曜劇場)に放送されていた、森光子主演によるホームドラマで、パリに住んでいた主人公がご主人を亡くし、日本に帰国後、東京でクレープ屋を開く、という筋書きの内容でした。視聴率が振るわず途中で打ち切りになったようです。軽い曲調がドラマにピッタリ合っていたと感じます。タイトル通り明るい曲調で、コンサートで歌われると、会場には観客の手拍子が自然に湧き起こります。

   Happy Birthday             作詩・作曲 さだまさし  

 誰にだってひとつやふたつ
 心に開かずの部屋がある
 一生懸命生きているのに
 傷を恥じる事などないさ

 雨が降る日に気になるものは
 雲の大きさばかりだけれど
 空の広さに比べれば
 別に大した事じゃない だから

 HAPPY BIRTHDAY
 HAPPY BIRTHDAY
 昨日までの君は死にました
 おめでとう おめでとう
 明日からの君の方が
 僕は好きです おめでとう

 幸せなんて言葉もあるが
 ひとそれぞれに坪が違う
 人はひとだしあんたはあんた一生懸命生きているのに
 別に張り合う事などないさ                                                                

 雨が降る日派天気が悪い
 雲には雲の行き先がある
 空は確かに広いけれど 心の広さと比べてみるかい

 だからHAPPY BIRTHDAY  HAPPY BIRTHDAY
 昨日までの君は死にました
 おめでとう おめでとう
 明日からの君の方が 僕は好きです おめでとう

 

 明るい曲調のハッピーソングのように聞こえますが、歌詩の中にはドキッとするフレーズが出てきます。誕生日なのに「昨日までの君は死にました おめでとう おめでとう」という部分です。誕生日の歌で「死ぬ」とは縁起が悪い、と物議を醸し、「やっぱりさだまさしは暗い!」という噂の突っ込みどころにもなりました。

 誰でも人生は思うようにはいきません。人を傷つけることもあれば、傷つけられることもあります。このままの自分でいいのかと真剣に悩むこともあるでしょう。しかし、それは昨日までの自分であって、昨日までの自分は実はもう過去の存在であってもういません。今新しく生まれたと思えばいいのです。明日からは違うあなたの人生が始まるのだ、という人生の応援歌なのです。そうか、これまでの自分から新しい自分に生まれ変わればいいのか。生まれ変わるなら、もう今までのことをあれこれと悩む必要はない。過去から解き放たれればいいのか、と。だからこその「死にました」なのか。だから生まれ変わった自分に対して「HAPPY BIRTHDAY おめでとう」なのか!

  「さだまさし50周年記念祭総代」を務めた松本秀男(まつもとひでお)さんは、この歌は自分の存在理由に迷う人たちに贈られた応援歌であると同時に、学生時代のさださん自身に向けられた歌だと解釈しておられました。バイオリンの修行で中学生の時から一人東京に出てきたさださん。長崎の実家はお金のない苦しい時代です。それでもさださんのバイオリンの才能を信じて東京に送り出してくれた父と母。その期待を感じながらも徐々にクラシック音楽から道を踏み外し挫折していきます。音大附属高校の入試に失敗し、大学も望みもしない法学部に入って中退。お金がなく、大切なバイオリンまで質屋に入れてしまったこともありました。自分の存在理由が全く分からなくなり、自分で自分を「いじめ」に入ったとさださんは振り返っています。そんなさださんが、あきらめるなと自分自身に歌った歌だというのが松本さんの解釈です。 

 ちなみに、NON STYLE石田さんは、さだまさしの大ファンで、落ち込んでいる時にこの曲を聴いて心に沁みたと、以前テレビ番組で話しておられました。♥♥♥

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渡部昇一先生のエピソード(38)~本の読み方

 学生時代に、故・安藤貞雄(あんどうさだお)先生から、日本では手に入らないオランダのイディオムに関する研究書をお借りして読んだことがあります。本を読み進めていると、要所要所に「Yes!」「No!」「?」という書き込みがあり、その理由が簡潔に書き込まれていました。「あ~そうか、本というのはこんな風に読むものなのだな」ということを、お借りした本からまざまざと教えていただきました。以来、私もそんな読み方をずっとしてきました。そのためにも、本というものは図書館で借りるものではなく、自分で買い求めて手元に置かねばならなかったのです。何か疑問点が生じた時に現物が手元にあれば、手っ取り早くあたることができます。また読みながら自分でコメントを本の中に書き込んでいくこともできます。したがって、本は身銭を切って買わなければならないものと考えているのです。そんな訳で、松江に帰ってきて、自宅を新築した時には、大枚をはたいて別注の書庫を作って本の置き場を確保したつもりでしたが、もうその書庫にも収まりきらずに、八幡家では本が溢れ出しています。

