pleaseを付ければ丁寧になるか?

 

▲実に勉強になる面白い特集だった!

 外国人教授が、新入生最初のレポート提出を求めたところ、下記のようなカバー・レターと共に、送られてきました。このカバー・レターにはさまざまな問題点が存在しますが、みなさんはどれくらい気がつきますか?ご興味のある方は、『CNN English EXPRESS』1月号(2017年、朝日出版)の特集「知らないと大ケガ!誰も教えてくれなかった英語の“リアル”丁寧表現」で、ティモシィ・ミントン教授(Timothy D.Minton, 慶應義塾大学医学部教授)が解説しておられますので、ぜひお読み下さい。この記事はとても勉強になりました。

Dear Mr. Minton,
Hello.
I am sending you my assignment.
Please check it.

 命令文にplease をつければなんでも丁寧になる、と思っている教師・生徒が非常に多いようです。中学校の英語の授業を思い出してみると、確かに「お願いごとをするときは命令形に “Please” をつける」と習いませんでしたか?そのように学校で習ったものですから、当然と言えば当然のことかもしれませんね。ミントン先生は、命令そのものが不適切な状況や相手に使われている場合には、pleaseを付けても丁寧表現にはならないのですと述べておられます。上の“Please check it.”で考えてみましょう。命令する人(学生)とこれを受け取る人(教授)の関係を考えれば、そもそもこうした命令自体が不適切なものですから、いくらpleaseを付けたからといって、失礼さは変わらないのです。さて、上の英文には、この他にどんな問題点があるのでしょうか?考えてみてください(宿題です)。

 日本で最もよく使われている『ジーニアス英和辞典』(大修館)の著者たちによる高校英語総合参考書『ジーニアス総合英語』(大修館、2017年)には、参考になるコラム記事がたくさんあってとても勉強になるのですが、そこには次のような有用な注意書きが挙がっていました。

 pleaseはどんな命令文にもつけられるわけではありません。相手がその行動をすることで話し手が利益を受ける場合に使うのがpleaseの基本です
   Please bring me a cup of coffee. コーヒーを持ってきてください。
 しかし、話し手でなく聞き手の利益になる場合でも、話し手が心を込めて相手に行動を促す時には、pleaseを文頭で使うことができます。
   Please make yourself at home. どうぞお楽にしてください。
 話し手の利益にならず、話し手が心を込めて行動を促すのでもない、指示や忠告を表す命令文にはpleaseをつけません。たとえば道案内のようなケースです。
   Go straight and turn left at that corner.
   ×Please go straight and turn left at that corner. まっすぐ行ってあの角を左に曲がってください。
 日本語の「~してください」は丁寧な言い方としてさまざまな場面で使えますが、pleaseには使える条件があります。やみくもにpleaseを使わないように注意しましょう。(p.41)

 次の文は英文メールでよく見かける表現ですね。実際のところ、相手にどのような印象を与えると思いますか?

   Please send the file by Friday.

命令文にPleaseをつけると丁寧になり、失礼のない英語になると信じられている方も多いと思います。そう思うのも無理はありません。中学校以来そう教えられてきており、学校で使う教科書にはそう書かれているからです。日本語の「~してください」から受ける印象とは違って、ニュアンスをやわらげる効果はあるものの、命令していることには変わりはないので注意が必要です。丁寧になることも、失礼な場合もあります。英米人から見ると、日本人はpleaseを使い過ぎるという印象を与えることもあるようです。pleaseにはどのような意味があり、英文をどのような印象にするのか見てみましょう。

  まずpleaseの定義を英英辞典で確認してみましょう。“used as a polite way of asking for something or telling somebody to do something”あるいは“used in making polite requests and in pleading, asking for a favour, etc”とあります。どうやら丁寧に何かを頼むときに使う言葉のようです。これだけを見ると、「なあーんだ、やっぱりていねいになるじゃん」と思えるかもしれませんが、気を付けてください。丁寧の度合いも理解しなければいけませんし、使う相手や場面もわきまえなければいけないのです。命令そのものが不適切な状況や相手に対して使われている場合には、pleaseを付けても丁寧表現にはならないのです。“Please give me all your money.”と言われても、「有り金を全部よこせ」という要求の理不尽さ自体に変わりはありません。“Please lend me 10,000 yen.”も理不尽な命令にあたります。「金を貸せ」などと命令する権利は誰にもないのです。冒頭の学生が教授にレポートをチェックしてもらいたいと、“Please check it.”(どうぞチェックして下さい)という言い方にネガティブに反応するのも同じ理由です。命令する人(学生)とこれを受ける人(教授)の関係を考えれば、そもそもこうした命令自体が不適切であり、これにpleaseを付けたからといって、失礼さはぬぐえないのです。基本的には、相手に何かしてもらうことで、話し手に利益がある時には使われます。pleaseを付けることで、より丁寧になる場合と、そうでなくなる場合とを見分けるカギは、「相手にその行為を強く求めることが適切かどうか」を考えることです。答えがイエスなら、pleaseを付けると丁寧になり、そうでない場合は逆効果になります。

   Please sit down.

 これは「お座りください」のようなニュアンスになるでしょうか。答えはノーです。Sit down.は直接的な動作を伝える上から目線の命令です。Pleaseをつけても、少し丁寧な命令になるだけです。命令口調で怒っているトーンで「座ってよ!いいから!」のように強く感じられます。上司に対して「どうぞ座って」とか言いませんよね。ビジネスの場では避けた方がよいでしょう。この場合丁寧に伝えるには“Please have/ take a seat.”のような表現をお勧めします。同じpleaseをつけただけの文に見えるかもしれませんが、「have a seat」には「おかけください」というニュアンスが含まれるため命令ではありません。これにpleaseをつけることで「どうぞ」という丁寧さがさらに加わります。ビジネスなど、礼儀が必要な場面でよく使われます。ただしこれも今すぐ行動をするように促すわけですから、相手はこれをプレッシャーと感じるかもしれません。座りなさい、と命令されているようにも受け取れます。事実、就活で面接官が“Please take a seat.”と言う場合は、命令しているようなものです。招待客の場合も、“Please take a seat.”と言われると窮屈に感じる可能性があります。ちょっと部屋を歩き回って、飾ってある写真やカーテンなどを眺めていたい、と思っているかもしれないからです。お客様にくつろいでもらいたい、というおもてなしの気持ちが、これでは逆効果になってしまいます(詳しくはT.ミントン『日本人の英語表現』(研究社、2012年))。Close the door.(ドアを閉めろ)は命令的な文章です。一方、Please close the door.は一見丁寧そうですが、場面によってはイライラしているように聞こえます。怒っているけどギリギリ礼儀を保っているような印象を与えることもあります。「懇願」「いらだち」のニュアンスを表すのです。

    Please transfer at this station. ? この駅で乗り換えてください。→「お願いだから、この駅で乗り換えてください」というニュアンスに聞こえているかも

 以下はpleaseをつけても命令文であることに変わりはなく、目上の人や得意先などには使わない表現です。自分に対して何らかの行動を相手に期待している場合と考えることができます。

   Please sit down.
   Please wait a moment.
   Open the door, please.
   Please send the file by Friday.

 以下は相手に行動を強要するものではないため、命令にはならず、失礼になりません。このようなものは決まり文句となっていますね。

   Please find (take a look at) the attached file.
   Please (kindly) be informed that my e-mail address has been changed to XXXX.
   Please do not hesitate to let us know in case of any questions.

丁寧な文にするコツは相手に選択肢を与えることです。では丁寧な、あるいは礼儀正しい表現はどのようにすればよいのでしょうか。先ほど見たサンプル文を丁寧なものにしてみましょう。下に行くほど丁寧になります。求められる丁寧さの度合いに応じて使い分けるのです。

         Please send the file by Friday.
   Could you send the file by Friday?
   I was wondering if you could send the file by Friday?
   Is it possible for you to send the file by Friday?

