BT Dubs

 「BT dubs / BT Dubs」 はかなりカジュアルな英語スラングです。BT dubs“by the way”(ところで/ちなみに)のよりくだけた・ふざけた・軽いノリの言い方です。つまり意味は BTW と同じです。

  • BTW = by the way(略語)→チャットやメールで普通に使われる略語。カジュアルだが一般的。

  • BT dubs = by the way をわざと音で崩した言い方→友達同士の会話で使うような遊び心のある言い方。真面目な場面では使われない。

  By The WayBT Dubsになるステップは次の通りです。

1.BTW:まずBy The Wayを頭文字に略します。

2.BT-Double U:アルファベットの「W」をそのまま読みます。

3.BT Dubs:長い「Double U(ダブル・ユー)」を略して「Dubs(ダブズ)」と呼ぶようになり、今の形になりました。

 このBT Dubsは、大島さくら子・スティーブ・バーンスティン『知的な英語ネイティブが日常会話で使う表現』(クロスメディア・ランゲージ、2025年)でも取り上げられました。

BTWは話題を変える時に使うby the wayの略語で、「ところで」の意味。このW(ダブリュー)を、double you(ダブルユー)とし、さらにdubs(ダブス)と省略して言うようになった。かなりカジュアルな表現です。

 ニュアンスの違い。意味は同じですが、使われる場面と雰囲気が少し違います。

表現 ニュアンス
BTW 普通の略語。カジュアルだが一般的
BT dubs かなり砕けた・冗談っぽい・若者ノリ

  BT dubs は完全に話し言葉寄りで、SNS・チャット・友達同士の会話限定と思ってOKです。「ちょっとしたおまけ情報だけどね」という、ちょっとしたお茶目さやキャッチーな雰囲気を出すことができます。

① 日常会話・チャット

BT dubs, did you finish that show I recommended?(ところで、あのおすすめしたドラマ見終わった?)

BT Dubs, your outfit looks awesome today.(ついでに言うと、今日の服めっちゃいいね)

BT dubs, did you watch the new episode? (ところで、新しいエピソード見た?)

“That movie was great! BT dubs, are you coming to the party tonight?”(あの映画最高だったね!ちなみに、今夜のパーティーは来るの?)

② 軽い付け足し情報

Oh, BT dubs, I’m running a bit late.(あ、ちなみにちょっと遅れる)

“I’ll be there at 5. BT dubs, I’m bringing pizza.”(5時に着くよ。あ、ついでに言うと、ピザを持っていくね)

③ SNSっぽい使い方

BT dubs this café is amazing.(ちなみにこのカフェ最高)

BT dubs, I’m gonna be late today. (てか、今日ちょっと遅れるわ。)


 超カジュアル&口語表現ですから、ビジネスメール、目上の人との会話、フォーマルな文章では使わない方が無難です。♥♥♥

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命・時・心

 「人間道」を語るために、私の大好きなシンガーソング・ライターのさだまさしさんは、今まで一体「何」を素材に歌にしてこられたのでしょうか?それは「命」「時」「心」の三つです。さださんが一貫して歌作りの「主題」と位置付けてきたものは、自分の意思ではどうにもならないものでした。どうにもならないものとの格闘こそが、「生きること」と受け止めておられたのです。

 「命」「時」「心」-。さださんは、この揺るぎない三つの主題を「不平等の三元素」と呼んでおられます。人は生まれ、死に向かって生きていますが、その与えられた「命」は平等ではありません。命の重さは同じですが、人によって長さは異なります。たとえ長生きしたいと願っていても病に倒れる命があれば、自ら絶ってしまう命もあります。理不尽にも犯罪や災害、不幸な事故で奪われてしまう命もあります。「時」も平等には流れることはありません。過ごす長さは同じでも、使い方によって質量ともに大きく変わるのです。後になって反省したり、後悔したりすることは少なくありませんが、過ぎた時間は二度と戻ることはありません。最後の「心」は、自分の持ち物だから人間誰しも思い通りになると思いがちですが、実は最も自分の意思通りにならない不平等なものかもしれません。例えば、やめようと決心してもやめられないことは多いのです。人は元来弱く、情けない生き物だからこそ、そこに心の葛藤が生まれます。 「曲を作って歌うことを仕事と決めた時に『僕に与えられた任務は何なのか』と考え、導き出した答えが不平等の三元素を歌っていこうという決意だった。その主題がぶれなかったからこそ、歌い続けることができたのかもしれないね」さださん。どうあがいてみても「命」「時」「心」は永遠に制御することはできまません。だからこそ、さださんはいつまで経っても「歌い尽くした」「書き尽くした」という境地に達することはあり得ないのです。

 このように「命」「時」「心」を歌ってきたさださんの軌跡は、2013年の6月26日に発売された、ベストアルバム『天晴~オールタイム・ベスト』の中に凝縮されていました。「歌手生活40周年」などを記念してユーキャンが実施した「あなたが選ぶさだまさしベスト さだまさし国民投票」の結果を基に、上位39曲をCD3枚に収録したのです。それぞれのCDにテーマ別のタイトルが付いていました。一枚目は「こころ」、2枚目は「とき」、3枚目は「いのち」でした。全ての楽曲が「命」「時」「心」に分類できたことがまさに、さださんの軸足がぶれることがなかったことの証明でもありました。ところで、このアルバムが発表された時、私などは40周年で39曲とはいかにも中途半端だな、なぜ40曲にしなかったんだろう?と不思議に思ったりしたものでした。現場からタネ明かしをされて納得しました。「親父の一番長い日」「風に立つライオン」「フレディもしくは三教街~ロシア租界にて」「遙かなるクリスマス」といった長い曲がずら~りとランクインしたためにどうしても1曲収録できなくなり、39曲にせざるを得なかったんだそうです。ではちなみに40位は何だったか?というと、ほんのわずかな差で私の大好きな「驛舎」(えき)という歌でした(⇒「驛舎」の私の紹介記事はコチラです)。

 当時、彼が紡いだ520曲を超える楽曲の中から、「国民投票」で第一位に輝いたのは「主人公」でした。1978年3月、ソロになって3枚目のアルバム『私花集(アンソロジイ)』の中の一曲として発表されてから35年。アルバム発売後にシングルカットされたことはありましたが、ミリオンセラーとなったヒット曲ではありません。にもかかわらず、発表以来これまで何回か実施された人気投票で常に第1位にランクされ、この時もその首位の座を譲ることはありませんでした。「正直言って、ちょっと暴れたくなる感じはあるね。『35年、俺はこの曲よりいい曲を書いてないって言うのか、おまえら』ってね。人生の応援歌として大事にしてくれてる人が多いってことだと思うけど、それだけの力がこの歌にはあるということだろうね」さださん。発表直後から女性を中心に圧倒的な支持を受ける「主人公」の歌詞は、こう綴られています。

      主人公

             作詩・作曲  さだまさし

時には思い出ゆきの旅行案内書(ガイドブック)にまかせ
「あの頃」という名の駅で下りて「昔通り」を歩く
いつもの喫茶店(テラス)にはまだ時の名残りが少し
地下鉄(メトロ)の駅の前には「62番」のバス
鈴懸(プラタナス)並木の古い広場と学生だらけの街
そういえばあなたの服の模様さえ覚えてる
あなたの眩しい笑顔と友だちの笑い声に
抱かれて私はいつでも必ずきらめいていた