 読書において何よりも大事なのは、本を読むことです。読んで著者と知的・情的に交流することです。そしてできれば感動して、自分の人生に潤いや滋養を得たい。このような見地から、渡部先生の薦める読書法は次の通りでした。まず、読みたい本は必ず購入すること。形式として自分のものにしてしまう、これは知的手段を私有財産とするための第一歩です。後は実際に読み込んで、内容を自分の財産にできるかどうかということになるでしょう。そのために一番いいのは、本に直接マークを書き込んでいくことです。第一段階として、読んで感心した(あるいは自分にとって重要だと思った)箇所には、赤線を引きます。次に、もっと感心した箇所には線を引いた上に丸印をつけます。さらに感心したらこの丸印を二重丸にします。圧倒的に感服した場合は三重丸。また、読んでいて疑問を感じたところには、疑問符を書いておくのもいいかも知れません。あるいは、自分が関心を抱いている問題について特に重要だと思うことが出てきたら、本の表紙の裹などの余白に、そのページ数とテーマをメモしておくのも役に立ちます。例えば、森 鷗外に関心のある人が、本を読んでいて、彼についての新しく面白い知識があったならば、表紙の裹の余白に「鷗外○○ページ」などと記しておけばよいでしょう。以上述べたような読書法は、ほとんど手間などかかりません。極端に言うなら、寝転がってでもできるものです。しかも、このようにして印をつけながら読んだ本は、再読・三読の際には、線を引いたり丸印をつけたりした箇所に重点的にアクセスすればいいわけですから、知識の固定や活用には便利なのです。それに、何かの時に「確か、あの本に書いてあったな」ぐらいのことは、さすがに思い出せるものなのです。ただし、ここまでやって読了した本にもかかわらず、後日、記憶の片隅にも全く残っていないようであるならば、「自分の知的財産とはなり得なかったのだ。まあ、仕方あるまい」と、潔くあきらめるしかないでしょう。相性のいい著者のものを読んでいると、非常によく頭に入るし、また気づかされる点も多いのです。この相性というのも、たくさんの本を読みこなしていくうちに、自然と身についていくものです。この三段階渡部式読書法、実に参考になりました。私も若い頃からこうした「読書法」を真似て実践してきました。

 自分の本を買って、重要だと思われる部分に線を引き、メモを記入し、それを自分の蔵書としておけば、何かの機会に「あの本ではどうだったか」と疑問が湧いた時、書棚に行ってページを繰るだけで、自分が考えていたことが生き生きとよみがえってきます。自分自身による、自分自身のための、かけがえのない思考の蓄積になるのである。そのような本を揃えていけば、それは自分にとっての最良の「書庫」となり、その場所が自分にとって最高に居心地の良い「書斎」になります。自分自身の思考の蓄積が、目に見えるかたちですぐ手に届く場所にあることは、便利なことこのうえないし、成果も一望できて気分もよい。自分の関心を中心に据えて書庫を充実させていけば、六畳一間、八畳一間でも十分に威力を発揮するのです。

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▲先生の名言のエッセンスが満載の一冊!!

 渡部昇一先生『渡部昇一一日一言』(致知出版、2016年)の11月24日付には、「読書が人を強くする」と題して次のような言葉が挙げてありました。♥♥♥

 絶えず本を読むことです。人生について書かれたものや、成功談というのは、やはりその人の長い人生での経験がつまっているものですから、それらに接している人はやはり他の人とは違ってくる。それは、立身出世主義だとかあるいはお説教じみているとか、道徳臭いとか何とか、悪口をいう人はいっぱいいる。だけど、心掛けて、そういったものを読み続けた人というのは、やはり何かの時には強いと思います。

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「バイモ11」

 今日は、私が毎日使っているホッチキスを取り上げます。英語ではstapler(ステイプラー)と言います。伊藤喜商店(現イトーキ)が日本で初めてホッチキスを販売した明治36年(1903年)に遡ります。販売された製品はアメリカのE.ホッチキス社製のステイプラーで、製品には大きく「HOTCHKISS No.1とブランド名が刻印されていたことから、この呼び名が定着していますが、和製英語です。かつては、綴じ針が連続して打ち出される構造が、機関銃の構造と全く同じことからの連想で、機関銃の発明者ベンジャミン・B・ホッチキスの名にちなむとされていました。しかしE.H.ホッチキス社の社名は、創業者のジョージ(George Hotchikiss)イーライ・ハベル(Eli Hubbell Hotchkiss)の親子の名前からとられたもので、ベンジャミン・ホッチキスとは関係ないことが分かっています。