 ポイントは相手に選択肢を与えることです。Please + 動詞では丁寧な命令文とお話ししました。この文では「ファイルを送る」という行為を命令する意図しか含まれておらず、相手にとってはファイルを送らないという選択肢はないのです。Could you …?とすると、回答はイエスとノーの2通りできることになります。通常、イエスの答えを期待しているときの依頼のしかたですが、一般的に良く使われ、十分丁寧ではあります。I was wondering if you could …Is it possible for you to …?もイエスとノーの回答ができる上、相手の都合も考慮しており、かなり丁寧な表現になります。

 ソフトウェアの英文を日本人が書くと、次のようになることがよくあります。

   Please click XXXX button.

これをネイティブに校正してもらうと、必ず“Click XXXX button.”と修正されます。ユーザーに操作してもらうとき、“Click XXXX button.”で「XXXXボタンを押してください」のニュアンスが含まれます。Pleaseをつけて「どうかボタンを押してください」のようにする必要はありませんよね。

 英語の命令形と日本語の命令形を同一に考えてはいけません。日本語と英語は、文法構造も異なり、言葉の発展してきた背景や経緯も異なる2つの言語です。考え方や使い方が異なるのは当然です。それでも、コミュニケーションには相手を思いやる気持ちが大切なことはどちらの言葉でも変わりません。pleaseという言葉に対する解釈の慣習の違いをおさらいしてみました。♥♥♥

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新神戸駅

 トンネルを抜けると駅に着きます。駅を発車するとまたトンネルに入ります。新幹線の新神戸駅はそんなところになります。JR新神戸駅の新幹線のホームに立つ度に、「なんでこんな山の中に新幹線の駅を作ったんだろうか?!」と感じます。右を見ても、左を見てもトンネルです。新神戸駅は、神戸市の市街地に最も近い新幹線の駅です。しかし新神戸駅に接続している鉄道は神戸市営地下鉄のみとなっているため、JR阪急阪神などに乗り換えるには、いったん「三ノ宮駅」まで出るために、神戸市営地下鉄バスを利用することになります。神戸市営地下鉄を利用すれば「三宮駅」まで約2分というアクセスですが、乗り換えの煩わしさが新幹線利用客にとっては不評のようです。

 いったいなぜ、「新神戸駅」「三ノ宮駅」などの在来線に接続しなかったのでしょうか?新幹線の前身は、戦前の弾丸列車の計画につながります。弾丸列車とは、1939年(昭和14年)に計画された東京下関を結ぶ高規格鉄道です。東京大阪間を4時間30分、東京下関間を9時間で結ぶことを目標としていました。太平洋戦争の影響によって中止となりましたが、弾丸列車計画は戦後の新幹線計画へと繋がる礎となりました。弾丸列車当初の計画では「新神戸駅」は現在とは異なる場所に予定されていました。神戸の街は、海と山に挟まれた東西に細長い平地に位置しています。住宅を避け、鉄道を建設するとなると市街の北部の山際に路線を通すしかありませんでした。そこで「新神戸駅」の設置に選ばれたのは平野付近でした。平野の祇園さんで有名な祇園神社が鎮座されている場所です。当時、平野には神戸市電が通っていましたが、市街からは少し離れていました。もう少し市街地に近い方がいいという意見により、布引付近、現在の「新神戸駅」付近へと変更されました。しかし戦局の悪化により弾丸列車計画は中止に。戦後、東京大阪間の新幹線建設が決定されると、弾丸列車用地の大部分は新幹線のための用地に転用されます。しかし、山陽新幹線の建設は未定だったため、大阪より西側の用地は元の所有者に返還されることになりました。

 東海道新幹線開通後、山陽新幹線建設が決定されると、ルートの選定が行われます。主に4つのルートが検討されました。

場所 メリット デメリット
1.背山案 六甲山北側 用地買収が容易・トンネルが短い ルートが大回り・駅が市街地から離れる
2.中央案 六甲山中央 距離が短い 新幹線駅の設置ができない・トンネルが長い(23キロ)
3.◎表六甲案 六甲山南側 駅が市街地から近い 半地下方式
4.海岸案 海岸平野部 駅が市街地から近い 密集地・港湾を高架橋で通過するため実現が困難

 慎重な検討の結果として、表六甲案しか残らなくなり、弾丸列車計画と同じく布引付近が「新神戸駅」に選ばれることになりました(竹内正浩『妙な線路大研究 東海道・山陽・九州新幹線篇』(2022年)参照)。1972年(昭和47年)に山陽新幹線「新大阪駅」「岡山駅」間の開通と同時に「新神戸駅」も開業。神戸トンネル六甲トンネルに挟まれた狭い位置に半地下方式で設置されました。しかし、その前年には神戸市電が廃止されていたためアクセスできる公共交通機関はバスのみでした。1985年(昭和60年)にようやく神戸市営地下鉄が開通されたことでアクセスが格段に向上します。そして、その3年後には北神急行(現・神戸市営地下鉄北神線)が開業し、神鉄沿線や有馬温泉などへのアクセスも便利になりました。それでもやはり不便さを拭えないのは、JR在来線が乗り入れていないからでしょう。わずか一駅の「三ノ宮駅」へ行くために別料金が発生してしまいます。ちなみに神戸市内発着の乗車券に限り、当駅および在来線の「三ノ宮駅」・「元町駅」・「神戸駅」・「新長田駅」では、新幹線と在来線を乗り継ぐための「特別下車」ができますので、別途神戸市営地下鉄やバスの料金は必要ですが、新幹線単独駅ならではの特例が「新神戸駅」に採用されています。

 新幹線「のぞみ」が2003年(平成15年)より全列車が「新神戸駅」に停車するようになるまでは、東京・名古屋方面から神戸方面へ向かう場合、「新大阪駅」で乗り換え、在来線(新快速)で「三ノ宮駅」へ向かうルートを利用される方も多かったようです。「のぞみ」の速さや列車本数を考慮すれば、「新神戸駅」の下車よりも分がありました。

 駅の構内にはレストランやお土産物屋さんがあり、時間つぶしにはもってこいです。改札内に入ると作業のできる「モバイルコーナー」もあり便利でした。

 神戸の玄関口として誕生した「新神戸駅」も開業から半世紀が経ちました。周辺はまだ開発途中の雰囲気は否めませんが、それだけに豊かな自然を見ることができます。「新神戸駅」から「三ノ宮駅」までは下り坂で徒歩で約15分。荷物が少なければ、歩いてみるのもいいかもしれませんね。♥♥♥

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ドジャース?

 ワールドシリーズはドジャースの劇的な2連覇で幕を閉じました。それにしてもMVP・山本由伸(やまもとよしのぶ)投手の活躍はすごかったですね。彼は「野球少年に戻ったような」と語りました。4勝のうちの3勝を一人で勝ち抜きました。オリックス時代は日本一のエース投手だったわけですから、当然の活躍と言えるかと思います。感動的だったのは、第3戦。両軍とも譲らぬ熱戦は延長18回にも及び、ブルペンには19回の登板に備えて肩を作る山本投手の姿がありました。第2戦で完投していた山本投手はベンチで「僕が投げます。ワールドシリーズで野手に登板さえるようなことはしない」と、ロバーツ監督に直訴してブルペンに向かったのでした。全員でつかみ取った勝利でした。また、中0日で第7戦に救援登板した山本投手は、あまりにも腕が疲れていたために、優勝セレモニーではトロフィーを持ち上げることができず、同僚のキケ・ヘルナンデス選手に支えてもらっているシーンは感動的でしたね。英語はあまり上手とは言えませんが、“You know what?  Losing isn’t an option. Thank you my teammates, my coaches, our amazing staff and all the fans. We did it together! I love the Dodgers, I love Los Angeles! ありがとう!”(負けるという選択肢はない→何としてでも負けるわけにはいかない)という名言をセレモニーで発しました。ロバーツ監督「翔平と同じで、何か人間を超えたものがある。練習の時も常に完璧を目指してるんだ。ヤマモトは素晴らしい人物で、チームのためにやってくれた」とコメントしました。スネル捕手「ブルペンでもそうだよ。フォームも表情も全く崩れない。“壊れないマシン”ってみんなで呼んでる」とエピソードを明かしました。

 ドジャース(Dodgers)は英単語の“dodge”が由来となっており、日本語では「よける、かわす」という意味です。子どもの頃みんな遊んだことがある「ドッジボール」“Dodgeball”と書きますが同じ単語ですね。それに「するもの、する人」という意味を表す接尾辞“er”を付けて“Dodgers”(よける人たち)という意味です。複数形なので“s”が最後にきています。これが基本的な意味になりますが、では一体何を「よける人たち」なのでしょうか?