「或いは」「もしも」だなんて あなたは嫌ったけど
時を遡る切符(チケット)があれば欲しくなる時がある
あそこの別れ道で選びなおせるならって…
勿論 今の私を悲しむつもりはない
確かに自分で選んだ以上 精一杯生きる
そうでなきゃあなたにとても とても恥ずかしいから
あなたは教えてくれた小さな物語でも
自分の人生の中では誰もがみな主人公
時折思い出の中であなたは支えてください
私の人生の中では私が主人公だと

 私は松江北高に赴任したその年、初めて担任をした3年生の卒業生たちを前に、「卒業式」の日に教室で次の言葉を贈ったんです。

 卒業おめでとう!英語で「卒業式」はcommencementと言います。これは「始まり」という意味です。この意味をしっかりと考えてみましょう。今は、スタートラインに立っただけ。これからの生活をどう送るかで将来の結果は大きく違ってくるはずです。僕は22歳、教員のスタートを切った辞令交付式で「無限の可能性」を持った若者たちの眠れる力を引き出したい、と決意を述べました。その気持ちは○○歳(?)になった今も変わることはありません。英語の指導を通じて、英語の面白さや、やりがいを伝えたいと思って、今までやってきました。勉強だけでなく、人としてどう生きるか、にも強い関心があります。大学へ行って、しっかり勉強して、新たな人生を切り開いてください。祈っています。

 そして、大好きなさだまさしさんのこの曲「主人公」を流しました。彼の500曲以上ある曲の中から、ファンの間でベストテンを取ると、必ずダントツ首位に来る名曲です。私はその詩の内容の深さに特に惹かれています。彼の真骨頂は美しいメロディーだけでなく、実はその詩の奥深さにあるというのが私の実感です。(トークはさておくとして…〔笑〕)。一人一人が主人公であり、その人生を臆することなく果敢に切り開いていって欲しい、という願いを込めての選曲でした。

 時の流れは止めることはできず、思い出に浸ることはできても、時を遡ることはできません。この「主人公」は、平易な言葉で分かりやすく「時」の無常を描き出した作品ですが、先のベストアルバムの『天晴』では「こころ」に分類されていました。心変わりによって別れた恋人との思い出をたどる「恋心」の歌だからでしょう。さらに、美しいバラードの旋律に乗せて、一度きりの人生を精一杯前向きに生きようとするする「命」の歌でもありました。つまり「主人公」「命」「時」「心」の全てが凝縮された楽曲であり、そこに長年にわたって多くのファンに支持されている理由があるのかもしれませんね。多くの人が自分の人生への不安におののきながら、なかなか自信を持てないで恐る恐る小さな人生を精一杯に生きているのです。♥♥♥

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ミー・アウト・キー・イン・ドアガッチャン

 かつて、さだまさしさんのバックバンドでマリンバを演奏しておられた宅間久善(たくまひさよし)さんが大好きでした(「空蝉」の演奏など最高です)。彼は4歳の頃よりマリンバを習い始め、僅か5歳でNHK「私の秘密」でデビューし、「天才・宅間木琴兄弟」として、民放各局に多数出演していたこともありましたっけ。武蔵野音楽大学の学園祭に、「グレープ」さだまさし吉田政美のフォークデュオ)を呼んだ際の実行委員長でした。武蔵野音楽大学を首席で卒業後、すぐにさだまさしさんのバックバンド・グループに参加しました。さださんがソロになった第1回目のコンサート(1976年)以降、3,000回以上、ステージを共にしていました。さださんのコンサートでの人気はバックメンバーの中でも一番でした。

 宅間さんは、さださんのコンサートツアーで、トークのネタにされることが多くありました。「乳母車(うばぐるま)をにゅうばしゃ」と読んだとか、「山形新聞(やまがた・しんぶん)をさんけい・しんぶん」と読んだとか、「最上牛(さいじょう・ぎゅう)をもがみ・ぎゅう」と読んだなど、漢字ネタが多くありましたね。

 中でも最高の傑作があります。ハワイでオートロックのホテルに宿泊した際、誤って鍵を部屋の中に入れたまま、ドアを閉めてしまい、部屋に入ることができません。さださんはきっと何かやるに違いないとビデオを持ってフロントまで付いていきました。慌てた宅間さんはフロントに駆け込み、あろうことか、フロントの担当に「ミー・アウト・キー・イン・ドアガッチャン」(Me out, key in, door gacchan )と説明して自分の危急を訴えたのです。すると“I see.”と、なんとこの英語で通じてしまったというのがハワイらしいお笑いですね。こういった失敗というのは結構よく聞く話で、タレントの伊集院光さんもかつて中京テレビの番組で同様の経験をしたことを語り、その時は、“Key inside, me outside. Oh my god!”とフロントに訴えて助かったという話をしたことがありました。

 ではこういう時には英語でどう言えばいいのかが、今日の話題です。鍵を部屋に置いたまま、自動ロックがかかってしまい部屋に入ることができません。フロントへ行って「部屋に鍵を忘れました」と言いたいのです。生徒に英作文をさせると、日本語につられて、“I forgot a key in my room. ”と書く人がいます。でもこれでは「部屋の中で、ある鍵を持ってくるのを忘れちゃった」と聞こえてしまいます。鍵を忘れたのではありません。閉め出されたのです。こういう時には、“I’m locked out of my room.”/“I’m locked out.”/“I locked my key in my room.”などと言えば、きちんと伝わるでしょう。里中哲彦・キャサリン・クラフト『その英語は、ちょっと恥ずかしい!?』(王様文庫、2014年)にも取り上げられていました。それにしても宅間さんの「ミー・アウト・キー・イン・ドアガッチャン」は傑作でした。♥♥♥

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grandfathering

 「おじいさんする」っててどういうことでしょうか?grandfatherといえば「祖父」「おじいさん」。おそらく小学生でも知っているこの単語は、「祖先」「先祖」という意味で使われることもあります。現役の通訳者がつまずくはずもない名詞ですが、これがもし動詞だったらどうでしょうか?事情は少しややこしくなってきます。環境や金融の知識がある人なら「グランドファザリング(grandfathering)」という言葉を聞いたことがあるかもしれません。通訳の現場でたまに登場することがあります。例えば、環境関連の会議で「グランドファザリング」と出てきたら、温室効果ガスの排出枠の「実績割当方式」のことですし、金融分野であれば、新たな規制を導入する際の「経過措置」を意味します。いずれの場合もカタカナのまま業界用語として定着しており、わざわざ訳す必要はありません。