 昔ながらの、金具の裏側が山なりになるあれ、あのタイプを使い続けている人も多いんじゃないでしょうか。私の勤務していた松江北高でもまだあのホッチキスが幅を利かせていました。そうそう壊れるものではありませんから、ずっと昔に買ったものを使い続けている、ということなんでしょう。たまに使うだけだから、もしかしたらその違いが分からないのかもしれません。でも、事務をする人ならもう十分お分かりだと思いますが、冊子を作ったりした時、冊子を止める針の部分だけページが盛り上がります。部数の少ないときには気が付きませんが、50部とか作ると、置く場所にも困るくらい、留め具の部分が盛り上がってきます。ひどい時には積み重ねた書類の雪崩が起きます〔笑〕。

 当時私は、「フラットクリンチ」が出た時には飛びついて買ったものです。「フラットクリンチ」とは、綴じ裏に出ている針が平らになる綴じ方のことです。[「フラット」=平ら+「クリンチ」=打ち曲げる]という名前の通りです。普通のクランチの場合、綴じた針の裏側はめがね状で、針と紙の間に隙間があります。一方、「フラットクリンチ」は綴じ裏が平らなので、綴じた部分のかさ張りを抑えることができます。「フラットクリンチ」の工程は次の通りです。通常のクリンチとどこが違うのか考えながら見てみてください。

1.マガジンに装填された針が、バネの力によって前方に押し出される。

2.先頭の針がドライバーによって紙に打ち込まれる。

3.紙を通過した針は、クリンチャガイドに沿って最後まで打ち込まれる。

4.最後まで打ち込まれた針は、クリンチャの溝に沿って曲げられ押し上げられる。

 ホッチキスの仕組みと似ていますが、注目すべきは「クリンチャガイド」と、針が曲げられるタイミングです。通常のクリンチの場合、針の打ち込みと曲げを同時に行います。一方、「フラットクリンチ」の場合、針を打ち込んでからクリンチします。そのため、根元から折り曲げることが可能になり、綴じ裏が平らになるのです。この「フラットクリンチ」は、「(株)MAX(マックス)」が開発した世界初の技術で、「重ねた書類がかさばるので、ホッチキスの裏をかなづちで潰している」というお客様の声を受けて開発されました。「フラットクリンチ」で綴じられた書類は見た目もスマートで、積み重ねても書類の雪崩が起きません。そしてなんと、通常のクリンチで綴じた場合の75%のスペースで収納できます。お客様に寄り添ったことで誕生した、素晴らしい技術ですね。まあこれでも金具の厚み分は少しは盛り上がるんですよ。でも、従来品よりはだいぶマシです。「フラットクリンチ」も、初発の頃よりかなりの年月が流れています。今は進化して、軽い力で綴じられるようになりました。「フラットクリンチ」は、高級機についていた特別な機能だったせいか、「フラットクリンチ」のステープラーはちょっとばかり高級感があるような感じがするものでした。しかしながら、最近では普及機までその機能が降りてきたせいで、ステープラー本体もお安い感じのする造りになってしまったのは、少々残念です。

▲「バイモ11」(マックス)

 「文房具の八ちゃん」が今日ご紹介するのは、「バイモ11」(マックス)です。手に持った感じは普通のホッチキスとそれほど変わらない大きさです。色もオシャレで選択肢が広がります。私はもっぱらブルーを愛用しています(写真上)。この「バイモ11」というネーミングの由来は、「バイモ→倍も」「11→ホッチキスの針のサイズ」から来ています。

 ホッチキスで厚い紙をとめると、針が曲がってしまったり、力がいるので手が疲れたりしていましたが、これは片手で簡単に、しかも綺麗に綴じられます。綴じた瞬間のパチンという音と感触が実に気持ちいい!失敗知らずなのもうれしいです。軽綴じ仕様です。簡単に40枚綴じることができました。これなら大量の資料のホッチキス留めなどもストレスを感じることなくできそうな気がします。本当に軽い力でたくさん綴じることができます。厚みのあるものだけでなく、厚みのない2枚綴じでもキレイにしっかりと綴じてくれます。

▲窓から残った針の数が見える、これ便利!