 何をよける人たちなのかは、チームの歴史を少し紐解く必要があります。ロサンゼルス・ドジャースというチーム名は1958年から使用されているもので、それ以前はニューヨークブルックリンに本拠地を置いているチームが前身で、その歴史は1884年まで遡ることになります。その頃の市内交通と言えば「馬車鉄道(horsecar)」が主なもので、金属のレール上で大きな客車を引っ張る馬の姿が多くみられました。速度は比較的ゆっくりとしたものでスピード感は歩行者とあまり変わらなかったとか。しかし1892年に電気で動く「路面電車」(trolley)が市内交通に導入されると、それから3年が経つ1895年には路面電車と歩行者の事故が増加しました。その頃のブルックリンにおける死者は130人あまり、負傷者は500人にも上ったと言われています。

1895年ごろ ブルックリンの路面電車

 これがきっかけで「ブルックリンの人たち=路面電車をよける人たち(trolley dodgers)」というパブリック・イメージがその頃から形成されていき、広まることになりました。1895年のシーズンの始め頃には徐々にスポーツ記者たちが“trolley dodgers”という名称でチーム名を表すようになっていき、そして1898年初頭には本拠地のブルックリン(Brooklyn)と合わせ、さらにtrolleyを省いて短縮させて「Brooklyn Dodgers」という名称が広く認知されるように変化したのです。ユニフォームにDodgersという文字がプリントされるようになったのは1933年から。そして1958年から本拠地をロサンゼルスに移し、現在のロサンゼルス・ドジャース(Los Angles Dodgers)が誕生したというわけですね。

 さてもう一つ、発音ですが、日本語では「ドジャース」と表記しますが、英語ではdodgers「ダジャーズ」と濁ります。Yankees「ヤンキーズ」です。英語では複数形の「s」は基本的に「ズ」と発音されます。それなのに、なぜ日本では「ドジャース」「ヤンキース」と「ス」で表記するのでしょうか。実はこれ、日本の慣習による表記なのです。日本のメディア、特に読売新聞やNHK、共同通信などでは、1950年代から1960年代にかけて「ス」表記が定着しました。当時は英語の発音よりも、日本語として読みやすく、書きやすい表記が優先されたのです。そのため「ドジャース」「ヤンキース」という表記が長く使われており、現在でも報道では統一表記として採用されています。一方、「マリナーズ」「ブリュワーズ」が「ズ」で定着したのは、これらの球団が日本で知られるようになった時期が比較的新しく、より発音に忠実な表記が好まれるようになっていたからだと考えられます。♥♥♥

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Ciistandに通いつめて

◎週末はグルメ情報!!今週はケーキ屋

 私は美味しいケーキには目がありません。私が6年間通いつめている大好きなケーキ屋さんが、松江駅南口の裏にある「Cii stand」(シースタンド 木曜日~日曜日 午前11時~無くなり次第閉店)です。松江駅南口から徒歩1分の所にある、食パンの「乃が美」のちょうど裏手にあたる場所です。若い女性パティシエ店長の講武千晶(こうぶちあき)さんが、25歳で独立して開業されました。大阪の名店「プレヴェール」と、神戸の最高峰「パティスリーアキト」(⇒このお店には私も今年3月に訪問してきました。詳しい紹介はコチラです)で修行を積んだ、若い店長さんです。ここが松江では珍しく、長い行列のできるおしゃれなケーキ屋さんなんです。開店した当初は、私が米子帰りの夕方頃に立ち寄ってもまだケーキを買うことができたんですが、口コミで松江中に美味しさが伝わってか超人気店となり、私が金曜日に米子から帰る午後2時過ぎには、もう「完売しました」の貼り紙で閉まっていることが多いんです。私が毎月発行している通信「あむーる」10月号は、この「Cii stand」の特集でした。

▲「あむーる」10月号裏面の特集

 講武さんは、小学生の頃からパティシエになることを夢見て、辻調理師専門学校製菓部門で学び、卒業後は大阪市内の洋菓子店で3年、神戸市で1年半修行を重ねました。修行を始めて1年目の秋に、指導のあまりの厳しさに耐えきれず、帰郷した際に、祖父の故・礼次さんに、思わず弱音を吐いたそうです。すると返ってきた言葉は「3年も持たん者が店を出せるものか!!」と突き放されたと言います。頑固な祖父の愛のこもった激励の言葉に背中を押され、技術を磨いて必ず松江に帰って来る、と固く約束を交わしたそうです。2017年のクリスマス直前に、礼次さんがお亡くなりになりました(享年86歳)。約束していたパティシエとして独り立ちする姿を祖父に見せられなかった深い悲しみの中で、「家族のそばで働きたい」との思いが一層強くなったと言います。帰郷を決めて、親族の家の1階部分を改装して構えたお店が、今の「Cii stand」です。このお店には、生前に祖父の礼次さんの焼かれた陶器がたくさん置いてあります。その想い出の品の数々を、以前店長さんに見せていただいたことがあります(写真下)。 それではと、開店時間(午前11時)に勇んで行くと、お店の前にはすでに長蛇の行列ができています。店長さんが一人で接客・箱詰め・会計を全部しておられるので時間もかかり大変そうです。季節季節の旬な果実を用いた上品な味で、ちょっと松江では味わったことがないケーキばかりで気に入っています(例:タルトタタンフレジェ)。祖父の面影を色濃く残す店内で、若い店長さんが目を輝かせながらケーキを焼いておられます。ぜひみなさん、一度足を運んでみて下さいね。私は今年もクリスマスケーキを予約します。

 9月にお店で店長さんに取材しました。

●パティスリーになろうと思ったきっかけは?――小学生の時にバレンタインデーで姉とクッキーを作ったらうまくいかなくて一人で悔しい思いをした。中学生になっても自分は机に向かって仕事をするのではなく、職人になろうと決めていた。両親の反対を押し切って、大学進学を目指すのではなく商業高校で頑張り、専門学校へ行きました。

●今までで一番辛かったことは?――修業時代、自分で考えたレシピを店長にダメ出しされ「自分の店でやりなさい!」「女性は結婚して子どもを育てるためにすぐに辞めてしまう!」と言われ、悔しい思いをして、絶対に自分のお店を持つと固く決意しました。

●一番嬉しかったことは?――修業時代のお店で、お客さん特注オーダーのケーキを、絵を描いたり苦労して作ったところ、とても気に入って褒めてくださって、以来お店に会いに来て下さる常連さんになったことかな。お客さんに喜んでもらえるのが一番と。 ♥♥♥