 同時通訳の松下佳世(まつしたかよ)さんも、そのために正直なところ、この言葉の本来の意味を考えたことが一度もありませんでした。これまでの事情に配慮したり、「猶予期間」を与えたりしていることから、「おじいちゃんのような包容力で見守る」みたいな意味かな、くらいに思っておられました。まさか、意外な分野でgrandfatheringと再会し、ちょっとしたピンチに陥るなんて、思いもよりませんでした。ある日、外国人講師によるIT系の講義の通訳をしたときのことです。講師のif you choose to grandfather your existing data…という発言を、いつものように「既存のデータをグランドファザリングする場合には……」とingを付けてカタカナで訳出をしました。ところが、あいにくデータの世界に「グランドファザリング」なんて用語は無かったようで、受講生の一人からすかさず「グランドファザリングつて何ですか?」と質問を受けてしまいました。このようなケースでは、講師が答えるまでもなく、通訳者が日本語に言い換えれば済む場合もあります。で、この時は、実際に何を指しているgrandfathering(グランドファザリング)とは、新しい規則・法律・ルールが導入された際に、それ以前から存在していた人・契約・制度などを「例外としてそのまま認めること」を意味します。果たしてデータの場合も前述の「実績割当方式」「経過措置」などが当てはまるのか見当がつかず、疑問をそのまま講師にぶつけるしかありませんでした。講師の説明によると「データのグランドファザリング」とは「ある条件を新しいデータにのみに適用し、もともとのデータは対象外とすること」を指すのだそうです。例えば、ある会社が商品を一律5%値上げするとき、既にシステムに登録されている在庫品は処理の対象外としこれから新規に登録する商品にのみ適用する、といったケースです。

《米略式》…に対して法律[規制]の適用を免除する(+in) (ジーニアス英和)

《主として米》…に祖父条項(grandfather clause)を適用する(リーダーズ・プラス)

 おかげで、この言葉の意味するところは理解できましたが、なぜこれをgrandfatheringと呼ぶのかはわからずじまいでした。気になって帰宅後、改めて調べてみたそうです。そうしたらびっくり。この言葉、南北戦争後の19世紀後半にアメリカで成立した憲法修正条項に端を発するというのです。憲法改正により、アメリカでは人種を問わず投票権が認められるようになりました。で、南部の州では実質的に黒人に投票権を与えないようにしようと(当時の黒人から投票権を奪おうとする人種差別的な背景が含まれる)、読み書き試験に合格し投票税を払わなければならないといった厳しい条件が課されました。ところが、そうすると読み書きができない貧しい白人も投票できなくなってしまう。そこで「南北戦争の前から選挙権のあった人たち(=おじいさん世代)とその子孫は免除する」ことを目的に州憲法に追加されたのが、この言葉の語源となったgrandfather clause(グランドファーザー条項、祖父条項)でした。「実績割当方式」「経過措置」、時には「既得権益の保護」とも訳されるこの言葉。まちまちに思えた訳語の意味が、語源を知ることで全てつながり、その後は文脈にあわせた訳が出せるようになった、と回想しておられました。

grandfather clause 《米史》祖父条項;既得権条項《20世紀初頭に南部諸州で制定された投票資格制限;制定時に30年以上前の投票権者とその子孫以外にはテストと税を課した》 (ジーニアス英和)

 新しい法律やルールができた際、「ルールが変わる前からその状態にあったもの」に対しては、例外として旧ルール(あるいは有利な条件)の継続を認めることを指します。日本語では文脈により、経過措置、既得権の保護、旧ルールの適用継続、などと訳されることが多いです。語源は「grandfather clause(祖父条項)」に由来します。「祖父の代から存在していたものは、新ルールができてもそのままOK」というイメージです。(例1)新しい法律で「建物の高さは10mまで」と決まったが、すでに建っている15mのビルはそのままで良い。(例2)月額料金が1,000円から1,500円に値上げされたが、以前からの継続会員はそのまま1,000円で利用できる。

 grandfathering(グランドファザリング)とは、 新しいルールや規制が導入された時に、すでに存在している人・物・契約などにはその新ルールを適用せずに、従来の条件のまま認めることを指します。日本語では「既得権の保護」「経過措置」「既存のものは例外扱い」といったニュアンスに近いのです。 もう少し噛み砕くと、新しいルールを急に全員に適用すると不公平になったり混乱したりする → そこで「今すでに対象になっている人だけは例外にする」 → この例外扱いが grandfathering です。「昔からその権利を持っていた人は新しいルールの対象外にする」という意味で使われるようになりました。新ルール導入時の「例外扱い」を表し、既存ユーザー・既存契約・既存設備などが対象になりやすく、ビジネス、法律、IT分野で頻出する表現です。 使用例を見ておきましょう(ビジネスシーンでは動詞として使われます)。♥♥♥

  • The new regulation requires all buildings to install fire alarms, but older buildings are grandfathered in. (新しい規制では全ての建物に火災報知器の設置が必要だが、古い建物は例外扱いになっている)

  • Employees hired before 2020 are grandfathered into the old pension plan. (2020年以前に雇われた従業員は、旧制度の年金プランがそのまま適用される)

  • The company changed its pricing, but existing customers were grandfathered at the old rate. (会社は料金体系を変更したが、既存の顧客は旧料金のまま据え置かれた)

Existing buildings are grandfathered under the old safety regulations.
(既存の建物は旧安全基準のまま認められている)

Current users will be grandfathered into the previous pricing plan.
(既存ユーザーは旧料金プランが適用される)

This feature is no longer available, but early adopters were grandfathered.
(この機能は廃止されたが、初期ユーザーには引き続き提供されている)

Existing customers will be grandfathered into the original plan.(既存の顧客には元のプランがそのまま適用されます)

This building is grandfathered, so we don’t need to meet the new fire safety codes yet.(このビルは既得権が認められているので、まだ新しい防火基準を満たす必要はありません)

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「ゴンドラ」

◎週末はグルメ情報!!今週はパウンドケーキ

 東京・市ヶ谷靖国神社の通りを挟んで真正面に洋菓子店「ゴンドラ」があります。創業は1933年(昭和8年)で、地元でも大人気の創業93年の老舗洋菓子店です。洋菓子店がまだ数店しかない時代、初代・細内善次郎さんが店を構えました。店内は昔ながらのケーキ屋さんのイメージそのままで、レトロな感じが今では逆にお洒落です。作られているケーキやクッキーも素朴な味わいを楽しむことができます。こじんまりとしたお店です。たまたま月刊『致知』最新号で、オーナーがお菓子作りへの思いを書いておられ、わざわざ東京まで買いに行き、絶品だったパウンドケーキを懐かしく思い出しました。

 JR市ヶ谷駅周辺は、皇居や防衛省が近く、治安が良い場所で、古くからの高級住宅地としても有名です。「ゴンドラ」を日常使いとして利用する客層はセレブ層も多く、上質なものへのこだわりがある人も多いのです。店を目当てにした客は男女を問わずひっきりなしに訪れ、贈答用でたっぷりとお菓子やケーキを買っていく人も多いといいます。「ゴンドラ」で作るお菓子はどれも洗練された素材が使われており、上品な味わいであることから地域に根付いたケーキ屋さんです。