 ねえ!これ、気がつきましたか?針の残り本数が横の窓から見えるようになっているんです。芯の残量メーター、「針残量確認窓」です。これなら作業する前にチェックして、残りが少なかったら足してから作業すれば途中でなくなっちゃうこともなくて便利ですよね。それに、裏を見ると、針のサイズが確認できるように実寸の溝までついています。こういう細かい心遣いって結構嬉しいものですよね。使う人のことをよく考えて作っているという感じがします。みんなに好評だった「バイモ11スタイル」バイモがよりスリムに美しく進化した形です。逆に従来の「バイモ11フラット」は、手が大きい男性に力が入れやすくて使いやすいと好評なんだよ!どちらのバイモも「てこの力」で格段にかろやかな「綴じ感」を実現しています。

 「バイモ11」にはこれまでの小型ステープラーにはなかった性能があります。実は「バイモ11」、これまでずっと使ってきた、というか、いわゆる小型ステープラーの定番針の10号を捨てたんです。事務所の机の中に転がっている№10のあの箱、あれがね、もう使えません。代わりに№11の針を使います。針の太さは変わらないものの、横幅2mm、縦長1mmと微妙にサイズアップされています。そのため、これまでの小型ステープラーでは20枚程度しか留められなかったものが、倍の40枚まで一気に留められるようになりました。本体の大きさ、留める時の力はこれまでのものとほとんど変わりません。その上で40枚まで一気に留められる。これは意外と便利です。私も日常的には2~5枚程度を留めることがほとんどなんですが、たまに30枚とかの冊子を作ることがあります。そういう時にいちいち中型ステープラーを探さなくてもよい。これはずいぶん助かります。さらに芯を補填するために、本体を開けた際にロックがかかるようになっているので、安心して100本の針を装填することができます。

 (株)マックスは、2枚から40枚までの書類を軽い力で美しく綴じることができる「Vaimo11」シリーズに、40枚を閉じる機構はそのままにして、小さい手にも収まるミニサイズを実現した新モデル「Vaimo11 POLYGO」(バイモイレブンポリゴ)を、2016年から発売しています(1296円)。私は発売時に「東急ハンズ」で購入しました。2008年に発表された「Vaimo11」シリーズは、専用針「No.11」の開発により、ハンディタイプで40枚までのぶ厚い書類を片手で綴じることを可能にした画期的な新世代ホッチキスで、私も重宝していました。これはそのバージョンアップ版です。

 私は商売柄、たくさんの書類を綴じることが多いんです。この商品が出るまでは、分厚い書類を綴じる場合は、「卓上ホッチキス」を使っていました。それに使用される針「No.3」は、線径が太く、肩幅や針足が長いために、紙を貫く際の抵抗がかなり大きく、書類が厚くなるにつれてものすごい力が必要でした。まさに「ガッチャーン!」という感じですね。それが「Vaimo11」シリーズ専用に開発された「No.11」の針は、「No.10」と同じ線径で、肩幅は約2mm、針足の長さは1mm長く設定されています。「No.10」と同線径であることによって、紙に針が入りやすく、少ない力で40枚をしっかりと綴じることができるんです。また、針を外す際も、「No.3」に比べて針の抵抗が少なく、楽に外せるというメリットもあります。この商品の針受け部分をよーく観察すると、複雑な切れ込みがあります。この溝のおかげで、書類の厚みによって変わる針の傾きを確実に捉えて、転びを防いでいるんですね。

baimoyjimage 今回の「Vaimo11 Polygo」は、従来の性能は維持したままで、針の装てん数を通常の半分となる50本にまで減らすことによって、さらに小型化を図り、軽量化を実現しました(写真右)。小さい手にも収まり、使いやすくなっています。同シリーズの専用針は直径が細く、紙の抵抗が少なくなるため軽い力で留めたり外したりできるほか、仕上がりの見栄えもよいのです。綴じ裏は針が平らになり折り返しに膨らみの出ない、例の「フラットクリンチ機構」です。大量の資料を重ねた時や、回覧する時にかさばらずに便利ですね。これ、今では業界の常識です。針の残量目安が一目でわかる「針残量確認窓」も搭載しています。綴じ間違いの際の除針作業も、正確に針を捉え、綴じた針の両端をしっかりとホールドする「針押さえ付きリムーバー」も搭載しています。軽い力で取り外すことができますし、針押さえがついているので、取り外した芯が飛んで行ってしまう危険がありません。小さな針は落としておくと危ないものです。安全に使うためには便利な機能ですね。装填が終わり、ホッチキスを閉じる際、思い切り閉めるとホッチキスの針が出てしまい、1本ムダにしてしまうなんて経験はありませんか?「バイモ11」では装填後も針を無駄にせず、優しくホッチキスを閉じることができます。デザインは、各エッジ部分にダイヤモンドをイメージしたカットを施したスタイリッシュで高級感のある多面体(ポリゴン)です。外観ではここが大きく変わった点です。綴じる際に、手に当たる部分の曲面を取り入れることで、手に馴染みやすいように設計されているんです。