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良い仕事

 お金を稼ぐことを目的に仕事をやっている人」と、良い仕事をすることを目的に仕事をしている人」。どちらが、結果的にお金を儲けることができると思いますか?欲はエネルギー源の一つですから、最初はほとんどの人が欲で仕事をします。「お金持ちになりたい」「地位や名誉を得たい」「格好良くみられたい」「家族を幸せにしたい」「もてたい」「マイホームを持ちたい」こういった欲のエネルギーだけである段階まで来ると、最初に挙げた大きく二つの人間に分かれてきます。もちろん答えは、良い仕事をすることを目的に仕事をしている人です。金儲けしたいと思う人が儲からず、良い仕事を追い求める人の方が儲かるのです。長い間、多くの会社や人間を見てきて、これは人生の真理・現実の一つだと私は強く感じています。その理由は子どもでも分かるくらい簡単なことです。

 良い仕事をすることを目的に仕事をしている人は、常に、今以上に良い商品やサービスを提供しようとして頑張ります。良い商品やサービスを提供し続ければ、お客さまは喜んでくれます。お客さまが喜んでくれたら、その分、結果として売り上げや利益が出ることになります。売り上げや利益が出るということは、会社であれば、儲かった分を社員や株主などに還元することもできます。さらには、納税により地域社会にも貢献することができますね。つまり、良い仕事をすることを目的にしている人は、「結果として」儲かるわけです。お客さまのため、社会のためという「利他心」で仕事をすると、仕事の質は向上し、その結果、利益を得ることができます。良い仕事をするということを目的とすれば、良い仕事をすること自体で、自分も楽しいし、また、良い仕事は世間をも利しますから、多くの方を喜ばせることにもなります。そこには、「利己」「利他」も超越した世界があると言ってもよいでしょう。

 でも、実際は、なかなかこういった気持ちになれる人は少ないのです。お金や地位が目的化していることが、誤りだと気づいていない人も多いのかもしれません。そういう人は、仕事がだんだん荒れてくるか、疲れてきます。ルンルン気分で仕事をすることができなくなってきます(皆さんはルンルン気分で仕事をしていますか?)。お金や地位が目的の人は、一時的に地位やお金を得ても、本当の幸せにはなれず、地位やお金もあだ花のようにいずれは消えてしまいます。お金儲けをしようとする人ほどお金儲けができないのです。良い仕事をしようと全力を尽くせば、結果お金はついてくるのですが。重要なことは、お金を稼げるぐらいに良い仕事をすることなのです。「お金を追うな、仕事を追え」とは、私の人生訓です。お金や地位は、頑張って仕事をやっていれば、自然についてくるのです。

 お金儲けがしたいと思う人が儲からないのは、金儲けすることが仕事の目的になっているため、「お客さまのために」良い仕事をするという気持ちが二の次になってしまうからです。最初は「お客さまのため」と思っていた人も、お金儲けが目的になった途端に、お客さま志向はどんどん希薄になってしまいます。良い仕事をする気持ちが希薄になると、効率性ばかりを重視するなどして仕事はどうしても荒れてきます。「お客さまのために何ができるか」という肝心な視点も抜け落ちますから、当然、商品やサービスの質が低下します。人によっては法律違反まで犯してしまいます。これでは、到底、お客さまに喜んでもらうことはできず、結果として、会社全体の売り上げや利益は下がってしまいます。売り上げや利益が下がれば、社員や株主に還元することもできず、納税額も下がり地域社会への貢献度合いも低くなってしまいます。お金を追い求めると、坂道を転げ落ちるかのように経営が悪化し、何もかもがうまくいかなくなるというのはよく聞く話です。自分の利害ばかりを考える「利己心」で仕事をすると、仕事の質は低下しますから、結果的には儲けることはできないのです。これは別にビジネスの世界だけに限ったことではなく、役所でも政治家でも、教育の世界でも同じです。仕事を「手段」にしている人には限界があるのです。

 一万円札の肖像になっている「日本資本主義の父」と言われている渋沢栄一氏は、「論語と算盤は一致すべし」と繰り返し主張しています。「論語」(=道徳)「算盤」(=経済)は両立するものであり、豊かさを持続させるのには、善い行いと良い商いがかけ離れてはいけないという教えですね。算盤だけを追い求めても、算盤はついてこない。論語を追い求めて、初めて算盤がついてくる、ということを忘れてはならないのです。

 私の経験で言えば、大学に入れることだけを目標に頑張っている先生と、英語の力を付けることを目標にひたすら努力している先生とでは、明らかに後者の先生の方が、大学に合格する生徒が多いし、卒業してからも感謝し続けてくれ、交流が続くようです。「お金を追うな、仕事を追え」です。♥♥♥

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Congratulations

 英語には、多くの学習者が混乱したり間違えやすいポイントがあります。その大きな理由が「日本語との違い」です。例えば「単数と複数」の問題は日本人にとっては理解しづらく、馴染みにくい苦労する事項です。日本語では、単数複数で言葉自体が変わってしまうことはほとんどありません。高校生が英語で複数形の “s” の付け忘れはよくあります。また、そんな “s” 以外にも、“Congratulations” や “Thanks”、“Cheers” などにも必ず “s” がくっついてきます。これを高校生の中には間違える人がとても多いんです。英語では “Congratulation!” ではなく、必ず“s”をつけてCongratulations!と複数形で使います。むしろ最後の<z>の音が聞こえるように意識的に発音します。例えば、

Congratulations on winning the award!(受賞おめでとう!)

Congratulations on your graduation.(ご卒業おめでとう)

Congratulations on passing the entrance exam.(入試合格おめでとう)

みたいな感じですね。来日したトランプ大統領高市早苗総理にこの言葉を贈っていました。“s”がつかない “congratulation” も単語としては存在しますが「おめでとう」の意味で使う場合は、いつも必ず “Congratulations” になるので、sが無いととても不自然に聞こえます。この“s”には、元の言葉の意味を強める働きがあり、「強意の複数」と呼ばれています。他にも「ありがとう」を意味するThanks.やMany thanks.などにも“s” がつきますよね。 あふれんばかりの感謝の気持ちが複数形になって表されているのです。“Thanks.” とは言っても、“Thank.” とは言いません。

 このように、いつも複数形s(もしくは es)が付くものは他にも、

Best wishes

Kind regards

My apologies

Cheers

Greetings

Condolences

などがあります。“s”をつけることで意味を強めているのですが、これらを見ていると、ある共通点に気付きませんか?お祝いの言葉だったり、幸せを祈る言葉だったり、謝罪の言葉だったり、挨拶の言葉だったり、哀悼の意だったり、これらを表したり伝えたりするのが上のフレーズや単語です。そこにはたくさんの言葉や気持ちが込められています。お祝いや謝罪の言葉、願いなどがたった一つではなくて、たくさん込められていますよ、という意味で複数形になるのです。「あふれんばかりのたくさんの祝福」という意味合いが込められているのです。これを知っていれば、“Congratulations!”、“My apologies”、“My condolences” の “s”を忘れることはもうないですよね!

 まとめると、Congratulations!“s”「強意の複数」で、「おめでとう」の意味合いを強める働きがあります。加えて「あふれんばかりのたくさんの祝福」が込められているのです。

 それともう一つ。Congratulations!は、努力して目標を達成したり、勝ち取ったことの成果をお祝いするものですから、花婿には使ってもよいが花嫁には失礼にあたるから使わないように、という指摘がこれまでしきりになされてきましたし、私もそのように習いました。「よく努力してあんないい旦那を射止めたね!努力が実ったね!」というニュアンスになってしまうので、避けるべきだということです。しかし私の調査によれば、現在では若い人を中心に祝福の言葉としてごく普通に使われています(中には気を悪くする昔気質の女性もいるようですが)。そこら辺は次の記述を参考にしてください。

〔参考〕  元来は新郎に対して言うものだが、最近では新婦にも言う人が多い。(『ライトハウス英和辞典』第7版)

〔語法〕  Congratulations!は努力して成功した人、めでたいことがあった人に贈る言葉。かつては、結婚式の場合、通例花婿に対して用い、花嫁にはI wish you great [every] happiness./ Best wishes!などと言うとされていた。しかし最近ではCongratulations (on your marriage)!も用いられるようになってきている。新年・クリスマスのあいさつには使われない。(『ジーニアス英和辞典』第6版)

  さらに、カジュアルな場面では、Congrats!とだけ言ったりもします。発音は「カングッツ」でラのところにアクセントを置きます(キャサリン・A・クラフト『簡単なのに日本人には出てこない英語フレーズ600』(青春出版社、2024年))。♥♥♥

   You passed!  Congrats!  合格したのね!おめでとう!