 戦前から親子3代続く伝統の洋菓子店が「最高傑作」とうたう丸型のパウンドケーキは、全国に熱烈なファンを持っています。手土産として〝食通〟の人に贈っても喜ばれる名品です。このパウンドケーキを手掛ける洋菓子店「ゴンドラ」の2代目オーナーシェフ、細内 進さん(ほそうちすすむ、87歳)は、日本スイーツ界の先駆者で、「知られているケーキをよりおいしく作ること」がモットーです。「お客さまは“わざわざ”当店を目指して来てくださるので、そういう方に満足して買ってもらえるよう努力しないと、と思っています」と話します。昭和36年に、アジア人で初めてスイス国立リッチモンド製菓学校で学び、その後、パリの最高峰メゾンの一つ、ルノートルで修業したという、日本スイーツ界の先駆者です。一年間でスイス、フランス、イタリア、ドイツを渡り歩いて修行しておられます。帰国後は、ヨーロッパで覚えたタルト類を日本でいち早く商品棚に加えました。本場の良さを取り入れつつ、お客さんの口に合うように創意工夫を重ねていかれました。80歳を過ぎた今でも、早朝から息子さんと工房に立ち、洋菓子づくりの指揮を執っておられます。毎朝5時に起床し、1階の厨房の上にある自宅から階段で下りてくる時、その日の気温と湿度を肌で感じていると言います。「大事なのは経験と勘だよ」と腕をたたく細内さんは、1996年、伝統工芸や工業、調理など各分野で卓越した技能を持つ人を表彰する厚生労働省の「現代の名工」に選ばれたこともあります。2005年には「黄綬褒章」を受章されました。そのお菓子作りは、まさに職人技といってもよいものです。

 「ゴンドラ」が「最高傑作」とするのが「パウンドケーキ」です。パウンドケーキとは、バター、卵、砂糖、小麦粉を1パウンドずつ合わせて焼く洋菓子の定番です。いたってシンプル。しかし、一口食べればその上品な味わいと、しっとりとした口当たりに感動させられます。底に敷き詰められているラムレーズンも絶妙です。最高級のバター、ラム酒を使うなど素材にこだわっておられます。だが、「良い材料を使えばよいというものでもない。材料を生かして使わないと意味がない」細内さんは語ります。シンプルなお菓子こそごまかしがきかない。「ヨーロッパと日本の気候は異なる。毎日の気温、湿度によって卵の泡立て方や生地の混ぜ方などを調整している」と。創業期から一般的な長方形の形で作っておられましたが、1955年頃からクリスマスケーキの注文が増え、丸い焼き型を大量に使うようになり、試しにパウンドケーキも同じ型で焼いたところ好評を博したので、このお店特有のホール状が誕生しました。写真のように「パウンドケーキ」が丸いのも、「ゴンドラ」の特徴です。ちなみに、「パウンドケーキ」丸缶に入れて販売しているのは、湿気を防ぐためとのことです。

▲ケーキの底にはたっぷりとレーズンが敷き詰められている

 細内さんは幼いころから、父親の善次郎さんがお菓子を作る姿を見てきました。21歳で菓子修業のためヨーロッパに留学。スイス、フランス、ドイツなどを巡り、製菓学校や菓子店で修業。帰国して、日本に本場の味を持ち込みました。当時は日本人がヨーロッパに行くこと自体、珍しかった時代です。日本円を両替する場所も少なく、日々生活するだけでも精いっぱいでした。その留学の経験があるからこそ、苦境がありながらも工夫して店を80年以上、続けられているのだと言います。息子で3代目の滋之さん「たくさんの人に愛されている店。伝統を守りつつ、よりおいしいお菓子を作り続けたい」と話します。親から子へと、信頼の味は受け継がれています。

 創業80年を迎えた「ゴンドラ」には熱烈なファンが多くいます。名門であるスイス国立リッチモンド製菓専門学校を卒業した先代は「知られているケーキをより美味しく作ること」をモットーにしていました。そして、フランス、ドイツ、ベルギーで修行した三代目の店主が今もその伝統の味を守り続けています。一番の特徴は、飲み物がなくても喉をすっと通るほどしっとりしていること。バターの風味がよくきいた生地に、12年もののラム酒に漬け込んだレーズンが加わり、甘く濃厚な香りが口内で広がります。しっとり感を損なわないため、また、冷蔵庫に保存したときに匂いが移るのを防ぐために、ケーキと同じく丸い形をした缶に入っています。ときどき、できたてのお菓子をパクッとつまんでは満足そうにうなずくシェフ。その横顔からは、お菓子が好きでたまらない、といった感じがにじみ出ています。「朝から晩まで、お菓子を食べてますよ。菓子屋が菓子を食べないなら、やめたほうがいいですよ」と。

 教員になって初めて担任した女生徒が、毎年高知からいつも珍しい物を贈ってくれ、私の健康を気遣ってもらっていたので、このお店から「パウンドケーキ」を送りました。その直後に急死したと知らせが入り、びっくりしたのを覚えています。レーズンが苦手なお客さんのために考案された「オレンジケーキ」も買って帰りました。輝く太陽をいっぱいに浴びた新鮮なオレンジのコンフィ(シロップ漬)をフレッシュバターたっぷりの生地に入れて焼き上げた「パウンドケーキ」です。香り豊かなオレンジの風味を存分に活かしたバターケーキの逸品です。これも美味しかった。私がお邪魔した時も、そしてお店にいる時も、次々とお客さんが入って来られる人気店でした。一時期はデパートへの出店や宴会場の卸売も引き受けておられましたが、1960年代後半からは一切やめておられます。目の前のお客さんの顔を見ながらお菓子をつくる「町のお菓子屋さんでありたい」という信念を貫いてこられたからこそ、あのバブル崩壊やコロナ禍でも客足が途絶えることなく歩んできておられるお店です。♥♥♥

▲オレンジケーキ

 

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益川博士の英語嫌い

 故・益川敏英(ますかわとしひで)教授(~2021年、享年81)が、2008年にノーベル物理学賞を受賞された際に、メディアから感想を求められて、「大してうれしくない。ノーベル物理学賞が欲しくて研究したわけではない」と言ってマスコミで大きな話題になりました。「あれはね、本当に腹を立てていたんです。あの時ノーベル財団から電話がかかってきて、『1時間後に世界に発表しますから受けてもらえませんか』と言うんです。いちおう『ありがとうございます』と言って電話を切ったんですが、だんだん腹が立ってきてね。賞というものは普通、数日前に内定を報せ、受けてもらえるかどうか返事を待つものでしょう?1時間後に発表なんて、受けて当然、辞退する人なんかいないでしょと言っているふうに聞こえました。だからつい、『大してうれしくない』と口に出たわけなんです。」私はこの話を聞いた時、ちょっとひとクセのありそうなこの偉大な研究者に、とても興味を抱きました。この愛すべき益川さんに「忙しい毎日でしょう」と話を向けたら、益川さん曰く「時間がないなんて言う人がいるけど、誰でも時間はいっぱいあるんだよ。勉強と恋愛の両立なんてできないなんて、そうじゃない、もっと勉強したくなるような恋愛をすればいいんだ」やはり普通の人とはひと味もふた味も違います。

「I’m sorry, I can’t speak English.」

 2008年12月8日、スウェーデンストックホルム大学で開かれたノーベル賞受賞者の記念講演の会場。ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英教授は、演説の冒頭をこのように始めました。聴衆からは笑いが広がりました。すでに「英語のできない日本人学者」の話は、現地でも話題となっていました。続いて益川教授は日本語で演説を行い、聴衆は彼の後ろに映っている英語の字幕を懸命に読み下しました。

