
▲実に勉強になる面白い特集だった!
外国人教授が、新入生最初のレポート提出を求めたところ、下記のようなカバー・レターと共に、送られてきました。このカバー・レターにはさまざまな問題点が存在しますが、みなさんはどれくらい気がつきますか?ご興味のある方は、『CNN English EXPRESS』1月号(2017年、朝日出版)の特集「知らないと大ケガ!誰も教えてくれなかった英語の“リアル”丁寧表現」で、ティモシィ・ミントン教授(Timothy D.Minton, 慶應義塾大学医学部教授)が解説しておられますので、ぜひお読み下さい。この記事はとても勉強になりました。
Dear Mr. Minton,
Hello.
I am sending you my assignment.
Please check it.
命令文にplease をつければなんでも丁寧になる、と思っている教師・生徒が非常に多いようです。中学校の英語の授業を思い出してみると、確かに「お願いごとをするときは命令形に “Please” をつける」と習いませんでしたか?そのように学校で習ったものですから、当然と言えば当然のことかもしれませんね。ミントン先生は、「命令そのものが不適切な状況や相手に使われている場合には、pleaseを付けても丁寧表現にはならないのです」と述べておられます。上の“Please check it.”で考えてみましょう。命令する人(学生)とこれを受け取る人(教授)の関係を考えれば、そもそもこうした命令自体が不適切なものですから、いくらpleaseを付けたからといって、失礼さは変わらないのです。さて、上の英文には、この他にどんな問題点があるのでしょうか?考えてみてください(宿題です)。
日本で最もよく使われている『ジーニアス英和辞典』(大修館)の著者たちによる高校英語総合参考書『ジーニアス総合英語』(大修館、2017年)には、参考になるコラム記事がたくさんあってとても勉強になるのですが、そこには次のような有用な注意書きが挙がっていました。
pleaseはどんな命令文にもつけられるわけではありません。相手がその行動をすることで話し手が利益を受ける場合に使うのがpleaseの基本です。
Please bring me a cup of coffee. コーヒーを持ってきてください。
しかし、話し手でなく聞き手の利益になる場合でも、話し手が心を込めて相手に行動を促す時には、pleaseを文頭で使うことができます。
Please make yourself at home. どうぞお楽にしてください。
話し手の利益にならず、話し手が心を込めて行動を促すのでもない、指示や忠告を表す命令文にはpleaseをつけません。たとえば道案内のようなケースです。
Go straight and turn left at that corner.
×Please go straight and turn left at that corner. まっすぐ行ってあの角を左に曲がってください。
日本語の「~してください」は丁寧な言い方としてさまざまな場面で使えますが、pleaseには使える条件があります。やみくもにpleaseを使わないように注意しましょう。(p.41)
次の文は英文メールでよく見かける表現ですね。実際のところ、相手にどのような印象を与えると思いますか?
Please send the file by Friday.
命令文にPleaseをつけると丁寧になり、失礼のない英語になると信じられている方も多いと思います。そう思うのも無理はありません。中学校以来そう教えられてきており、学校で使う教科書にはそう書かれているからです。日本語の「~してください」から受ける印象とは違って、ニュアンスをやわらげる効果はあるものの、命令していることには変わりはないので注意が必要です。丁寧になることも、失礼な場合もあります。英米人から見ると、日本人はpleaseを使い過ぎるという印象を与えることもあるようです。pleaseにはどのような意味があり、英文をどのような印象にするのか見てみましょう。
まずpleaseの定義を英英辞典で確認してみましょう。“used as a polite way of asking for something or telling somebody to do something”あるいは“used in making polite requests and in pleading, asking for a favour, etc”とあります。どうやら丁寧に何かを頼むときに使う言葉のようです。これだけを見ると、「なあーんだ、やっぱりていねいになるじゃん」と思えるかもしれませんが、気を付けてください。丁寧の度合いも理解しなければいけませんし、使う相手や場面もわきまえなければいけないのです。命令そのものが不適切な状況や相手に対して使われている場合には、pleaseを付けても丁寧表現にはならないのです。“Please give me all your money.”と言われても、「有り金を全部よこせ」という要求の理不尽さ自体に変わりはありません。“Please lend me 10,000 yen.”も理不尽な命令にあたります。「金を貸せ」などと命令する権利は誰にもないのです。冒頭の学生が教授にレポートをチェックしてもらいたいと、“Please check it.”(どうぞチェックして下さい)という言い方にネガティブに反応するのも同じ理由です。命令する人(学生)とこれを受ける人(教授)の関係を考えれば、そもそもこうした命令自体が不適切であり、これにpleaseを付けたからといって、失礼さはぬぐえないのです。基本的には、相手に何かしてもらうことで、話し手に利益がある時には使われます。pleaseを付けることで、より丁寧になる場合と、そうでなくなる場合とを見分けるカギは、「相手にその行為を強く求めることが適切かどうか」を考えることです。答えがイエスなら、pleaseを付けると丁寧になり、そうでない場合は逆効果になります。
Please sit down.