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go Dutch

 『朝日新聞』11月3日付けの朝刊「特派員通信 とらべる英会話」「割り勘にしよう Let’s go Dutch.」が紹介されました。「相手がオランダ人やその関係者だったら、シャレにならないかもしれない。気持ちよく割り勘にするためにも、お互いをよく知る関係で使いたい表現だ」と結んでいます。しかし、この表現は「差別語」と受け取られかねない危険な英語です。

 その昔、覚えたてのこの英語を得意げに使ったことがあります。Go Dutch、これは「割り勘をする」という意味なんです。これは2人だけでなく、グループで食事などに行ってそれぞれが別に支払をする場合も使うことができます。ただ、これはinformalな言い方で、オランダ人に対して軽蔑的な表現でもあるので、あまり使用はオススメできません。覚えておくのはいいのですが、「割り勘」と言いたい場合は split the billを使いましょう。

 オランダとか、オランダ人を意味するDutchを使った口語英語はこの他にも、今でもDutchを使った“ネガテイブ”な意味合いの慣用語が幾つもあります。例を挙げてみましょう。

do the Dutch・・・自殺する
Dutch treat・・・ go Dutchと同じ、割り勘で行こう

Dutch courage ・・・酒の勢いなどの空元気
Dutch auction・・・セリ下げ競争(次第に下げていくセリ)
double Dutch・・・さっぱりわからない言葉
Dutch uncle・・・ずけずけ批判する人
Dutch bargain・・・一杯やりながら取り結ぶ売買契約
Dutch comfort・・・さっぱりありがたくない慰め
Dutch concert・・・バラバラな合唱
Dutch gold・・・(銅と亜鉛の合金で模造金箔として用いる)オランダ金
Dutch defense・・・退却、降伏
I’m Dutch if it’s true.・・・それが本当なら首をやるぜ
in Dutch・・・困難に陥った
That beats the Dutch.・・・これは驚いた、参った

He is in Dutch with his boss.・・・あいつは社長の受けがよくない

 よくもまあここまで民族を卑しめることができるものだと感心させられますよね。変な意味、あまりよくない意味の言葉が多いのです。結局、これには歴史的な背景が関係しているんです。詳しくはR.Hendrickson, Encyclopedia of Word and Phrase Origins(1997)、Morris Dictionary of Word and Phrase Origins(1988)などを参照ください。イギリス・オランダ両国はシェークスピア時代のずっと後までは友好関係にあったのです。例えば、16世紀にスペインの属国であったオランダが独立を図ろうとした時、エリザベス1世は援兵を派遣しています。しかし、17世紀になると、オランダは海外に勢力を伸ばし英国を脅かし始めたのです。16~17世紀、オランダは海外に向かって大発展を遂げ、強国だったはずのイギリスをも圧倒していきました。イギリス艦隊を破ってジャワを獲得し、東インドからイギリス大勢力を追っ払ってしまいました。それまでのイギリスの優位が逆転してしまったため、オランダに対する恨みや劣等感から侮辱する言葉として盛んにDutchが変な意味に使われた始めたのでしょう。すべての始まりは17世紀。当時、世界の海を舞台に貿易の覇権を争っていたのが、新進気鋭のイギリスと、“黄金時代”の真っ只中にあったオランダでした。三度にわたる英蘭戦争で激しく火花を散らした両国。イギリスは武力だけでなく、言葉の力でもオランダの評判を徹底的に貶めようと画策します。そう、国家ぐるみの壮大なネガティブキャンペーンでした。その結果、「Dutch(オランダの)」という単語には、これでもかというほどネガティブな意味が上塗りされていきました。

 今話題にしているgo Dutch と言う表現は、いつも割り勘にするなんて、なんてケチなんだ、という皮肉から生まれた言葉と言われています。「あいつらはおごるという文化がなく、常に個人で支払うケチな連中だ」というレッテル貼りのための言葉です。「オランダ人のおごり(Dutch treat)」と言いながら、実際は「各自で払え」という意味。強烈な皮肉が込められていますね。外国人と食事に行って割り勘にしましょうと言いたいときには Let’s split the bill./Let’s have separate bills.を使うようにしましょう。

 『大学入試瑛熟語最前線1515』(研究社、2024年)には、「イギリスとオランダが軍事や貿易において覇権を競っていた17世紀に端を発するもので、イギリス人がオランダ人を蔑んだことによる。現在ではめったに用いられないが入試では出題される」とあります。『ライトハウス英和辞典』(研究社)には[ときに差別語]という注記を入れておきました。『スーパーアンカー英和辞典』にも同様の語法注記が見られます。♥♥♥

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源助柱

 古くから風光明美な城下町として知られる、水の都・松江。私はその松江に長年住んでいながら、知らないことが数多くあります。「あ~、こんなことも知らなかったのか!」新しく始まったNHK連続ドラマ「ばけばけ」は、そんな松江の歴史を掘り起こして気づかせてくれます。そういう意味で貴重な番組です。松江の観光客の集客に一役買ってくれるといいですね。

 

 

    松江の市街地は宍道湖中海を結ぶ大橋川で南北に分かれており、「松江大橋」はその大橋川に架かる橋で、松江を代表する名所の一つになっています。橋の長さは約130mで、御影石でできた欄干は20個の擬宝珠(ぎぼし)で飾られ、橋の中程には夜になると点灯される4つの灯籠がある風情のある橋です(写真上)。今回取り上げるのは、この町で最も古い橋である松江大橋」の悲しい伝説「源助柱」(げんすけばしら)です。きっと、セツ八雲も目にしたであろう、松江の風景です。

    ドラマの中でトキ松江大橋を渡る時、手を合わせるのが「源助柱」です。友人サワが語るように、架橋のために人身御供ごくうにされた男の話が伝わります。松江開府まで「カラカラ橋」と呼ばれた人がやっと通れるる簡易な竹の橋が1本あるきりだった大橋川に、松江城築城の物資を運ぶ荷車が通れるための頑丈な橋を架けるよう、堀尾吉晴公より命がくだったのは慶長年間(17世紀初頭)のことでした。しかし洪水や軟弱地盤ゆえに失敗が続き、工事は難渋を極めました。柱を支える堅固な川底がないようで、巨石をたくさん投げ込んでも甲斐かいがなく、いったん橋がかかってもすぐに柱が沈み出す始末で、修復してはまた壊れるの繰り返しだったといいます。そこで困り果てた末、人柱、つまり中央の橋脚の下に人を一人、生き埋めにして水神の怒りをなだめることになったのでした。その日の朝一番にマチのない袴をはいて「カラカラ橋」を渡る男を人柱とすることになり、橋とは何の関係もない足軽の源助がたまたまその服装で橋を渡ったために捕らえられ、人柱として生きたまま橋脚の下に埋められました。このような経過を経て、橋は慶長13(1608)年にやっと完成し、これが初代の「松江大橋」とされています。八雲は人柱の伝説についてこんなふうに記しています。