 何と言っても、手のひらサイズなのに40枚も綴じられるのが最大の魅力ですね。手や針に余計な負担がかからないよう、細部の仕掛けにこだわっており、想像以上の綴じの軽さを実現しています。「ガシャーン!」という衝撃を、「サクリ」という感触に転化させた点が評価されます。綴じの軽さと安定感はナンバーワンでしょう。いまだに昔のホッチキスを使っている人は、ぜひ乗り換えて試してみてくださいホッチキスはもうここまで進化しているのです。❤❤

  ①軽綴じ機能で薄いも厚いもブレずにきれいに綴じられる
  ②サイズ感がコンパクトで握りやすい
  ③針押さえリムーバーで安全に使える
  ④残量メーターが分かりやすくて便利
  ⑤大きく開いてらくちん針入れができる
  ⑥フラットクリンチで重ねてスッキリ

 

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『鉄道ジャーナル』休刊!

 毎月いつも20日過ぎに松江市の書店に並ぶ三大鉄道雑誌(『鉄道ジャーナル』『鉄道ピクトリアル』『鉄道ファン』)の表紙や特集内容を見て、気に入った号を買っていました。ところが、先月はいつ行っても、私が一番買っている『鉄道ジャーナル』(成美堂出版)が並んでいません。他の2種類はあるのにオカシイな?と不思議に思っていたところでした。今日「産経新聞」を読んでいて初めて休刊になったことを知りました。迂闊だった!1967年(昭和46年)の創刊以来、58年にもわたって刊行され続けてきた老舗の鉄道総合雑誌『鉄道ジャーナル』が、2025年6月号をもって休刊したとのことです。紙が強いと考えられていた趣味系の雑誌、しかも趣味の中でも熱狂的なファンが多い鉄道というジャンルの雑誌の休刊は、出版業界全体に大きな衝撃を与えています。2024年12月発売の2月号で通巻700号も迎えた老舗雑誌です。誌面では、近年または今後の鉄道業界の動向・展望、ローカル(地域)鉄道に関する現状やこれまでの歴史などを掲載し、鉄道趣味にとどまらない特集等を広く紹介してきました。三大鉄道月刊誌と称されてもきた、由緒ある鉄道趣味雑誌の雄が休刊になることに、大いなる寂しさを感じているのは私だけではないでしょう。鉄道マニア向けというよりも、社会の中での鉄道の存在を考える視点を含んでいた最も由緒正しい鉄道雑誌だと目されていた『鉄道ジャーナル』の休刊は、鉄道マニアのみならず、鉄道と社会について考察する方々に、少なからず衝撃を与えているのではないでしょうか。インターネットの急速な普及などの影響による出版界全体の厳しい状況などが、休刊の原因なのかもしれませんが、できることなら、早期の復刊を期待したいところです(でも一度休刊したらまず復刊は無理というのがこの世界の常識です)。

 休刊に関して、発行元の鉄道ジャーナル社は、「長年にわたり支えてくださったみなさま、ご寄稿いただいた執筆者のみなさま、制作にご協力いただいた関係の方々に御礼申し上げるとともに、今後もご購読を予定されていた読者のみなさまには心よりお詫び申し上げます。」とコメントしています。なお、休刊に伴うWEB版への移行の用意はないとしています。『鉄道ジャーナル』宮原正和編集長は、「雑誌の休刊というと、売れ行き不振を理由に挙げることが多いですが、鉄道ジャーナルに関してはそういったことではなく、端的に説明することは難しいと感じています」「近年の鉄道ジャーナルは、ほかの媒体ではなかなか扱わないようなテーマや、ほかでは読めないような記事を載せていきたいと考えてきたのですが、伝統的な鉄道記事を愛する読者が想像以上に多かったということかもしれません」と、売れ行き不振が理由であることは否定しました。社内の複雑な事情を推測させるような言葉です。