これは「お座りください」のようなニュアンスになるでしょうか。答えはノーです。Sit down.は直接的な動作を伝える上から目線の命令です。Pleaseをつけても、少し丁寧な命令になるだけです。命令口調で怒っているトーンで「座ってよ!いいから!」のように強く感じられます。上司に対して「どうぞ座って」とか言いませんよね。ビジネスの場では避けた方がよいでしょう。この場合丁寧に伝えるには“Please have/ take a seat.”のような表現をお勧めします。同じpleaseをつけただけの文に見えるかもしれませんが、「have a seat」には「おかけください」というニュアンスが含まれるため命令ではありません。これにpleaseをつけることで「どうぞ」という丁寧さがさらに加わります。ビジネスなど、礼儀が必要な場面でよく使われます。ただしこれも今すぐ行動をするように促すわけですから、相手はこれをプレッシャーと感じるかもしれません。座りなさい、と命令されているようにも受け取れます。事実、就活で面接官が“Please take a seat.”と言う場合は、命令しているようなものです。招待客の場合も、“Please take a seat.”と言われると窮屈に感じる可能性があります。ちょっと部屋を歩き回って、飾ってある写真やカーテンなどを眺めていたい、と思っているかもしれないからです。お客様にくつろいでもらいたい、というおもてなしの気持ちが、これでは逆効果になってしまいます(詳しくはT.ミントン『日本人の英語表現』(研究社、2012年))。Close the door.(ドアを閉めろ)は命令的な文章です。一方、Please close the door.は一見丁寧そうですが、場面によってはイライラしているように聞こえます。怒っているけどギリギリ礼儀を保っているような印象を与えることもあります。「懇願」や「いらだち」のニュアンスを表すのです。
Please transfer at this station. ? この駅で乗り換えてください。→「お願いだから、この駅で乗り換えてください」というニュアンスに聞こえているかも
以下はpleaseをつけても命令文であることに変わりはなく、目上の人や得意先などには使わない表現です。自分に対して何らかの行動を相手に期待している場合と考えることができます。
Please sit down.
Please wait a moment.
Open the door, please.
Please send the file by Friday.
以下は相手に行動を強要するものではないため、命令にはならず、失礼になりません。このようなものは決まり文句となっていますね。
Please find (take a look at) the attached file.
Please (kindly) be informed that my e-mail address has been changed to XXXX.
Please do not hesitate to let us know in case of any questions.
丁寧な文にするコツは相手に選択肢を与えることです。では丁寧な、あるいは礼儀正しい表現はどのようにすればよいのでしょうか。先ほど見たサンプル文を丁寧なものにしてみましょう。下に行くほど丁寧になります。求められる丁寧さの度合いに応じて使い分けるのです。
Please send the file by Friday.
Could you send the file by Friday?
I was wondering if you could send the file by Friday?
Is it possible for you to send the file by Friday?
ポイントは相手に選択肢を与えることです。Please + 動詞では丁寧な命令文とお話ししました。この文では「ファイルを送る」という行為を命令する意図しか含まれておらず、相手にとってはファイルを送らないという選択肢はないのです。Could you …?とすると、回答はイエスとノーの2通りできることになります。通常、イエスの答えを期待しているときの依頼のしかたですが、一般的に良く使われ、十分丁寧ではあります。I was wondering if you could …とIs it possible for you to …?もイエスとノーの回答ができる上、相手の都合も考慮しており、かなり丁寧な表現になります。
ソフトウェアの英文を日本人が書くと、次のようになることがよくあります。
Please click XXXX button.