この人柱に立った男は、雑賀町に住む、源助というものであった。なぜこの男が人柱に立ったのかというと、昔から、まちのついていないはかまをはいて、はじめて新しい橋を渡ったものは、橋の下に生き埋めにされるというおきてがあって、たまたま源助はまちのない袴をはいて橋を渡ったところを見とがめられたので、かれが人身御供に上がったというわけであった。そんなわけでこの古い方の橋の、まんなかにあった橋ぐいは、犠牲者の名をそのままとって、三百年このかた、源助柱と呼ばれていた。

 源助のはいていた「まちのない袴」とは、股が分かれていないスカート状の袴のこと。「行燈袴」とも呼ばれて、現代では袴といえばこの形が主流ですが、源助の時代には股が2つに分かれた「馬乗袴」が多数派。珍しい「行燈袴」姿だったために、源助は不運にも人柱にされてしまいました。いわばハズレくじを引いたようなものです。誰をどんな理由で選んだとしても遺恨は残るわけですから、人意ではなく神慮に委ねたのでしょう。まさに「天の神様の言うとおり」というわけです。また八雲は、「源助柱」について、月のない晩など丑満時うしみつどきになると、「源助柱」のあたりにしきりと鬼火が飛んだという言い伝えも紹介しています。

 松江では、「源助柱」の言い伝えはいくつかの説があります。八雲の記したマチのない袴の人物説の他に、横しまの継ぎがあたった袴の人物を選んだという説や、実は人柱の条件を言い出したのは源助自身だったという説も。またお茶どころ、松江らしいこんな話も伝わります。朝、お茶を飲んで出ようとする源助を妻が引きめて2服目をすすめたけれども急ぐ源助は断りました。2服目を飲んでゆっくり家を出れば人柱になることもなかったのに……と。だから松江ではお茶を1杯だけで済ませるのは縁起が悪く、2服は飲むものだといわれます。

 その後、松江大橋は何度も架け替えられ、八雲が松江に来た明治23(1890)年8月は、15代目の架橋工事中。翌1891年3月の開通時、八雲は宿の2階から渡り初めの様子を見たと記しています。北詰から見た松江大橋。潮の満ち引きなどによって流れる方向が変わり、橋脚付近は流れが複雑です。その後も洪水や事故のため、何度も橋の架け替えが繰り返され、今の松江大橋は昭和12(1937)年に完成した第17代目です。かげ石の欄干と唐金の擬宝珠ぎぼしが印象的で、日暮れ時になると4基の灯篭にあかりともります。その南詰の小さな公園には「源助柱記念碑」が建てられ、架橋による町の繁栄の影に尊い犠牲があったことを伝えています。

 松江大橋の南詰めにある「源助公園」には、橋の建設での尊い犠牲者を供養する2つの石碑があります。一つは人柱となった源助の碑で、もう一つは現在の橋の建設中、落下した鋼鉄製のバケットで頭を打って亡くなった深田清技師の碑です。深田技師が事故にあったのが、源助が埋められたとされる橋脚の側であったため、当時の新聞に「痛ましい昭和の源助」と報じられたそうです。大橋近くのスティックビルの筋向かいにある龍覚寺には、源助の木像と石の源助地蔵が祀られています。♥♥♥

▲深田技師の記念碑も

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『WiLL』と『Hanada』

 本屋さんに行くと、『WiLL』『Hanada』という2冊の月刊雑誌が同じ売り場に並べて置いてあり非常によく似た表紙でもあり、紛らわしいと思ったことはありませんか?雑誌『月刊WiLL』(ワック出版)は、2004年11月に創刊された日本の政治系月刊雑誌であり、主に保守的な観点からの論説や記事を掲載しており、編集方針としては、自由主義や市場経済、伝統的な価値観を支持する内容が多く、保守層からの支持を得てきました。雑誌の創刊の際に、社長がホテルニューオータニで相談を持ち掛けたのが、故・渡部昇一先生でした。「総合雑誌ですか、この時期にそれは剛毅ですね」とのお返事が。創刊号には堂々8ページにわたる渡部先生の論考が掲載されています。誌面には、著名な政治家や学者が執筆する記事が並び、特に日本の歴史や安全保障問題、外交問題について深く掘り下げていることでも知られています。私は創刊時からずっと定期購読をしていました。『WiLL』というタイトルはワック社がすでに「ウィルアライアンス」(willalliance)という社名の広告会社を設立していたからでした。 創刊時から一年間は赤字でしたが、スクープや時々のタイムリーな特集で徐々に部数が増えていき、オピニオン誌として存在感を増していきました。ここで大騒動が起こります。

 数年前に、月刊誌『WiLL』(ワック社)の元編集長、花田紀凱さんが飛鳥新社に移籍して、新しく作った月刊誌『Hanada』の創刊号の表紙デザインやレイアウトなどが、WiLL』に瓜二つで非常によく似ていると話題になりましたね。私も二冊を今井書店から届けられたときにビックリしたのを覚えています。確かに『Hanada』の表紙のデザインや配色などは、WiLL』とそっくりです。『WiLL』の編集部は、ツイッター上で「表紙から本文レイアウトまで模倣する行為は、不正競争防止法2条1項3号『商品形態の模倣』としかいいようがありません」と噛みつきました。花田氏は、『WiLL』編集部員を引き連れて飛鳥新社に移籍しようと企てたとして、ワック社の取締役を解任され、編集長職も退いていました。花田氏はその後、編集部員を全員引き連れて本当に飛鳥新社に移籍しました。

 2016年4月、飛鳥新社から『WiLL』の編集長だった花田編集長が創刊した『月刊Hanada』6月号を本屋で見てビックリしたものです。表紙もそっくり、内容・執筆陣もほぼ同じような雑誌でした。「一体何があったんだろう?」と驚き、不思議に思いながらも、事情が語られることもなく、これも今井書店に定期購読をお願いし、毎月届けてもらっていました。これまでの『WiLL』のような雑誌が2冊になったというわけで、しかも発売日も同じで市場を食い合うことになるのですが、今後、この市場が果たして2冊分あるくらい大きいものなのかということが疑問でした。書き手もかぶっているし、一体これからどうなるか興味深いところもあるなと思って注視していましたが、今のところ両誌とも好調のようです(毎月並列された新聞広告の大きさに驚いてはいますが)。あれから年月が経ち、少しずつ裏の事情が分かるようになり、納得したことを今日は取り上げたいと思います。

 『Hanada』は、『月刊WiLL』から分派した政治系月刊誌であり、2014年に創刊されました。同じ保守的な立場を取る雑誌ですが、より強調された形で日本の文化的価値や国益を重視する記事が目立ちます。月刊『WiLL』から『Hanada』が分裂した主な背景には、編集方針の違いがあると言われています。特に、月刊『WiLL』がやや穏健な保守を標榜するのに対し、『Hanada』はより過激な視点からの論調を取り、戦後史や日本の教育に関して鋭い批判を展開しました。

 3月18日付で『WiLL』の発行元「ワック」鈴木隆一社長)は、『WiLL』編集長でもあった花田紀凱常務取締役を解任。結果的に、花田さんと『WiLL』編集部全員がワックを退社。飛鳥新社から新雑誌を発行することになりました。一方、ワック側は今後も『WiLL』を発行し続けることを宣言しました。しかし、花田さんは連載陣も含めて新雑誌に移行するとしており、双方から執筆陣への働きかけがなされたようです。