 近年の雑誌業界を取り巻く環境は、電子媒体の普及と併せ、読者層の変化、出版コストの増加など、逆風となる数々の厳しい要因を抱えています。その一方で、鉄道ファンの衰退を指摘する声もあります。2010年の「日本経済新聞」に掲載された野村総合研究所の研究員のコメントによれば、鉄道ファンの数は150万~200万人ほどと言われていました。これはライトなファンを含めた数字であり、中心となるヘビーな鉄道マニアは約2万人と言われています。それから15年が経った2025年、当時よりファンが減っているのは間違いなさそうです。というのも、全国の鉄道がじわじわと利用しにくい存在となっているためです。廃線となったり、便数の減少が目立つローカル線や、これまで熱狂的なファンが多かった「青春18きっぷ」は、システムが変更されたことによって、使いにくい切符になってしまいました。ローカル線を旅したり、乗りつぶしをするなどの“乗り鉄”がやりにくくなってしまったようです。JR北海道では、資金難のため、高速運転を目指していたキハ285系気動車の開発が中止されました。そしてコロナ禍では各鉄道会社が経営難によって、合理化がより一層進んでいます。鉄道ファンにとっては寂しい話題が相次いでいる一方、「寝台特急サンライズ出雲・瀬戸」のチケットはプラチナ・チケットとなっていますし、また、富裕層やインバウンド観光客を狙った豪華仕様の観光列車などは依然として大人気です。しかし、誰でも気軽に利用できる列車が本数を減らしているのは事実です。また鉄道ファンの在り方も様変わりしています。鉄道旅の魅力を動画で発信するユーチューバーが人気を博しており、情報入手先も、雑誌からネットに移りつつあります。臨時列車の運行情報などは、真っ先にネット上で共有されており、速報性という点では紙媒体ではとうてい太刀打ちできないでしょう。鉄道雑誌はかつてはファンの写真投稿の場としても機能していましたが、それもメインはSNSに移行してしまいました。

 鉄道業界は近年、人気路線の減少や運行の効率化が進み、鉄道ファンの数も減少しています。特に新幹線の普及や高速道路の整備により、以前ほど鉄道に対する関心が高くなくなったことも影響しているのかもしれません。『鉄道ジャーナル』のような専門的な雑誌が人気となる時代背景としては、鉄道の技術革新や大規模プロジェクトに関心が集まっていた時期と重なっていますが、今ではその関心も薄れている現実が間違いなくあります。また、インターネットの普及によって、鉄道に関する情報はオンラインで容易に得られるようになり、YouTubeやSNSを使って鉄道に関する動画や情報を視聴することができるため、紙媒体に対する需要はどんどん低下しているのです。紙媒体全体の衰退は、特に近年のデジタル化による影響が大です。スマートフォンやタブレット端末を通じて、誰でも即座に情報を入手できる時代となり、紙媒体に対する依存度が低くなりました。さらに、環境意識の高まりやコスト削減の観点から、広告主や出版社もデジタル化を進める動きが加速しています(鉄道だけでなく一般誌も同様です)。デジタル版やウェブサイトを運営している場合も多く、紙媒体の販売は難しい状況に直面しています。紙の雑誌は、持ち運びに不便であり、時事性が強く求められることもあり、即時性という利点を持つデジタルメディアには負けてしまうことが多いのです。

 『鉄道ジャーナル』の休刊は、鉄道業界の縮小と紙媒体全体の衰退の二つが重なった結果だと考えられます。鉄道ファンの減少や業界の変化が、雑誌の購読層を狭め、紙の雑誌の売上減少を招きました。また、デジタルメディアの台頭により、紙媒体にとって競争はますます厳しくなっています。それに加えて、広告収入の減少も休刊の原因の一つでしょう。広告主がデジタルメディアへ移行し、紙媒体に対する投資が減少したために、収益面でも厳しい状況が続いているのです。デジタルメディアの台頭と鉄道業界の縮小により、今後も紙媒体は減少していくものと予想されます。しかし、鉄道メディアの未来は、今後のデジタルメディアの活用にかかっており、新たな形での鉄道情報の発信が求められる時代になっています。

 私が大好きでよくお邪魔する「京都鉄道博物館」本館3Fギャラリーでは、2025年8月3日(日)まで、写真展「『鉄道ジャーナル』一番すきな表紙を選ぼう」 を開催しています。この展示会では、4月に発売された6月号をもって休刊となった『鉄道ジャーナル』の表紙、全704号分をタペストリーで壁一面に展示しています。♥♥♥

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