 これに先立ち、益川教授は、ノーベル賞受賞者に決まった後、英語での演説が慣例となっている授賞式で英語をしゃべらなければならないのなら、自分は行かないと宣言しました。すると、ノーベル賞委員会は、授賞式で日本人受賞者の演説を日本語で発表できるように配慮しました。だからといって、益川教授は全く英語が分からないのではありません。英語の論文を滞りなく読み、問題点まで指摘できる、いわば「机上の英語」なのです。当時の報道によると、海外に渡ったこともなく、パスポートも持っていなかったといいます。海外から招かれた講演や授賞式にも出席したこともありませんでした。しかし、興味あることにはとことん向き合い、素粒子物理学の分野で宇宙誕生の謎を解明する先駆的な理論を提唱して、素粒子の研究に大きな貢献をされました。いくら英語を運用するスキルに優れていようとも、語る内容を持たなければ何も語れないのと同等だ、ということを感じさせてくれるエピソードでした。

 益川教授は授賞式の後、あるインタビューの席上で、当時のパーティー会場であった出来事をこのように伝えました。「世界的な学者らを目の前にしていても話し合うことができず、非常に残念だった。英語がうまければそれに越したことはない」さらに益川教授は、「若者は絶対英語を喋るべきだ」と訴えました。国際化時代に英語ができなければ、自ら孤立するのと同じだということです。しかしその彼も、インタビューで、今後は英語の勉強をするつもりなのかという質問に対して「この年になって、どうして?」という反応を示していました〔笑〕。

 先生の英語嫌いは中学1年生の時からで、授業中に担当の先生に当てられた時に、単語・マネー(money)『モーネー』と読みました。するとクラス中が大爆笑に。先生までもが『モーネーか。確かにお金はすぐなくなるよな』とからかいました。それですっかり「英語は性に合わん!」と捨ててしまったのです。益川先生はその後ずーっと英語は苦手。でも英語の論文を人に訳してもらっていては商売にならないから〔笑〕、読むほうはできました。けれど、喋ったり書いたりはできません。論文は誰かを共著者にして書かせました〔笑〕。

「これから科学者になろうとする人は、そうはいかないでしょうね。かつて我々の学生時代はクイーンズイングリッシュでないといけないとされていたけれど、今では国際学会に行ってもインドなまりでもブラジルなまりでも、みんな平気で英語をしゃべってるから、日本人も下手でも気にしないでしゃべればいいんですよ」(益川談)

 子どもの頃は、勉強はせずに、面白いことには目がなくて、宿題なんかやっている暇はありませんでした。「子どもの頃は勉強はしなかったね。だって遊んでいるほうが面白いじゃない〔笑〕。宿題は信念を持ってやらなかった。一度、母が学校に「ちゃんと息子に宿題を出してください」と言いに行ったことがあって、先生に「毎日出していますが、敏英くんがやってこないだけ」と言われてバレた〔笑〕。怒られたけど、廊下に立たされるくらいたいしたことないよ」ノートはいつも真っ白。何も書き込むことはありませんでした。とにかく夢中になって遊んでいたそうです。もともと父親が科学好きで、銭湯からの帰り道に「月食はなぜ毎月起こらないか分かるか?」月の満ち欠けやモーターがなぜ回るのか、などいろいろなことを話してくれたので、科学に興味はありました。小学校の時には本の魅力に目覚めて、図書館で『十五少年漂流記』芥川龍之介や少年向けの江戸川乱歩などを夢中になって読むようになりました。本は子どもの頃から大好きで、誰より先に本が読めるからと、自ら立候補して図書委員になっています。高校生から古本屋をめぐり、数学の専門書を買ったりもしていました。当時の日本は数学の導入期だったので、「この学問がなぜ必要か?」というところから書いてあって面白かったと回想しています。決定的だったのは、高校1年生のある日、後に恩師となる名古屋大学の故・坂田昌一教授が世界的に画期的な学説・素粒子のクォークモデルの前身となる「坂田モデル」を発表したという記事を読んだことでした。科学は欧米のものだと思い込んでいたところが、こんな身近で世界的な研究が出来るんだということに目を見開かされたのです。自分の町で起きた大発見に興奮して、「ぜひ見学させてもらいたい。名古屋大に行きたい」と奮い立ちました。「自分も名大に入り、この先生と一緒に研究できたらどんなにいいだろう」とひそかに思ったといいます。それで、大学に行こうと思って、猛烈な受験勉強を始めたのでした。

 父は家業(家具工場→砂糖販売)を継げ、と圧力をかけてきましたが、継ぎたくなくて、食事時には父とけんか。母親が間に入ってくれて一度だけ受験を許してくれました。幼い頃のお父さんとの思い出があります。近くの銭湯には必ず父子一緒に行き、お父さんは湯船に浸かりながら、まだ小学生だった息子にいろいろなことを教えました。学校では習わないような難しいことを。いつしか益川さんも友達の中では抜きんでて物知りになりました。この父と子の“銭湯講座”が偉大な物理学者・益川敏英の原点とも言えるでしょう。さて、どうやって大学に受かろうかと考えた時に、英語を捨てて他で90%近く取ればいいじゃないか、という作戦を立てました。物理や数学の勉強は面白いから、自分にとっては遊びみたいなもの。作戦勝ちで、予想通りの点はとりました。試験問題も記述式が多かったのが自分には合っていたようです。ただ、大学に入ってからもドイツ語の試験は全部白紙。大学受験の時は総合点判定だったからよかったのですけれど、大学院に上がる時は、さすがに「こんな学生を通していいのか?」と議論があったらしいのですが、擁護してくれた先生がおられて助かったようです。

 「僕がいつも言っているのは、科学者も憧れとロマンを持て、ということです。時代のせいかもしれないけど、はちゃめちゃな子供がいなくなったね。先を見過ぎて、夢が小さくなっている。科学者だって、ドン・キホーテが騎士に憧れるように、野球少年がイチローに憧れるような夢をもちたい。そしていざやってみると、自分の予想と違うことがいっぱい出てくる。そこでいろいろ修正を加えていく。そうやって少しずつ、夢に近づいていく――でも、英語は大事だよ〔笑〕。」

 私の尊敬する鎌田 實(かまたみのる)先生(諏訪中央病院名誉院長)は、「苦手なことも魅力に変えてしまう人間性にとても惹かれました。人間はいびつであったり、とんがっていたり、クセがあったりするくらいのほうが面白いとぼくは思っています。」と語られました(「自分らしさの磨き方」『理念と経営』9月号、2025年)。本当にそう思います。♥♥♥

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東大寺の「お水取り」始まる

 歴史と伝統が息づく街、奈良。そんな奈良で1200年以上にわたって続く春を呼ぶ東大寺二月堂の伝統行事「お水取り」が始まりました。この「お水取り」が終わると奈良に春が訪れるといわれているほど、奈良では定着している伝統行事で、公開行事「お松明(たいまつ)」は多くの拝観者でにぎわいます。