これをネイティブに校正してもらうと、必ず“Click XXXX button.”と修正されます。ユーザーに操作してもらうとき、“Click XXXX button.”で「XXXXボタンを押してください」のニュアンスが含まれます。Pleaseをつけて「どうかボタンを押してください」のようにする必要はありませんよね。
英語の命令形と日本語の命令形を同一に考えてはいけません。日本語と英語は、文法構造も異なり、言葉の発展してきた背景や経緯も異なる2つの言語です。考え方や使い方が異なるのは当然です。それでも、コミュニケーションには相手を思いやる気持ちが大切なことはどちらの言葉でも変わりません。pleaseという言葉に対する解釈の慣習の違いをおさらいしてみました。♥♥♥
「お金を稼ぐことを目的に仕事をやっている人」と、「良い仕事をすることを目的に仕事をしている人」。どちらが、結果的にお金を儲けることができると思いますか?欲はエネルギー源の一つですから、最初はほとんどの人が欲で仕事をします。「お金持ちになりたい」「地位や名誉を得たい」「格好良くみられたい」「家族を幸せにしたい」「もてたい」「マイホームを持ちたい」こういった欲のエネルギーだけである段階まで来ると、最初に挙げた大きく二つの人間に分かれてきます。もちろん答えは、良い仕事をすることを目的に仕事をしている人です。金儲けしたいと思う人が儲からず、良い仕事を追い求める人の方が儲かるのです。長い間、多くの会社や人間を見てきて、これは人生の真理・現実の一つだと私は強く感じています。その理由は子どもでも分かるくらい簡単なことです。
良い仕事をすることを目的に仕事をしている人は、常に、今以上に良い商品やサービスを提供しようとして頑張ります。良い商品やサービスを提供し続ければ、お客さまは喜んでくれます。お客さまが喜んでくれたら、その分、結果として売り上げや利益が出ることになります。売り上げや利益が出るということは、会社であれば、儲かった分を社員や株主などに還元することもできます。さらには、納税により地域社会にも貢献することができますね。つまり、良い仕事をすることを目的にしている人は、「結果として」儲かるわけです。お客さまのため、社会のためという「利他心」で仕事をすると、仕事の質は向上し、その結果、利益を得ることができます。良い仕事をするということを目的とすれば、良い仕事をすること自体で、自分も楽しいし、また、良い仕事は世間をも利しますから、多くの方を喜ばせることにもなります。そこには、「利己」も「利他」も超越した世界があると言ってもよいでしょう。
でも、実際は、なかなかこういった気持ちになれる人は少ないのです。お金や地位が目的化していることが、誤りだと気づいていない人も多いのかもしれません。そういう人は、仕事がだんだん荒れてくるか、疲れてきます。ルンルン気分で仕事をすることができなくなってきます(皆さんはルンルン気分で仕事をしていますか?)。お金や地位が目的の人は、一時的に地位やお金を得ても、本当の幸せにはなれず、地位やお金もあだ花のようにいずれは消えてしまいます。お金儲けをしようとする人ほどお金儲けができないのです。良い仕事をしようと全力を尽くせば、結果お金はついてくるのですが。重要なことは、お金を稼げるぐらいに良い仕事をすることなのです。「お金を追うな、仕事を追え」とは、私の人生訓です。お金や地位は、頑張って仕事をやっていれば、自然についてくるのです。
お金儲けがしたいと思う人が儲からないのは、金儲けすることが仕事の目的になっているため、「お客さまのために」良い仕事をするという気持ちが二の次になってしまうからです。最初は「お客さまのため」と思っていた人も、お金儲けが目的になった途端に、お客さま志向はどんどん希薄になってしまいます。良い仕事をする気持ちが希薄になると、効率性ばかりを重視するなどして仕事はどうしても荒れてきます。「お客さまのために何ができるか」という肝心な視点も抜け落ちますから、当然、商品やサービスの質が低下します。人によっては法律違反まで犯してしまいます。これでは、到底、お客さまに喜んでもらうことはできず、結果として、会社全体の売り上げや利益は下がってしまいます。売り上げや利益が下がれば、社員や株主に還元することもできず、納税額も下がり地域社会への貢献度合いも低くなってしまいます。お金を追い求めると、坂道を転げ落ちるかのように経営が悪化し、何もかもがうまくいかなくなるというのはよく聞く話です。自分の利害ばかりを考える「利己心」で仕事をすると、仕事の質は低下しますから、結果的には儲けることはできないのです。これは別にビジネスの世界だけに限ったことではなく、役所でも政治家でも、教育の世界でも同じです。仕事を「手段」にしている人には限界があるのです。
一万円札の肖像になっている「日本資本主義の父」と言われている渋沢栄一氏は、「論語と算盤は一致すべし」と繰り返し主張しています。「論語」(=道徳)と「算盤」(=経済)は両立するものであり、豊かさを持続させるのには、善い行いと良い商いがかけ離れてはいけないという教えですね。算盤だけを追い求めても、算盤はついてこない。論語を追い求めて、初めて算盤がついてくる、ということを忘れてはならないのです。
私の経験で言えば、大学に入れることだけを目標に頑張っている先生と、英語の力を付けることを目標にひたすら努力している先生とでは、明らかに後者の先生の方が、大学に合格する生徒が多いし、卒業してからも感謝し続けてくれ、交流が続くようです。「お金を追うな、仕事を追え」です。♥♥♥