   ご本人の説明はこうです。《2015年8月26日、突然、鈴木社長が「花田さんが私のストレスになっている。だから部員一同を連れてどこかの会社に移ってくれ。何なら広告担当のMさんも連れて行っていい」と言ってきたんです。僕は青天の霹靂というか、びっくりしました。実はその頃、鈴木さんは精神的にナーバスになっていて、言動もおかしなことがたくさんあったんです。そういうことがあったので、気が高ぶってそういうことを言っているのかもしれないから、僕はしばらく放っておいたんです。そうしたらまた何度もそういうことを言ってくる。「年内でどこか出版社を決めてくれ」と。移行には時間がかかりますからね。そうしたら「4月発売号をめどに替わってくれ」と。こういう話だったんです。そう何度も言われるんじゃしょうがないなと。それで僕は、出版社にも知り合いが多少いますから、いろんな方に話をして、飛鳥新社の土井尚道社長がぜひということで決まりました。決まったものですから、12月の初めに鈴木社長に報告したんです。飛鳥新社という名前はその時は出さずに、「ある出版社に決まりました」と。すると、いきなり鈴木さんは「花田さんもその出版社の社長もビジネス感覚がないね」と言うんです。まあ実際僕はビジネス感覚はないんですけどね(笑)。鈴木社長は「私はタダで持って行けとは言ってませんよ。そんな虫のいい話がありますか」と言う。「売る」と言うんですよ。「売ると言ったって鈴木さん、あなた出てってくれと、しかもしつこく言ってきたから私は探しただけだ」と。その間に売るなんていう話は一度も出ていませんでした。「そんなことは聞いてない」と言っても「それじゃビジネス感覚がない」と、この一点張りです。「じゃあ念のために伺いますが、いくらで売るんですか?」と訊いたら「5億円だ」と。今の出版大不況の中で、5億円も出して私と4人の編集部員とDTP担当1人を入れた5人を引き取って雑誌を継続しようなんていう出版社はないですよね。だから「そんなところないですよ。だったら鈴木さんが探して下さい」と言ったんです。》 《そのうちにいつの間にか、5億円という話は曖昧になってしまいました。一方で飛鳥新社には既に話はしているから、そちらはそちらで進んでいくしかない。それで、ワックで仕事をしながら飛鳥新社とも話を進めていました。一応5月号まではワックでやるということになっていたので、それまでは私は淡々と雑誌を作ろうと。よしんば別れることになっても、泥仕合ではなく淡々と別れましょうということはしきりに言っていて、その時は鈴木社長も「そうしよう」と言っていたんです。だけど、だんだん鈴木社長の言動もおかしくなるし、言っていることもエキセントリックになってきたんです。》

 《昨年8月に鈴木社長から「花田さんは私のストレスだ」と、辞めることを申し渡されたのが騒動の発端なのだが、「私のストレス」とはどういうことなのか。あの会社で鈴木社長より年上なのは私だけでした。ワンマン会社だから、他の連中は異常なことがあっても何も言えないんです。これまでにも次々と社員を辞めさせてきました。でもそういうことについて、おかしいとか変だとか、誰も言えないんです。ところが私は多少言える。私は経営能力はないから、経営に関しては何も言わないようにしてきたんだけど、この10年間で、鈴木社長が営業ですね、広告。私が編集。そういう分業でやってきた。時には鈴木社長がいろいろ言ってくることもありましたが、私はそれがいいと思えばやったし、そうでなければ従わなかったんですよ。そういうことが、ワンマン社長の彼にとっては面白くなかったのかもしれません。》 《そういう中で騒動の遠因となったのは、鈴木さんが病気を患って入院したことでした。もし鈴木さんに万が一のことがあったら、この会社はたちまち立ち行かなくなる。そうしたら30人近い社員とその家族が路頭に迷うことになる。だから、鈴木さんが信頼できる人、どこかの会社のOBでもいいし、経営がわかる人を連れてきておいて、顧問でも社長でもいいですが、置いておかないと、万が一の時に大変になる。そう何度も言ったのです。でも彼は全然聞かない。そういうことがきっとストレスと言えばストレスだったのかもしれない。さっき言った編集のこともあるし、病気になってからそういうことを言ったのも嫌だったのかもしれない。でもそういうことを言えるのは僕しかいないわけですよ。他は全員年下で、言うことを聞かざるをえないわけだから。》結局、花田さんはワック出版を辞めることを決意したのですが、もしかすると鈴木社長の誤算だったのは、花田さんだけが辞めるのかと思っていたら、編集部全員が一緒に移籍することになったことだったかもしれません。《鈴木さんから「編集部員を連れて出て行け」と言われた後に、僕は若い編集部員と相談したんです。こういうふうになった、私は出て行かざるをえないが、あなたたちはどうする?と。そしたらみんな「一緒に辞めます」と。それで私が一応上司だから、3月いっぱいで辞めるというみんなの退職願を預かって、鈴木社長に渡したわけです。》 《編集部員には編集部員の考え方がある。鈴木さんと近しい人もいたし、僕とずっと長い人もいた。だからいろいろ考え方はありますよね。だからそれは彼らの判断なんです。「私は残ります」と言われたら僕はしょうがないわけです。だから部員に説明して訊いたら「私たちも辞めます」ということになった。鈴木社長は少なくとも一人くらいは残ってくれると思っていたんじゃないでしょうか。》 《結局、編集部員は全員辞めたわけです。それからずっと担当だったDTPも辞めた。『歴史通』の編集長を建前上の編集長にして、部員は誰もいないんだけど慌てて募集しています。でも集まったにしても、それをまとめていく役がいませんから難しいでしょうね。というか、私は筆者の方々にはお話して、連載は全部持って行くんですから。》花田さんとしてはもちろん『WiLL』という雑誌に愛着があるし、できれば雑誌そのものを持って移籍し、『WiLL』を編集発行し続けたかったのでしょうが、ワック側が了承しない限りそれは難しいのです。

 《『WiLL』はロゴも私が考えたし、タイトルもiは小文字にするというのも私が考えた。それから私は『LIFE』という雑誌が好きなんだけど、あれを真似て赤地に白抜きにしたし、文字の太さも同じようにした。だからすごく愛着はありますよ。だからそれでやらせてくれと頼んだのです。》 《別れるにしても11年間苦労してやってきたし、僕も最後じゃなくなっちゃったけど、最後の場を与えてもらった。だから鈴木さんに恩義は今でも感じているんです。だから少なくとも泥仕合はやめましょうと。そう言っていたにもかかわらずこういうことになって、非常に残念なんです。》

 ワック社側の訴えはこうです。

①まず、際限ない増ページについて。『WiLL』は特別号を除いて256ページが適正頁ですが(最初は240ページ)その後、増ページが常態化しピーク時には334ページに膨らみました。およそ100ページ増です。当然印刷費、用紙代はもとより、原稿料等も嵩み雑誌の収益を圧迫したのです。金額にすると年間約三千万円以上の損失になりました。編集の内容でみれば、本来の『WiLL』にそぐわないエンターテイメント系の連載が増えつづけました(AV監督の人生相談、爆笑問題の対談、等々)。

②編集経費について。年間、千五、六百万円をほぼ花田氏が一人で費消していたので、削減を申し入れました。しかしながらこれもまた聞き入れられませんでした。媒体の性質にもよりますし、花田氏は役員でもあるのでプラスアルファ分をみてもその二分の一が小社の適正範囲と考えます。

③他業と本業とのバランスを欠く。花田氏はWeb番組のレギュラー番組二本、紙媒体のレギュラー連載数本を持ち社外で活躍していますが、ここにきて社でその姿を見かける機会が減り簡単な打ち合わせにも不便を感じさせるほどでした。まったく報告のない週もありました。社長ならずとも本来の社業は大丈夫かと思わせるほどでした。

 月刊『Hanada』の発刊に至った背景には、月刊『WiLL』の編集方針や理念に対する不満が一因とされています。特に、政治的な立場や報道のアプローチに関する違いがきっかけとなったと言われています。月刊『Hanada』は、これまでの月刊『WiLL』とは異なる視点での記事や特集を取り上げ、独自の編集方針を貫いてきました。この新しい雑誌は、より多様な読者層をターゲットにし、内容的にもより広範囲な社会問題を扱っています。