 東大寺二月堂修二会」(お水取り)は、奈良で最もよく知られた年中行事ですね。3月1日からの2週間、「修二会」(しゅにえ)は、奈良時代の天平勝宝4年(752年)に始められて以来、さまざまな危機を乗り越えて、以来一度の中断もなく続けられており、今年はなんと1269回目を迎えることとなりました。私は生で念願の「修二会(しゅにえ)」を見る夢が叶いました。⇒私の現地レポートはコチラです  午後7時頃、童子と呼ばれる世話役がお松明を担いで舞台に現れると、周辺に集まった大勢の参拝者たちが、赤々と燃え盛る炎に見入ります。闇夜に火の粉が降り注ぎ、拝観客から歓声がわき上がります。私はこの行事を歌ったさだまさしさんの「修二会」という歌が大好きなんですが、生で「お水取り」を見てから、この歌の理解が一段と深まったような気がしています。「修二会」は、東大寺での境内にある「二月堂」という国宝のお堂で営まれる法要のことです。2月20日からの前行、3月1日から14日の本行を合わせると約3週間続きます。東大寺や同じ華厳宗の末寺から選ばれた錬行衆」(れんぎょうしゅう)という10人の僧侶が、俗世間から離れて集団生活を送り、お堂で1日に6度の祈りを繰り返します。「二月堂」の十一面観音に、 社会や人々が犯した罪を懺悔し、「五穀豊穣」「天下泰平」を祈念する儀式です。

▲東大寺二月堂

 「お水取り」は年に一度3月13日未明、錬行衆の中でも選ばれた者のみが、二月堂」の階段を下って「若狭井」(わかさい)と呼ばれる井戸から「お香水」(こうずい)を汲み上げて、二月堂本尊の十一面観音に供える儀式です。「二月堂」に入った僧が走る沓音もドンドンと響き渡ります。 さださんの歌詞にある「五体投地」(ごたいとうち)「達陀」(だったん)も儀式の一つです。達陀」「二月堂」の内陣で松明を地面にたたきつける儀式です。これも歌詞にある「青衣の女人」(しょうえのにょにん)は、「修二会」で過去帳(東大寺に縁のある人の名が書かれたもの)を読み上げていた時に、「なぜ私の名を読み上げてくれないのか」と現れたと言われる、青い服をまとった謎の幽霊のことです。さだまさしさんの歌は、寒い中行われる「修二会」の荘厳な雰囲気と感動、それに絡めて女性(思いを寄せているのか、特別な存在の女性?)の神秘的な様子を表現した歌と思います。

 3月12日夜、本行中に毎夜灯されるたいまつの中でも、最も大きな「籠松明」(かごたいまつ)が登場しました(写真上)。長さ約8メートル、重さ約70キロもある「籠松明」が11本登場すると、お堂の下に詰めかけた約1万人の参拝者からは、どよめきと歓声が上がります。私も昨年、炎で真っ赤に染まったお堂で、この歓声を上げた一人でした。午後7時半頃、「練行衆」11人を補佐する「童子」(どうじ)11人が「籠松明」を1本ずつ担ぎながら、「二月堂」に先導します。その後、「籠松明」「二月堂」の舞台の欄干から突き出したり、激しく回転させたりしながら走り、豪快に火の粉を降らせます。たいまつから出る火の粉は粉雪のように舞い散り、闇夜の境内に消えていきます。この火の粉を浴びると1年を無病息災で過ごすことが出来るとの言い伝えがあります。私もこの火の粉を浴びるために、数時間もじーっと待ち続けたものです。私が参拝した前󠄂年まで、新型コロナウィルス対策として拝観制限を設けていたので、籠松明の公開は4年ぶりでした。荘厳な炎が参拝者らを魅了しました。

★さださん、お松明を被災地に!!

 大好きなさだまさしさんが、この「お水取り」のことを、岩波書店『図書』2、3月号(2019年)に2回に渡って書いておられました。さださんは1980年の秋、「東大寺大仏殿昭和大修理落慶記念法要」の際に大仏殿でコンサートを奉納し、2010年には「光明皇后1250年御遠忌」に、30年ぶりに再び大仏殿でコンサートを奉納しておられます。その御縁もあり、さださんは幾度も「修二会」への参籠をお許しいただいておられます。その経験を歌にしたものが名曲「修二会」です。さださんと友人が、東日本大震災の被災地の人々に元気を出してもらうために、「修二会」に復興祈願のお松明を奉納しよう、そして奉納したお松明を御用後に被災地に運ぼうということになり、東大寺別当北河原公敬師にご相談申し上げたところ、松明が東大寺の外に出された例はこれまでにないけれど、そういうことならと快諾してくださいました。二月堂に上がったお松明を、友人が翌日、気仙沼に向かい夜通しトラックを走らせました。13メートルの長さのお松明をトラックに積んで高速道路を走っていると、パトカーに停止を命じられます。「あなたは車体をはみ出すような長いものを積む場合の原則を知っていますか?」と聞かれたので、「はい、ちゃんと一番後ろに赤い布を結んでありますけれども」と胸を張って答えます。すると警察官から「高速道路上では布では駄目だ、殊に夜は危険なので赤いランプを点けるよう義務づけられている」と叱られ「第一、一体その荷物は何で、何の目的で何処へ行こうとしているのか?」と職務質問。友人は上記の事情を説明し、明日行われるさださんの気仙沼のコンサートの会場に朝までには辿り着き、開演までにはロビーに飾り付けたい旨を告げました。すると警察官は共感してくれ「よし、わかった。では僕の赤ランプをこの竹の先に付けてあげるから気をつけて行ってください。このランプは僕の私物だから君に差し上げる」と励まされたと言います。こうして温かいおまわりさんの善意に護られ、お松明は無事にコンサート会場に着いたのでした。「おまわりさんの善意です。良き心の連鎖は繋がるのです」 さださんが奉納した復興祈願の「東大寺のお松明」は、その後もいくつかの被災地へ運ばれ、災害に疲れ果てた人々の心を照らしてきました。こうしておまわりさんの赤いランプは、今も友人のトラックの最後尾に点り続けているそうです。いい話ですね。以下はさださんの言葉です。

 2012年から、僕は東大寺様にお願いをして、二月堂修二会の練行衆上堂の際に上がるお松明を「復興祈願」の願いを込めて奉納しています。東日本大震災の被災地へ毎年お届けしています。災害の多い国ですから、毎年大切などこかの町で苦しむ人があります。何の役にも立たないけれど、精一杯応援することだけ、忘れないでやって行きます。まだまだ仮設住宅で暮らす方々があります。まだまだ故郷に帰ることさえ出来ない人々があります。「忘れない」「応援し続ける」事だけが僕らに出来ることです。力を合わせて応援しましょう!!! (「まっさん旅日記」3月17日)

 「修二会」東大寺大仏の開眼の年でもある奈良時代の天平勝宝4年(752年)から始まり、大火事で伽藍が焼け落ちても続けられてきた不退の行法で、2026年で1,275回を数えます。

 この行事を歌ったのが、さだまさしさんの「修二会」(しゅにえ)です。下の映像は東大寺の奉納コンサートで歌われたもので、宅間久善(たくまひさよし)さんの姿が実に勇壮で格好いいです。♥♥♥

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練習は嘘をつかない?

 以前に「努力は必ず報われる」という言葉の注意点を述べたことがあります。二つの点で注意が必要です。やみくもにいくら努力してもいい結果は生まれないことは、私が毎年悪銭苦闘している受験の世界でも日常茶飯事のことです。努力すれば必ず結果が出る、などと安易な思い込みで受験生活を送ってみても、思うような結果が得られない人は今まで山のように見てきました。まず第一に、この言葉には但し書きが必要で「正しい努力をコツコツと積み重ねれば努力は必ず報われる」としなければいけません。間違った努力をいくら続けても、効果はありません。努力逆転の法則」(エミール・クーエの法則)というのもあるくらいですから(⇒私の解説はコチラです)。これは、簡単に言うと、頑張れば頑張るほど、その努力とは正反対の結果になってしまうという法則です。「あがらないように、あがらないように」と思うと余計にあがってしまう、好きな人の前で普通にふるまおうとすればするほど動作や態度がぎこちなくなる、テスト翌日への緊張感でどうしても眠れない時に、無理に寝ようとすればするほど目がさえて余計に眠れなくなる、などがこの法則に当てはまりますね。長い間教員をやっていますと、これだけ頑張っているのに結果が出なくて悩んでいます、という相談をよく受けます。努力にこだわりすぎると、それが結果に反映されないどころか、逆効果さえ生んでしまうこともあるのです。これは「自己暗示」の結果です。自己暗示には「意思と想像が争った時、常に勝利を収めるのは想像」という法則があるのです(エミール・クーエの法則)。「あがってはいけない」(意思)より「あがるだろうな」(想像)の方が強いということです。こういう時には発想を転換して、意思を「あがってもいい」と思うことで、心が落ち着きますよ。いずれにしても正しい努力をコツコツと積み重ねることが大切です。受験勉強でも、模試を沢山受けては受けっぱなし、問題集・参考書に次から次から手を出してはいずれも途中で放り出す、点さえ取れればそれでいいという姿勢、定期考査・課題テスト・対外模試・毎日の小テストを「やりっ放し」にする、読解の予習は訳して終わり、問題集をたくさんやれば力がつくのだ、こうした練習をいくら続けても成果にはつながりません。こういった生徒を毎年山のように見てきました。

 巨人の二軍監督を電撃退団して、オイシックスのCBOに就任した桑田真澄さん(57歳)が(阿部監督の指導方針とは合わなかったのだと私は見ています)、「練習練習練習はうまくならない」として、「練習して、栄養を取って、睡眠、休養ですよね。寝てる時に筋肉が再生し、強くなり、練習した技術を脳や神経が覚えていく」と語り、育成ワードは「サイエンス」「バランス」「リスペクト」の3つだとしました。センター試験時代から私が言い続けていることですが、問題を数多く解くだけでは力はつきません。各大問の狙いをよく理解し、解くための戦略を自分なりに身につけ、時間配分にも配慮する、こういったことを大切にしなければなりません。

 そして二つ目の注意事項です。努力には即効性はない」という点です。頑張っても結果が出ないとすぐに諦めて放り出してしまう。受験生にもたくさん見られます。すぐに結果が出るはずはないのです。受験勉強では、最低でも3ヶ月は頑張り続けないと結果は現れ始めません。このことをよく理解して、根気強く努力を続けることが大切です。成功の秘訣は成功するまでやること」と喝破したのは、尊敬する松下幸之助さんでした。

 日々の努力を続けられないのは、どこかで努力の効果がすぐ表れると期待しているからだ。今日、素振りをしたからといって、明日打てるわけがない。地道な努力を続けるうちに、じわじわとその効果は表れるものだ。(野村克也『言葉一つで、人は変わる』(詩想社新書、2016年))

 「努力」を辞書で調べると「ある目的のために力を尽くして励むこと」とあります。あのイチロー選手「努力」について語っていたことがあります。「これまでに、これだけは絶対誰にも負けていないと胸を張って言える努力って何ですか?」と質問されたイチロー選手は、次のように答えました。「高校の時に寮に入っていた3年間、僕は寝る前の10分間素振りをしていました。そしてそれを1年365日、3年間欠かさず続けました。それが僕の誰にも負けないと思える努力です」この言葉を聞いたイチロー選手の高校時代の先輩は、「10分間の素振りね、あれは最低10分だからね。やり続けると1時間でも2時間でもやっていましたよ」イチロー選手が考える努力とは、「自分が決めたことをやりぬくこと・やり切ること」でした。「やれることはすべてやったし、手を抜いたことはありません。常にやれることをやろうとした自分がいたこと、それに対して準備ができた自分がいたことを、誇りに思っています」(2002年シーズン終了後にシーズンを振り返って語った言葉)。いくら努力をしたと自分では思っていたとしても、たいていその努力は裏切られます。努力をすることで、自分の夢が簡単にかなうほど世の中は甘くありません。いやそれどころか、いくら努力を重ねても、かえって前に進めなくなることの方がはるかに多いのです。努力というのは、本来自分を磨くことなのです。努力は結果を保証しません。だからこそ、「努力の質」が求められるのです。

 またSNSで、ダルビッシュ有投手があの二刀流・大谷翔平選手を表してこう語っていました。

「ホームランがすごい。ピッチャーもできてすごい。もちろんそう。でも、僕が見てるのはそこじゃない。その裏でやっていること。その裏でどんなトレーニングをやっているか。どんな栄養をとっているのか。トレーニングの組み方、栄養の取り方、そういうところを見ている。それを知っているから大谷くんがすごいホームランを打っても驚かない。だってそのための努力をしているから。」(ダルビッシュ有)

 ダルビッシュ選手の考える努力とは、「成果を出すための行動の積み重ね」であり、「すぐに結果が出ないことへの行動の積み重ね」と言えるのではないでしょうか。イチロー選手ダルビッシュ投手「努力」の考え方を併せると、「努力」とは「すぐに結果が出ないことに対してでも、自分が決めたことをコツコツとやり抜き、行動を積み重ねること」と言えそうです。「努力は裏切らないのか?」に関して、ダルビッシュ投手は語っています。「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ。」この発言、「練習」という言葉を「努力」と置き換えても良いのではないかと思います。「努力」の方向性が間違っていては、無駄になることもあると解釈できるでしょう。尊敬する経営コンサルタントの小宮一慶(こみやかずよし)さんはこのように述べておられます。

 「サッカー選手が野球の練習の努力をしてもサッカーはうまくならない。サッカー選手は、サッカーの練習をする努力が必要。経営も一緒。営業がうまくなる努力をしても、経理がうまくなる努力をしても、経営はうまくならない。経営という独立した仕事があり、経営とは何かを理解して、そのための努力を積み重ねなければ、経営はうまくならない。」(小宮一慶『経営者の教科書(改訂版)』(ダイヤモンド社、2025年))

 大リーグのヤンキースで活躍した松井秀喜(まついひでき)選手が、あるテレビ番組の中で次のようなコメントを残しておられ、とても印象に残りました。

「自分ががんばっていると思っていなくても、他人がすごくがんばっていると思う状態。これが良い状態だと思います。」

 この松井秀喜選手の言葉から、「努力は周りが決めること」であり、いくら自分が努力していますと言っても、周りからすごいと思われなければ努力のうちには入らないのだということです。努力していると自分で思っているうちは、なかなか成果にはつながらないものなのかもしれません。努力をしている本人は、おそらく努力をしているというような感覚を持ってはおらず、そこに悲壮感はなく、現状を良くしよう・状況を良くしようという方向にひたすら行動しているだけ。でも周りはその姿を見て、すごい努力をしていると感じるということではないかと思います。♥♥♥

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文脈の大切さ~「よってたかって」?