 当時「ワックとは編集方針の違いがあった」とコメントしていましたが、「編集方針の違いなんてないんですが、あの時はそう言わざるをえなかった」というのです。改めて聞くと花田さんはこう答えました。「鈴木さんと路線の対立は全くないですよ。両方ともちょっと右寄りですから」月刊『Hanada』は、『月刊WiLL』と同じく政治や社会的なテーマを扱う雑誌ですが、その発刊にはいくつかの背景があります。『月刊WiLL』は長い間、保守的な立場からの発信をしてきましたが、その運営方針や編集方針が変更された時期に、『Hanada』が登場しました。『月刊WiLL』から月刊『Hanada』に関わる編集者やライターが移った経緯については、当時の編集方針の違いや、編集者間の意見の食い違いが関係しているとされています。しかし、「喧嘩別れ」という表現が使われることが多い理由には、編集部内での意見対立や方向性の違いがあったからとも言われています。

 花田さんが生涯で一番好きな雑誌が、アメリカのグラフ誌『LIFE』で、この題字が“赤に白抜き”です。彼が『WiLL』を創刊した時に、その題字を赤に白抜きにしたのは、『LIFE』をオマージュしたものでした。また赤枠で囲んだのは、『TIME』誌へのオマージュでした。

 この分裂騒動の際に、故・渡部昇一先生の自宅に「『WiLL』は飛鳥新社に編集部ごと版元を移すことになりました。つきましては、今後は飛鳥新社『WiLL』の編集部へ……」というファックスが送られてきました。これは一体どういうことでしょう、という連絡が渡部先生からワック社に入ります。このようなファックスが今までの執筆者や関係者多数に送られていたのでした。鈴木社長「有り体に申し上げれば『WiLL』を丸ごと持っていきたいのでしょう。それができると考えている。当たり前ですが、『WiLL』は弊社の商品です。自分が壮観編集長として立ち上げた雑誌であることはわかりますが、私物ではありません。ただカリスマ性のある編集長でしたので、そのようなことができるのかと信じた方もおられるかもしれません。移籍さきの会社も信じておられたのか、『WiLL』編集部の座席表や方名刺まで作っているのです」と事情を説明されました。その後、トーハン日販の取次会社に対して『WiLL』という雑誌名を申請までされ、さすがに弁護士に依頼し対応が取られることになりました。渡部先生は、「こんなことが出版界で許されるべきではありませんね。その雑誌にはもう書きません」と宣言されました(実際に渡部先生はその後『WiLL』のみに執筆されました)。「花田さんは、『WiLL』は自分がつくったと言っているそうですね。私は創刊の準備段階から知っていますから、そんなことはありませんね。鈴木さんが、こういうコンセプトの雑誌をつくりたいとおっしゃたし、私は鈴木さんがつくったと思っています。雑誌の編集長をやったから、それはオレのもの、なんて誰も言わないですよ。それにしてもいろいろ言われたそうですね」(病気でおかしくなったとか、女性問題があるとか、社内で怒鳴り、暗い雰囲気になるとか、『WiLL』花田氏にタダであげると言ったとか)とおっしゃいました。「晩節は矩をこえずが一番なんですが」と才を惜しんでおられました。♥♥♥

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さだまさし「母標」

     母標

          作詩・作曲 さだまさし

彼女は息子のために石ころを積み上げて
祭壇を作り赤い花を植えた
昔花畑だったが今は何もなく
墓標がいくつも雨に霞んでいる
三年が過ぎても戦は町から去りもせず
今日もドローンが群れをなして東へ飛ぶ
あのひとのキャビアがテーブルにこぼれた頃
町外れで彼女の息子は死んだ

名もない兵士なんてひとりも無いけれど
名もない一人の兵士として消えた
アンダンテ・カンタービレが聞こえていたらしい
戦場は日暮れ間近だったそうだ
ひざまずく石の下には何一つないけれど
彼は彼女の祈りの中に棲んでいる
誕生祝いの時計一つ残さなかったけど
彼は母の祈りの中で生きている

彼女は若い頃に子供を授かった
幸せな日が無かったわけじゃない
彼女の好きなカヴァレリア・ルスティカーナが聞こえる
ただ彼女の耳にはもう音が無い
しあわせがずっと続くなんて思わなかったけど
不幸ばかりがずっと続くはずもない
ひざまずく石の下には何もないけれど
彼は母の祈りの中に棲んでいる
ひざまずく石の下には何もないけれど
彼は確かにそこに居る

 2022年2月24日に始まったロシアによる一方的なウクライナ侵攻からもう3年が過ぎていますが、未だに戦禍は激しく停戦の兆しも見えません。このロシアとウクライナの戦争を歌った反戦歌です。さだまさしさんの最も新しいアルバム『生命の樹』(写真上)の中の9曲目に入っている「母標」(ぼひょう)です。嶋村英二さんのドラム、木村“キムチ”誠さんのパーカッションに、さださんのギターだけで凄惨な戦場を表現しているのが印象的な曲です。迫り来る迫力・力強さも感じます。今年の 「夏長崎から2025」でもドラムとギターだけで歌われました。アルバムのライナー・ノーツには興味深い記述がありました。

 戦死者の中には何一つ残せないひとも多い。だから墓標の下には遺品の一つも無い。それでも泣きながら弔う親にとってそれは立派な墓なのだと思う。かつて新井満さんはナバホ族の詩を訳した「千の風になって」という名曲で「そこに私はいません」と歌った。素晴らしい歌だが一つだけ僕の考えとは違う。僕は何もないそのお墓に「私は居る」と思っているのだ。悲しみ、弔うひとの心の中にきっとその魂は棲んでいると思っているからだ。  ――アルバム『生命の樹』 「母標」ライナーノーツより

 自分はこういうことを一度も考えたこともなかったので、ハッとしました。戦争や災害で、ひょっとしたら亡骸もなく遺品もないような悲惨な状態だとして、遺族の気持ちとしては何らかの形でその人が生きていた証を作ることが拠り所になります。そういう意味で「お墓」が弔う人には大切なものだというのは理解できますし、石ころの下には何もないけれど、間違いなく母の心の中にはそこに彼がいると語る、この歌は心を揺さぶります。この母がもし自分だったら、と思うと胸が痛みます。きっと、そうせざるを得ないことは想像することができます。被爆地・長崎に生まれ育ち、全国の被災地をあちこち救援活動に回ったことなどから、さださんなりの死生観があると思います。今は外国での悲惨な戦争のニュースが連日報じられているからこそ、そして人として、親族を亡くして悲しむ人に寄り添う気持ちがあるからこそ、このようなテーマの「母標」という歌が生まれたのでしょう。これは実にいい歌です。

 さださんには、戦争をテーマにした歌も多く、パッと思いつくだけでも、「防人の詩」「遙かなるクリスマス」「広島の空」「キーウから遠く離れて」などが挙げられますが、コンサート会場では来場者に向けて、「音楽はすべて反戦歌である。私は音楽家だから、音楽家の武器は音楽だけ。大切な人を守る方法はただ一つ、戦争をしないことだ」と語りかけています。「人間の心に浄化作用がある限り、必ず浄化される。我々が願う良い方向に、いつか向く日が来ると信じなくてはダメだと思う。」

 20年間も続いた「夏長崎から」では、常に「このコンサートが終わるまでの間に、ほんの僅かな時間でよいから、あなたの一番大切な人の笑顔を思い浮かべて欲しい。そうしてその笑顔を護るために自分に何ができるだろうか、ということを考えて欲しい。実はそれが平和へのあなた自身の第一歩なのです。」と訴え続け、今年の「夏長崎から2025」では、「そして、自分が何をなすべきかが分かったら、そこへ向かって歩きだそうじゃないですか」と付け加えたさださんです。分断と対立が続く今日の世界の中、自然と言葉に力がこもりました。♥♥♥

 

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