 朝の5時にテレビでNHKニュースを見ていましたら、京都アニメーションの社長がお亡くなりになったことを知らせていました。京都アニメーションを国内有数のアニメ制作会社に育て上げた方です(2019年の放火殺人事件で36人が犠牲に)。そのニュースの中で、「皆さんに楽しんでいただけるようによってたかって作品を作ってまいります」というようなことを言っていました。今何て言った?「よってたかって」? 違和感があります。天下のNHKがこんな日本語を使うようになったのか?!嘆かわしい。私の語感では、「よってたかって」というのは、「大勢で力を合わせて一斉に何かをする」やや乱暴で感情的な雰囲気の漂った表現です。「子どもたちが一人をよってたかってからかう」とか「みんなでよってたかって非難する」のように否定的な文脈で使うのが、私の自然な使い方です。少しネガティブで騒がしい印象があります。上記のニュースのような言い方では、大勢で取り囲んでみんなでガヤガヤ作るというイメージです。弔事に関する表現としてはふさわしくない気がしました。さらには「作ってまいります」という丁寧な言い回しと「よってたかって」の荒っぽい語感がちぐはぐな感じがします。もう少し丁寧な言葉を使うことはできなかったのでしょうか??

 そんなことを考えながら、ネットニュースで公式発表を見てみました。原文は次の通りでした。

 弊社代表取締役社長 八田 英明(はった ひであき)が2026年2月16日に逝去いたしました(享年76)。生前のご厚誼に深く感謝いたしますと共に、謹んでご通知申し上げます。

 故人は、1985年の弊社設立から四十余年にわたり「よってたかって作る」を合言葉に、真摯なアニメーション制作を軸とした人を大切にしたエンターテインメント企業を志し、社長の任を果たしてまいりました。
 八田英明の後任には八田真一郎が就任いたしました。社員一同、故人の想いを受け継ぎ、これからも世界中の皆さまに楽しんでいただける作品をよってたかって作ってまいります。

 うかつでした。今回の文章には、(1)故人が掲げていた理念として「よってたかって作る」があること。(2)それは会社の文化・スローガンとしてしっかりと定着したものであること。(3)故人の想いを継承するという流れでこの表現を再度使っていること。といった背景があったのでした。伝統となっている社内文化を継承する、というキーワードとして使っているのであれば、文脈上は全く問題はありません。「故人が掲げた『よってたかって作る』という理念を受け継ぎ、これからも世界中の皆さまに楽しんでいただける作品をつくってまいります」「“よってたかって作る”を胸に、これからも……」という思いで使っていたのでした。会社のスローガンを踏まえた使用であれば、文脈上は全く問題ありません。納得しました。

 このように一部だけを切り取って判断すると危険なことがよくあります。全体の文脈の中で照らし合わせて考えることがいかに重要か、を改めて確認させてくれるニュースでした。英語でも下線部分の一文だけをいくら読んでも分からない時は、その前後をじっくりと吟味することで納得いくことがしょっちゅうあります。二次試験の指導の中で、私がいつも強調していることでした。♥♥♥

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conspicuously

 

 尊敬するデイビッド・セイン先生『ネイティブが教える英語の副詞の使い方』(研究社、2020年)には、「conspicuously(著しく、目立って)は、どちらかといえば悪いことに使うことが多いようです」とあります。今日はこの記述の真偽について取り上げます。副詞conspicuously自体は必ずしも悪い意味ではありませんが、文脈によっては「悪目立ちする」「不自然に目立つ」というニュアンスで使われることが多い、というのが実態に近いようです。「悪い、不快な、場違いな目立ち方」を表す文脈で使われることが多いのです。基本の意味は、conspicuously = はっきり目立つ形で/人目を引くほど ということで、語自体は 中立で必ずしも悪い意味ではありません。しかしこの語は、「目立つこと自体がマイナス」な文脈でよく使われるのです。特に英語では、「隠そうと思えば隠せるのに、あるいは隠すべきなのに、見え見えである」というニュアンスが根底に漂っています。

  • 欠如・不足

  • 不自然さ・批判

  • 違和感

と一緒に使われることが多いようです。

  • He was conspicuously absent from the meeting.(彼は目立つほど欠席していた → 来るはずなのに来なかった→いかにも不自然な欠席だ)

  • The report is conspicuously lacking in evidence.(証拠が不自然なほど欠けている)

日本語だと「悪目立ちして」「不自然に」という訳が合うことが多いですね。さらには、 皮肉・批判と相性がよく、書き言葉・フォーマルな文脈で、婉曲に批判する表現として使われやすいです。

  • Her silence was conspicuous.
    (彼女の沈黙は意味深に目立っていた)

 もちろん、良い意味でも普通に使われます。

  • She wore a conspicuously beautiful dress.(ひと目でわかるほど美しいドレスを着ていた)

  • The company has conspicuously improved its safety standards.(安全基準が明らかに改善された)

ただしこの場合でも、「誰が見ても分かるほど」という客観的な目立ち方を表します。

 もし英作文で「悪く聞こえないように」したい場合には、clearly / noticeably / visibly の方が無難なこともあります。結論から言うと、conspicuously は必ずしも悪い意味ではありませんが、実際の用法では、「悪い・不快な・場違いな目立ち方」を表す文脈で使われることが多いというのは事実です。「とても(very)」や「著しく(remarkably)」の代わりとして使うと、意図せず「(悪い意味で)目立っている」「見え透いている」という皮肉に聞こえてしまうリスクがあるのです。

 英語では「目立つ」という行為自体が、文脈によってはネガティブに響きやすいのです。特に以下のような場合に使われることが多いからです。

  • conspicuously absent(目立って欠席している → 「いないことが逆に目立つ」)

  • conspicuously wasteful(あからさまに浪費している)

  • conspicuously rude(露骨に失礼)

  • conspicuously inappropriate(明らかに不適切)

こうした例が多いため、「悪い意味で使うことが多い」という印象が生まれるのです。He is conspicuously smart.と言うと、「彼は(鼻につくほど)見せびらかすように頭が良い」という皮肉に聞こえる可能性があります。心から褒めたい時は、普通にHe is remarkably/ outstandingly smart.を使うのが安全です。

 もちろんポジティブな文脈でも普通に使われます。

  • conspicuously brave(ひときわ勇敢)

  • conspicuously successful(目覚ましく成功した)

  • conspicuously generous(際立って寛大)

つまり、意味自体は中立ですが、ネガティブな文脈で使われる頻度が高いというのが実態のようです。

  • conspicuously” は「目立って」という中立的な副詞

  • しかし「悪目立ち」「不適切に目立つ」などの文脈で使われることが多い

  • ポジティブにも使えるが、頻度としてはネガティブ寄り

英語の語感としては「目立ち方に話者の評価が入りやすい語」と覚えておくと便利です。♥♥♥

[補足] 社会学の用語で“conspicuous consumption”(誇示的消費/見せびらかしの消費)という言葉があります。これは必要だから買うのではなく、自分の富や地位を周囲に見せつけるために高級品を買うことを指し、一般的に批判的な文脈で使われます。この言葉のイメージが強いために、conspicuous自体に「見せびらかす」「成金的な」というネガティブな響きを感じるネイテイブスピーカーも多いのです。

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